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「どういうこと、ですか。休業、とは」
ユニットが休業、と告げられたのはわたしが見つかったとマネージャーから社長に連絡を入れたときだった。
突然のことでマネージャーも困惑気味なのがわかる。
『失踪の件については咎めないじょ、でも必ず伏せておくんだじょ。一切口外禁止だじょー!』
そう言って電話は切れたそうだ。
「今回の件が関係してるのは間違いないと思う、いいか、ほのか。カレンも。この件については伏せておくんだぞ」
わたしが数日間失踪してしまった件はなかったこととし、休業の理由は『お互いのさらなる成長のため』となった。
「カレン、本当に、ごめん…」
事務所で二人きりになる。カレンやマネージャーには何度謝っても謝りきれない。
「ん、ちょうど良かったかも」
怒り出すわけでもなくカレンは、良かったと言った。
「カラ松とのことを考えるいいきっかけができたってこと」
そう言って微笑むとまっすぐ前を見据えて、
「一松さんとこに早く行きなさい。前に進みましょう、お互い」
そう言った。
明日は公演だったが、開催されないことになった。
本当は、明日の公演でアイドルより一松さんを選ぶことを発表しようと考えていたんだけれど、その必要もなくなった。
一松さんはまだ待ってくれているだろうか。既読スルーしている形だから、もうあの場所にはいないかもしれない。
いないかもしれないのは怖いけど、もう夜も遅いけど、行かなくては。
その一心であの路地裏へ向かう。
「にゃ…」
薄暗い中でもわたしとわかったのか、一匹の猫が寄ってきた。
メガネをかけているような模様の入った猫。いつも一松さんと一緒にいたコだ。抱き上げると大人しくわたしの腕の中に収まってくれた。
「一松さんはもう、いないね…あは、嫌われちゃったかな」
『んーニャーン!』
この子がなんだか否定してくれるような気がしてホッとする。
一松さんは家にいるだろうか。もうこんな時分だ、寝ているかもしれない。
そう思って立ち上がると、誰かの足音が聞こえてきた。
一松さんと初めて会ったあの日、わたしはここでファンの人に襲われかけた。助けてくれたのは一松さんをはじめとする松野家の六つ子の皆さんだった。思わず身を竦ませて、恐怖に耐える。
『ニャ〜…』
メガネにゃんこは、怖くないよ、と言ってくれるように小さく啼いた。
時々ゴミや砂を踏みしめる音がして、やがてぴたりとそれがやむ。
ゆっくり目を開けると、薄くさす月光の下にかすかに、会いたかったその人の姿があったのだった。
『んニャア』
腕の中のメガネにゃんこがぴょんと飛び出して、その人の腕の中に入る。
「一松さん…」
「ほのか」
次の瞬間、メガネにゃんこが再び一松さんの腕から飛び出し、代わりにわたしが一松さんの腕の中に閉じ込められたのだった。
「会いたかった、一松さん」
一松さんはお風呂上がりなのか、ほのかに石鹸の匂いがした。
「もう、来ないと思ってた」
腕に力が込められて、石鹸の匂いがさらに強くなる。
「おれ、ほのかに会えたら、一番に言おうと思ってたことがある」
と言って、静かに息を吸う音が聞こえてすぐ、
「ほのかのことが、好き」
恥ずかしそうに吐き出されたその言葉を飲み込んで、
「わたしも一松さんが、好きです」
そう、返した。
くい、と顎に手を添えられて、唇を重ねた。
ぬるりと舌が入り込んで、とろけるようなキスを交わす。
「ヒヒ、おれのファーストキス。美味しかったでしょ」
とてもそうとは思えないほどに、優しいキス。
「美味しいです…また、ください」
「ん。ファーストじゃないけど。いくらでも…」
二つの足音が、誰もいない道に響く。
「送る」
と言った一松さんと、二人で歩いている。
初めてかもしれない、いつも路地裏で別れて一人で帰っていたから。
「ま、いいんじゃない、休業とか…おれがどうこう言える問題じゃないし」
わたしが明日開催予定だったライブで、一松さんとのことを話そうと考えていたことを話すと即座に
「はぁ?バカじゃないの…?そんなことしたら、おれここにいれない」
と怒られてしまった。
アンジェリクは一旦お休み、再開は未定。
社長が休業を決断したのは、わたしとカレンに好きな人ができ、お互いこれからどうするのかをじっくり考えなさいという社長からのメッセージがあったんだそうだ。そういえば社長、カラ松さんと一松さんのこと知ってたらしい。だからそういう判断をしたのだとも聞いた。
社長は、確か名前がミスターフラッグ。
わたしはアイドルを辞めて、一松さんと一緒にいられる限りいたいと決めた。もし仮に別れるなんてこともあるかも知れないけれど、その時はその時。
カレンはどうするのかって?
それはまた別の話。
わたしと一松さんはお付き合いすることになった。
松野家に改めて以前助けていただいたお礼と、せっかくなので一松さんとお付き合いさせていただくことになったとご挨拶に行くと、ご両親は泣いて喜ばれていた。孫の顔を早く見たいわね、なんて言われてわたしはもう恥ずかしいやらなんやらで、がんばります、としか言えなかった。
「母さんたちが言ってたことは、気にしないで…」
わたしを家に送って行ってくれる途中、一松さんはぼそりとわたしにそう言った。
「これから先どうなるかわかりませんけど、ゆっくり、あなたと二人で歩いていけたら、いいなあって思います」
よろしくお願いします、と頭を下げると、こちらこそ、と一松さんも頭を下げた。
一松さんは、猫カフェの店員になった。
わたしはにゃーちゃんのマネージャー枠に入って、彼女のサポートをすることにした。
裏方は大変だけど、今まで表から見ていたことも裏から見ると違ってとても楽しい。いつかカレンと二人で舞台に立てたら、この経験を生かしたいと思う。
ううん、わたしはきっと、アイドルよりも一松さんとともに生きることを選ぶのだろう。
「おれ、ほのかのこと離す気ないし。覚悟してよね…」
「はいっ、しっかりと覚悟、決めておきます…ね」
fin.
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