2.夏の破片


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「ようちゃんこれ、奥の押し入れにしまっといてー」

 お盆まっさかりの友屋家には人の出入りが激しい。大きな家だと集まる人の数もそこそこ多かった。俺はといえばキャンプから帰って以降、友屋の親戚の方たちにちやほやとかわいがられ引っ張りだこの悟利くんのマネージャーと化していた。

 一通り客の出入りの落ち着いた今は、縁側から聞こえる風鈴の涼し気な音が響いている。悟利くんが客間から回収してきた山盛りの座布団を受け取り、どこだかわからない奥の押し入れにしまいに廊下を歩いていた。

 エアコンの風も流石に廊下には届かないが、風通しの良いこの家の廊下は夏の夕方でも十分涼しい。

 悟利くんの言う奥の押し入れがどの部屋なのかわからないが、とりあえず長い廊下の突き当りの部屋へ入った。襖を開けると、ムッとした熱気が肌を包む。おそらく初めて入った部屋だった。

「さすがに広いな」

 湿り気を帯びた日本らしい夏の空気が停滞している。同じ屋根の下に悟利くんやお義母さんたちがいるはずなのに、恐ろしく静かだった。ただ外から油蝉の声が何十にも重なって聞こえてくる。額を伝った汗を拭う。首筋を何度も汗が流れていった。

 縁側に面した襖をあけてようやく風が入りこんだ。生ぬるい風が汗ばんだ肌にはちょうどいい。徐々に日は翳り、どことなく心細く感じる。

 廊下に顔を出して、気配もないのに声をあげた。

「悟利くーん、ここでいいのー?」

 わん、と響いた自分の声が跳ね返ってくる。返事はなかった。本当にこの家に一人になってしまったかのような錯覚を覚える。

「……まぁとりあえず押し入れ確認してみればいいか」

 茶箪笥くらいしかない部屋に座布団を投げ出して奥の押し入れの取っ手に触れる。開けた瞬間、眩暈がした。

「――っ」

 立て続けに殴られたような頭の痛みに視界が傾いていく。
 暑さのせいだろうか。朦朧とした意識のなか、ひたすら脳内でガンガンと鐘を鳴らされているような痛みが走る。

 一年前の栞里と目があった。

 穏やかな微笑みにドクンと心臓が大きく音を立てる。

 何かに侵食されていくように意識が遠くなっていった。頭が痛い。うずくまって頭を抱えることしかできなかった。荒い自分の呼吸だけが遠く耳に入る。

 何なんだろう。脳出血とかじゃないよね? こんなところで死むわけにはいかないんだよ。俺が死んだら、俺が死んだら……栞里の帰る家が無人になっちゃうんじゃんかよ。
 俺が死んだら――



「容態はどんなですか?」
「だいぶね、落ち着いてきましたよ。そろそろ社会復帰を考える頃でしょう」
「……そうですか」
 優しい笑みを浮かべた医師がポン、と頭に手を置いた。肉の厚い大きな手から温かさを感じる。
「大丈夫、君のような子がいるから彼を繋ぎとめておくことができるんだよ」
 そう、大丈夫。大丈夫だ。万事は快調。きっとうまくいく。これからも、ずっと。
 そうだよね……。うまくいく、よね。



 カラン、と音がした。

 音の聞こえたほうを見ると、結露したガラスのグラスの中で氷が解けていた。薄まった麦茶がグラスの中でグラデーションを作っている。

 その様子をぼぉっと眺めていたが、何気なしに起き上がると額から手ぬぐいに包まれた保冷剤が落ちていった。脇や首にも保冷剤が当てられている。

 ろくに働かない頭で、その保冷剤を眺めていた。最後に記憶にあるのは奥の部屋の押し入れを開けたところだ。

 どうやら暑さに参ってしまったらしい。情けない。嫁の実家でそんな醜態をさらすなんざ、格好がつかない。

 意識がはっきりしてくるにしたがって蝉の鳴き声が聞こえてきた。さっきまでよりも日は落ちて、蜩の鳴き声がさらに夕暮れ時を感じさせた。チリン、チリンと風鈴が音を立てている。

 その音の聞こえるほうへ目を向けると、開け放された縁側で団扇を仰ぐ悟利くんの後ろ姿が目に入った。華奢な後ろ姿と栞里の後ろ姿が重なる。似てもつかないその後ろ姿から見える幻影を追い払うように目をこすった。

 夏だからだろうか。栞里がいなくなって一年経った今だからだろうか。ここ数日ずっと悟利くんと一緒にいるからだろうか。

 取りつかれたように栞里の姿を探している自分がいる。

「……」
「……、」

 ふいに悟利くんが首元を仰ぎながら俺を振り返った。起き上がった俺を見ると、にんまりと笑みを浮かべる。

「ようちゃ〜ん、まったく無理したら駄目じゃん。暑さに弱い三十路なんだからぁ」
「うるせーわ。おっさん言うな」
「言ってないじゃん!」

 何事もなかったかのように、悟利くんは口元に団扇を当ててふわふわ笑った。そんな楽しそうな笑顔に思わず見ているこっちも笑みがこぼれる。

「ごめんな。介抱してくれてありがとう」
「ぎょっとしたよね。ようちゃん入る部屋間違えてるし」
「あ、やっぱあそこじゃなかった?」
「むしろなんであそこまで奥だと思ったし。俺もほとんど入らないよ、あの部屋」

 肩をすくめて呟いた悟利くんが思い出したようにポケットから取り出した紙を俺に投げつけた。下手くそ過ぎてそれは悟利くんから20センチもないところにはらりと落ちたが、吹き込んできた風が俺のすぐ側まで運んでくれた。


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