5.とめどなく


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 照り付ける陽射しが眩しかった。焦げるんじゃないかってくらい、足元の石は熱せられている。盆が過ぎた直後だからか、比較的辺りは綺麗だった。ところどころに雑草が伸び、猫じゃらしが揺れている。木陰の下に位置する墓石の上は地面に比べて涼しいのか、住み着いた猫がぐったりとだるそうに寝転んで人の動きを眺めていた。暑さに辟易しながら「何、見てんだよ」とでも言いたそうにぴくりとも動かず、みゃあと鳴く。

 悟利くんはひらひらと猫に猫じゃらしを振っていた。鬱陶しそうに悟利くんを見上げる猫はとてもじゃないが遊ぶ気力がなさそうだ。

「帰ろうか、悟利くん」

 後から声をかければパッと振り向く。急に勢いをつけて動いた猫じゃらしめがけて、さっきまでふんぞり返っていた猫がダイブした。

「もういいの?」
「また来るよ」
「俺も呼んでね」
 
 ふわ、と笑った義弟が足元にじゃれつく猫をかき回し立ち上がる。小走りでやってくると、砂利を踏みしめながら並んで歩いた。辺りを線香の匂いが漂っている。まだ鮮やかな菊の花が生けてあるところが多かった。

「一年、経ったんだね」
「ああ」
「うちはいまでも昔の空気には戻らないよ」

 いつもと変わらない甘いふわふわとした口調で悟利くんが言う。変わらないための努力を惜しまない、義弟の前の向き方だった。

 欠けてしまったものにはきっと、二度と元に戻らないものとそうでないものがある。俺たちが前にして足掻いているのはそれが前者だからだ。どれだけの時間が経っても、栞里のいない空気は栞里のいない空気のままで、そこに代替はない。

「いや、友屋の人たちはみんなすごいよ」

 俺は自分が情けない。小さく呟いた声が風にさらわれる。聞こえたらしい義弟が笑った。

「きっとこういうのは時間じゃないんだろうね」
「……そうかもしれないし、そうでないかもしれない」

 いつまで経っても辛い気持ちは鮮明だ。それでいい。ちゃんと受け止めるから。でも、

「俺さ、はっきりとは思い出せないんだ」

 ざり、と革靴と砂利が擦れる音がゆったりとしたリズムを刻む。隣でうん、と悟利くんが頷いた。

「ぼんやりとしか」

 通夜のことも、式のことも。うっすらと現実味を伴わない記憶が頭の片隅に眠ってる。

 悟利くんが振り向くと同時に、頬を撫でるような曖昧な風が花の香を運んできた。百合だ。

「思い出せないでいいんだよ」

 許しを乞うための懺悔ではない。だけど義弟の微笑みは全てを許しているようだった。

 ひどい事故だったのだから遺体の損傷は激しかった。夏だった、とだけ悟利くんが言う。

 立ち止まった俺の顔が歪む。悟利くんが手を掴んだ。握られた熱い手が汗でぬるりとすべる。

「ようちゃんは大丈夫。これからも俺がようちゃんを幸せにするよ」
「……お前、さ」
「うん?」

 邪気のない顔は暑さに若干火照っていた。首を傾げる健気な姿に、ツンと胸が痛くなる。
 俺はもう、大丈夫だから。

「もう、こんな三十路の世話なんて焼く必要ないんだよ」
「……え?」
「俺はこの一年、悟利くんがいなかったらきっとこうやって立ってられてない。それは本当に感謝してる。でもお前、もう20なんだよ」

 今、この時間は悟利くんにとって、とても大事な時間だ。それをいつまでもこんなおっさんの介護に付き合わせてはいけない。

「大学も、友達も、勉強も、悟利くんには今しかできないことがいっぱいある」
「でも、俺は」
「俺はもう大丈夫だから」

 学校に馴染めなくて俺が手を引いていた時間は過ぎた。悟利くんはずっと昔に一人で立っていられるようになっていたし、俺はそんな悟利くんに助けてもらった。

「いい人ができたらさ、その人んとこ行きゃいいんだよ」
「ようちゃん」
「付き合ったり、さ」
「ねえ、ちょっと」
「いつまでも俺に構ってないで」
「なんでだよっ!」

 ぎゅっと力のこもった手が俺の手を握りしめた。

「お、」
「俺が一緒にいたいから一緒にいるんじゃん! それが嫌なの?」
「い、や……ではない、けど」

 いやだって、二十歳の若い人間よ? 何をしても若さと学生の肩書で大概のことを水に流せる年頃よ? 

「俺はようちゃんが好きだよ?」

 目の前にいるのは幼い子どもではない。昔の天使のような面影を残しながらも、立派な成人になったとても美しい中性的な男だ。それなのに駄々をこねるように唇を突き出して噛み、眉をぎゅっと寄せて俺を見つめるその表情は、幼いころの悟利くんとよく似ている

「……ははっ」
「ちょ、なんで? なんで笑うの? 本当だよ! 真剣な告白なんだって!」

 焦ったように顔を赤くする義弟と俺は、残念ながらいつまでも他人だ。それはそうだ。だって他人じゃなくなる方法がないのだから。それでも、俺はお前の姉ちゃんと家族で、栞里の弟の悟利くんは俺の義理の弟だ。

 だから俺たちは家族だし、これは紛れもない愛情だ。

 愛しいよ。こんな弟が可愛くないわけがない。いつだって、俺は隣を歩いてあげる。それを悟利くんが望むのならね。

「俺、本当にようちゃんが大好きだよ!」
「あははっ」

 笑えば涙が垂れていった。握られていた手は汗で滑り落ち、かろうじて小指が引っかかっているだけだった。そんな離れかけた熱い手をありったけの力で握りなおす。あまりの力の強さにびっくりしたらしい悟利くんがえ? と声を漏らした。くつくつと笑いやまない俺に、悟利くんがいよいよ途方にくれ始めている。

「ねえ、ようちゃん、」

 知ってるよ。

「俺、ようちゃんが好きなんだよ」

 10年前から知ってるよ。

「ははっ」


 拝啓、栞里へ。
 お元気ですか? 俺は元気です。君が植えた百合の花は今年も一際いい匂いを放っています。今年は君がいないから、庭も俺も寂しいけど、俺の周りは騒がしいです。俺の弟が俺のことを好きすぎる件について。俺は一体どうすればいいでしょう。





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