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・・・

「斎間くん、酔ってるでしょ」
「……酔ってぅ、ない」
「あは、かわい」

 動悸がした。顔が熱い。体を見下ろせば、襟ぐりの広い衣笠のデカいトレーナーの隙間から肌が赤くなっているのが見えた。この調子で顔も赤くなってるのかも。

 両手を持ち上げて手のひらを見てみたけど、手は大して代わりはなかった。それよりでかいな、この服。

 ぴこん、とまた機械音がした。もうさっきからこの家の給湯器うるさい。

「本当に酒弱かったんだ」
「別に飲めないわけじゃないし」
「まだ一本も飲んでないのにこれだもんな。かわいいね」
「はあ? なんて?」

 なんか、ちょっと眠いかも。頭……は痛くない。けど、ふわふわする。

「斎間くん好きだよって言った」
「言ってないじゃん。俺のこと下戸ってバカにした」
「してない、してない。その先を聞いてほしかったんだけど」

 俺はじ、と向かいの衣笠を見つめた。衣笠もほんのちょっと顔が赤くなっていた。衣笠のビールはもう空になっていて、頬杖をついて俺のことを見下ろしてる。その目が素面の時より素の状態でも緩んでいて、見たことない衣笠だった。

「そんな顔、するんだ。お前」
「そんなって、どんな? いつも俺のこと見てくれないのは斎間くんじゃん」
「見てるよ、いつも」

 衣笠があの陽キャたちと話してるところ、ずっと見てるよ。目が合いそうな時は逸らすけど。そう、ずっと。高2のころからずっと。

 しょうがないのだ。だって、自然に目に入ってしまうんだから。そうやって俺の自己肯定感は根こそぎ奪いさられるんだけどな。

「それは知ってるけどさ。目、合わせないだろ」
「……」
「高校の時から、ずっと」

 机の上で組んだ腕に頬を乗せて、衣笠を睨みつける。緩んでいた衣笠の目が猫のようにきゅ、と細くなった。笑うと涙袋がぷっくりと浮き上がっていく。ああ、なるほど。涙袋ね。大事、大事。今度涙袋の影用に二重ライナー買おう。あとナチュラルなハイライト探そう。涙袋用に。

「俺の顔、もっと見たい?」
「そりゃ見たいけど、だって見られたくないし」
「俺に見られたくないってこと? はは、なにそれ」

 暴かれたくないんだよ。目が合うだけで被害妄想でいっぱいになる。相手が何を考えてるのかわからなくて、怖くて。誰かの目を見てるだけで、俺の大嫌いな俺でいっぱいになる。

「俺は斎間くんが欲しいもの全部あげるよ」
「俺が欲しいものはそう簡単には手に入らないの」
「そうだね。だから君はこんなに頑張るんだよね」

 手が伸びてきた。衣笠の指が俺の前髪をくすぐり、額をさらりと撫でていく。ぞわり、と背筋に何かが走り抜けていった。

「それで、なにか気がついた?」
「まあ? 多少は?」

 鼻が高く見えるノーズシャドウの入れ方とか。衣笠みたいに切れ長の猫目になりたいけど俺はもとが垂れ目よりなんだなってこととか。

 努力じゃどうにもならないことがあるってこととか。

「絶望的なことに気がついたよ」
「ふぅん。それでもやめないんでしょ、メイク」
「……うるさいよ。うるさいよ! 俺の欲しいもんなんでも持ってるくせに!」
「あはっかわいいなぁ、斎間くん」

 にこ、と衣笠が笑った。知ってる。みんなが好きなやつだ。目尻に皺を寄せて、目を細めて、八重歯をのぞかせて。真正面から直視したことはなかったけど、知ってる。

 だけど、俺が知ってる衣笠の笑顔はこんなじゃなかったようにも思う。顔が多少火照っているからだろうか。

「ねえ、斎間くん」

 無邪気な声が頭上からかかる。鬱陶しいなあと思いながらも、衣笠を見上げると、衣笠は俺にスマホの画面を突き付けていた。なんだよって思いながら目を細める。衣笠のスマホじゃなくて、俺のスマホだった。

「これ、なーんだ?」
「…………………………、っ!? てんめ! ふっざけんな返せっ!」
「えぇ〜やっだ。愛の証じゃ〜ん」
「返せ!! 返せよっ!! 見んな!!」

 一瞬で頭に血がのぼって目の前が真っ白になった。弾かれたように飛び起きて衣笠の手に掴みかかる。

「ふっざけんなよお前! 返せっ!!」

 衣笠が俺に見せつけてきたのは写真だった。衣笠の写真だ。しかも一枚じゃない。フォルダに入ってる。ぜーんぶ、衣笠の写真。俺のスマホの俺の写真フォルダ。

「ふざけてないって」

 テーブルに乗り上げて衣笠に掴みかかった俺は、衣笠ともみくちゃになりながら、どうにかしてスマホを奪い返そうとした。だけど、ガタイが違いすぎる。衣笠は楽々と起き上がると背後のベッドに腰掛けて、余裕の仕草で写真フォルダをスクロールしていた。

 その衣笠に飛び掛かって、腕を掴もうとする。気がつけば仰向けになった衣笠に乗り上げていて、衣笠の体の上で俺は必死に暴れていて。でもそんなことすらどうでもいいくらい、焦っていた。いまさら取り返したところでもう遅いのに、真っ白になった頭では何も考えることなんでできなくて、そして気がついた時には、衣笠に組み敷かれていた。

「わあ、これいつ? 体育祭? 高3の時かぁ。俺すっごい笑ってる! あはは!」
「はっ……は、……ぅ」
「途切れないね〜。最近のはないの?」
「うぅ……っ……かえせよ……かえせ……」
「まあ、最近は写真よりもずっと近くで見れるからね。わざわざ盗撮する必要もない? 斎間くんは俺と目合わせたくないみたいだけど。さみしいなぁ」

 衣笠はぽい、とベッドの端に俺のスマホを放り投げた。怒ってるようには見えなかったけど、やっぱり怒ってるんだろう。この場合、悪いのは100%俺で、俺は衣笠に逆切れするような立場ではないわけで、本来言うべき言葉は「ごめんなさい」のたった一言であるはずだった。

 だけどそんなこと考えられないくらいとんでもなく恥ずかしくて、惨めで、今すぐ死んでしまいたかった。

「は……ぁ、う」
「ごめん、ごめん。泣かないで。怒ってないよ、斎間くん」

 そういう問題じゃない。死んでしまいたい。最悪。最悪だよ。

 フォルダに入っている写真は行事のアルバムだとか、そういう合法的なところから集めたものだけじゃない。完全な俺の隠し撮り、もとい盗撮が9割だ。

 どうしようもない羞恥で頭が真っ白になる。頭がぐわんぐわんしてきた。大して飲んでない酒が急激に回ってきたみたいに気持ち悪くなる。本当に気分が悪かった。浅くしゃくりあげるように呼吸する俺を宥めるように衣笠が俺の肩や胸を撫でていた。ぽんぽん、と優しくあやすように胸元を叩かれるが、俺は震えるだけだった。

「俺は斎間くんの欲しいもの全部あげるって、言ってるじゃん」
「嫌だ、いらない、帰る……もう帰る」
「えぇ〜帰らないでよ」
「帰る……」

 ぶんぶん首を振っていたら、気持ち悪さが増してきた。落ち着かない俺に、衣笠が今度は頭を撫でてくる。ぎゅっと目をつむった。もう衣笠の顔を直視できる気がしなかった。

「やっと目合わせてくれたと思ったのに。ごめんって、苛めたかったわけじゃない。ねえ、俺のこと見てくれないの?」
「……見んなよっ……見んなよぉ」
「見えてないじゃん」

 ぎゅっとつむった目からぽろぽろ涙が湧いてくる。こんな恥かいてまでまだこいつの前にいなきゃいけないなんて地獄じゃん。今すぐ逃げたい。穴があったら入りたい。一生出てきたくない。

 生暖かい涙が頬を濡らす感覚と、強くつぶりすぎて痺れる目元。麻痺したその皮膚にざらりとした、でも驚くほど柔らかい感触が伝った。湿り気を帯びたそれが俺の涙をぬぐい取っていく。


「――っ!?」


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