5.とめどなく


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——仕事終わりにドライブとか? 夜景なんてロマンチックが似合う人ではないけど。むしろ似合わな過ぎて超行きたい見たい。

——でも、そんな風ないくつになっても変わらない習慣が出来たら嬉しいな。


「……」


——最近、ちょっと暑すぎる。夏はやっぱりキャンプに行きたい。悟利も誘ったら来るかな。というか誘わなかったら拗ねるだろうな。可愛い奴め。


 悟利くんが手を伸ばして、ぺらりとページを捲った。


——会社から遊園地の割引チケットもらった! 陽一くん、一緒に行ってくれるかな? イヤそうなふりして結局世話焼いてくれるし付き合ってくれるんだよね。あの顔ウケる。


「……」

 感情をどこかへ置いてきたかのような顔をして、ぺらりぺらりとページが捲られていく。薄暗い部屋も相まって、そんな義弟の横顔は生気が抜け落ちたように青白かった。

 今すぐその細い手首を締め上げるように掴みたくなってしまう。今すぐ義弟をつぶれるくらいに抱きしめたくなってしまう。
 
 嫌いなくせしてキャンプに誘うし、遊園地には強制的に連行されるし、仕事終わりに知らん山には拉致られた。その度にどこか遠くを眺める悟利くんは、楽しそうに笑って寂しそうに黙って、誤魔化すように俺を揶揄った。

 全部、全部、お前がやってたことじゃんか。

 鼻をすすって目元を雑に拭い、息を吸った時だった。喉の調子を確かめるように、暗闇の中で手を伸ばすような覚束なさで義弟が口を開いた。

「……こんなに立派な作りなのに、書いてあるのはなんてことない日常なんだ。ただの、何でもない呟き」

 ずいぶん無防備な声だった。いつものふわふわとした雰囲気も、ちょっと媚びてる感じも、急に出てくる大人っぽさも、無邪気さも、一切合切抜き去った声だった。

「ようちゃん、知ってる?」

 ふい、と視線が絡んだ。俺の汚い顔面を見て、悟利くんが小さく笑ったような気がした。

「ここに書いてあること全部、生きてる人間じゃないと出来ないんだよ」
 
 悟利くんの顔がわずかに歪んだ。

 そんな当たり前のこと、知ってるよ。何歳年上だと思ってるんだよ。

「……そうだよ」
「ごめんね?」

 くしゃりと困ったように破顔した悟利くんは微かに震えていた。冷房で冷やされた空気に溶けて消えていってしまいそうな儚さを伴って震えていた。

 腕が伸びる。華奢な体は掴んでいないとどこかへいってしまいそうだった。

「自分のやってること、だんだん意味が分からなくなってくるんだよ。自信がなくなってきたんだよ。そしたら、全部見つかっちゃった」

 薄い体を抱きしめれば微かな温もりを感じた。悟利くんに比べて俺は体温が高すぎたみたいだった。腕の中で苦し気に身じろぎをする悟利くんを、その存在を繋ぎとめるように強く抱きしめる。

「俺は一体、誰のために、何をしてたんだろうね?」

 知るかよ、そんなこと。自分に聞けよ。だいたいお前はいつでも他人のことしか考えてなかっただろ。いつだって、いつだって、そうだったよ。優しく巧妙な嘘を、まるでおしゃれでもするかのように身にまとってる。

 どうして気がつかなかったんだろう。いつだって、悟利くんの嘘を見抜くのは俺だったのに。

「ごめん」

 見てあげられなくて。見抜いてあげられなくて。お前のこと、ちっとも考えられてない俺のことを悟利くんはいつだって見てくれていたのに。

 力をこめるのが怖いくらい細身な義弟を力いっぱい抱きしめた。手はだらんと垂れている。無駄に力まずぼぉっと立ちすくんでいる。無気力になってほしくなかった。

「しんどさを、少しも分けられなくて、」
「問題ないよ」
「辛かったよな」
「ようちゃんも」
「ごめん……」
「謝んないで」
「っ、救われてたよ。悟利くんに、ずっと」
「ようちゃん」

 悟利くんの苦笑ぎみの声が耳に入った。腕の中で義弟が肩に顔を押し付けている。湿っているのは雨に降られたからじゃない。さっきからもうずっと、嗚咽が聞こえてる。

「これからは、一緒に泣いてくれるんでしょう?」
 
 柔らかい陽射しが水面で揺れているみたいだった。光芒を掴んだような気分になって、俺は悟利くんにしがみついていっぱいいっぱい泣いた。悟利くんは時折ふふ、と微笑を漏らしながらしゃくりあげていた。


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