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折り畳み傘なんてそもそも一人でも狭いくらいなんだから、二人も男が入ったら頭くらいしか守れない。それに加えて折れている。
衣笠の家についた時にはたった二分の距離でも二人ともずぶ濡れになっていた。雨に濡れた服を脱ぎ捨てた衣笠の体を後ろから眺めていて、そのガタイのよさと艶めかしさすら感じる背中に勝手に嫉妬した。そうやって何でも他人を羨ましがる自分がまた嫌になる。
衣笠が濡れた髪をかき上げて、後ろの俺を振り返ったから、慌ててタオルに顔を埋めた。あーあ、またメイク崩れてんだろうな。今日は肌寒さで汗はあまりかかなかったから、この間みたいな汚い落ち方ではないだろうけど。せっかくノーズシャドウが綺麗に入れられたのに。シャドウとハイライトがなかったら通常の2倍、3倍は顔が平たくなる。別にそんなこと衣笠は知ったこっちゃないんだろうけど。俺にとっては死活問題だ。
「結局濡れたね。服、気持ち悪いでしょ。俺のなにか貸すよ」
「あ、いや」
断ろうにもこのままだと衣笠の部屋を濡らすことになるだろうから下手に遠慮もできない。まごついているうちに衣笠がトレーナーとジャージをよこした。
「乾燥機つけるから、脱いで。帰るまで乾かしとく」
「……うん」
え、ここで着替えるの? めっちゃ見てくるじゃん。
かといって男同士で妙に遠慮するのも変な感じだ。俺は衣笠から顔を背けると絞れば水が出てきそうなTシャツを脱いで急いで着替えた。濡れたジーンズを脱ぐのに手間取りながらジャージに履き替えると、どこからかピコン、と機械音が聞こえる。首を振って周囲を見回していれば衣笠が俺の脱いだ服をかっさらっていった。
「なにか鳴った?」
「給湯器、給湯器!」
あ〜給湯器。俺の家よりずいぶん控えめな音なんだな。学生マンションにしてはかなり綺麗なところだし、そういう設備も整ってるのかもしれない。
「……トイレ借りていい?」
「どぞー」
俺の服をエアコンの前につるしてくれていた衣笠が肩越しにこっと笑った。そんな反応に反射的に嫌悪感が湧いてしまうのは俺が嫌な奴なだけ。
知ってるよ。お前が悪い奴じゃないってことくらい。
簡易なメイク直しをハンカチを持ったふりをして取り出すと、トイレに籠った。照明がオレンジがかっているせいでいつも以上に見映えがしなくて嫌な部分が目立つ。顔を背けたい気持ちでいっぱいになりながら、落ちたシャドウとハイライト、お守りにようにコンシーラーで赤味を隠してパウダーを薄くはたいた。ほっと息を吐く。
髪はもうどうしようもないことになっているし、早いところ前髪を切っておくんだったと後悔した。
衣笠のデカいトレーナーをまくりながら部屋に戻ると、衣笠は散らかった洗濯物を畳んでいた。
「いやあ〜恥ずかしいね〜。連日汚い部屋に呼んじゃって」
「綺麗なほうだよ」
クソきたねえけどな。呼ばれたのも全部不本意だし。これで完璧に綺麗だったらそれもまたムカつくが、むしろそこまで非の打ちどころがなければこの嫉妬心もきっとここまで育ってはいなかっただろう。
「冷蔵庫にお茶あるから、勝手に開けていいよ」
喉が渇いていたわけでもないが、居場所と挙動に困るから言われた通りに冷蔵庫を開けた。
びっしりと酒、酒、酒。ストロングで埋まってる。なんじゃこれ。こいつ何をお茶と錯覚した? 烏龍ハイ?
というかそれ以前に俺たちまだ未成年だ。衣笠みたいな陽キャパリピ集団にそんなのは関係ないんだろうけど。
見なかったふりをして閉めようとしたとき、後から伸びてきた手が扉を押さえた。
「っ」
「ごっめん。忘れてた」
吐息を含んだ声が耳元で吐き出され体が固まる。ちょっとでも身じろぎをしたら背中が衣笠の胸に当たりそうだった。
衣笠の長い指が迷うように彷徨い、酒に埋もれたピッチャーに触れて、離れた。
「飲みたい?」
酒を? あと耳元で話すのマジでやめて?
「こないだ宅飲みした時に消費しきれんかったのが多くてさあ」
当たり前のように酒飲むんだ。あの衣笠が。
俺も一度新歓で飲まされたけど、そのあとトイレで吐きまくった嫌な思い出しかない。誰も俺がいなくなったことに気がつかなかったし、介抱なんてされなかった。悲しいね。唯一俺がつぶれたことに気がついて家まで送ってくれた友人は「まあここの酒不味かったしね」って妙なフォローを入れてくれた。いや、お前浴びるほど飲んでたじゃん。しかも顔色もまったく変わってなかったじゃんって。
つまり俺はおそらく酒に極度に弱いタイプなのだ。
「斎間くんは〜これ?」
女子が飲むようなかわいい微アルの缶チューハイを衣笠が手に取る。飲むって言ってないけど、妙なプライドが働く。断るほうがダサいってやつ? そうだよ、そうやってみんな身を滅ぼしていくんだよ。
くす、と耳元で衣笠が笑う気配を感じた。今すぐアッパー食らわしてえ。
「俺はビール♡」
お前は飲むんかい。衣笠はチューハイとビールを手に取ると、さらに小指にお茶のピッチャーを引っかけてパタンと冷蔵庫の扉を閉めた。片手だけで缶二つにピッチャーを持てるのは衣笠の手がでかいからだ。俺じゃ絶対無理。いいな、あれ。ちょっとかっこいい。
すぐさまプシュと音が聞こえて、衣笠が缶を開けたのが分かった。歩きながら缶ビールを煽ってる衣笠の後ろ姿を見ながらなんとも言えない気持ちになる。
ほんの半年前まで同じ制服を着ていたのに。ほんの半年前までは手も届かない存在だったのに。
こんなに近づかなくてよかったよ。
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