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 最初は見張りが必要だと思ったのだ。

 柳には若さならではの刹那に生き急ぎ、散りたがる花のような儚さがあった。男遊びの激しさも、別におかしな話ではないし他人の俺が首を突っ込むような問題ではない。しかし柳にはどこか病的なところがあった。

 駄目なことは駄目だとちゃんと線引きをする人間が近くにいるべきなんじゃないか、と大して年が離れているでもないのに直感的にそう思った。

 そのくらい、柳からは何をしでかすかわからない不安定さを俺は感じていた。ぎゃは、と下品に笑いながら海峡へ身投げでもしそうなアンバランスさ。

 俺のその予想が合っていたのかはわからない。俺などいなくとも、柳はのびのびと学生生活を過ごしただろう。中古車を譲ってくれるほどよくしてもらっている先輩もいるようだし、競馬にパチンコにダメ男一直線の遊びも教わっているようだった。かと思えば健全に釣りに出かけていくこともある。

 起きたことと言えば、せいぜい俺が柳のセフレと鉢合わせ、もろブツが挿ってるところに遭遇したくらいだ。それすらも今となっては居合わせたのが大家さんや配達員でなく俺でよかったな、と思う。

 むしろ柳の存在に救われていたのは俺のほうなのだ。

「ダメだ〜薄野くん。完全にバッテリーあがっちゃってる」
「まじすか」

 調子の悪かった俺の車を見てくれていた上司が憐れむような目をして車から出てくる。車なしでは生活できないようなこの土地で一か月弱、地獄の自転車通勤をしていた俺だが早々に諦めて中古車を買った。新卒で給料もない人間には手を出せるものなんてもともとガタの来ているものだったのだろう。

「どうする? 時間も遅いし、今日は修理に来てもらうのは厳しいだろ。送っていこうか?」
「あ〜でも反対方向すよね」
「別に大した距離じゃないよ。大橋の真下あたりだろ?」
「そうですけど……あ、じゃあバス停まで送ってもらえたら嬉しいです」

 上司と柳が鉢合わせ、で最悪の事態が起こることもありえなくはない。職場の人間には恵まれているから、変な問題を起こすわけにはいかないのだ。

 終業後、上司にバス停まで送ってもらい久しぶりにバスで下宿まで向かった。
 真っ暗な田舎の夜に見える光は、間隔の離れた街灯とときおり現れる四角いコンビニの明かりだけだった。緑がかった車内灯で顔色の悪くなった自分の顔が窓に映る。うたたねしているうちに、大粒の雨が窓を叩き始めていた。危うく寝過ごしそうになったところを、携帯のバイブ音に起こされる。見てみれば柳だった。

『どったの? 遅くない?』

 今日の夕飯当番は柳だ。一言も入れないのは非常識だったかもしれない。それに今日は外へ出るような用事があったから、いつもより時間も遅くなっていた。おまけに車は故障するし。今日だけ社用車借りればよかった。

『すまん。車が動かなくなって、今日はバスで帰ってる』

 降車ボタンを押した。あと一駅だ。
 すぐに柳から大爆笑しているスタンプが送られてきて、返事を返さずに画面を落とした。笑ってんじゃねえ。あのうるせえ声が一瞬で頭に浮かぶ。

 窓には雨粒が流れ落ちていく筋ができていた。結構な雨だ。傘持ってねえし、今日は厄日だな。

 停車したバスが大きくガタンと揺れた。運の悪いことにこのバス停の近くに屋根のある場所はない。鞄を頭上にしてバスを降り、急ぎ足で歩いた。靴に雨がしみこんでくる。下宿まで20分ほどだが、迷子になってもおかしくないほどに暗かった。

 後方から来た車のライトに照らされる。眩しさに振り返れば、その車は俺の前を塞ぐようにして止まった。なんだ、迷子になる前に拉致られるのか? 勘弁してくれよ。ああ、でも監禁されるなら働かなくていいし実質養ってもらうのと一緒だよな。なんて馬鹿みたいなことを考えていれば、運転席の窓から誰かが顔を出した。

「にぃサンおかえりー! 乗って!」
「え、柳?」
「はやくしてよ。俺腹減ってんだけど」
「あ、あぁ……」

 急いで助手席に乗り込む。俺が乗った瞬間、柳は車を出した。慌ててシートベルトをつけて、濡れた体を車にあったタオルで拭く。運転席の柳の横顔は、ライトに青白く照らされ相変わらず溜息が出るほど美しかった。

「今帰り?」
「いや、雨だし迎えに来た」
「うっそまじかよ、ありがとう……お前めっちゃいい奴じゃん……」
「せやろ。しかもあったかい飯まで用意してる」
「嫁じゃん……俺もう絶対東京帰るなんて言わない」
「あ、にぃサンが今顔拭いてるタオル、こないだカーセックスしたときに俺のせーえき拭いたやつ」
「ふっざけんなよ! なんかくせーと思ったわ! オッッエ゛」

 慌ててタオルを柳に投げつける。柳はいつもと同じようにケラケラと笑った。これ新手の顔射じゃね? とか恐ろしいことを言っている。爆ぜろ。

「ええーそんな嫌がんなくてもいいじゃん。せっかく可愛い夕世くんがお迎えに来たのに」
「別次元の話だろ」

 柳はくっきりとしたえくぼを見せ、肩を震わせて笑っている。夜を走る車内ではいつもより顔にかかる陰影が濃く、頬は青白かった。俺の投げつけたタオルで当たり前のように鼻を拭く。いや、よく拭けるな。

「そのタオルで拭くなよ」
「あぁちょっと笑いすぎて鼻水が……でも確かに自分の拭ったタオルって萎えるな」

 そういう問題じゃねえよ。しょうがないからティッシュを取り出して柳に差し出してやれば、受け取ることなくそのまま鼻を噛みやがった。

「ちょ、鼻水つけんな! 自分でやれよ」
「今手が離せないんですぅ」
「決めたわ。俺やっぱ東京帰るわ」
「やだやだ! 帰らないでよ、抜いてあげるから! ふぇらする?」

 ぞわぁ、とリアルに鳥肌が立った。ご奉仕なんぞ求めてねえわ。雨に濡れてなくても寒い。俺は今密室でセクハラを受けている。録音したろか?

「それ何が楽しいわけ?」
「俺さーにぃサンの部屋ちょいちょい物色してんだけどさ」
「さらっと告白すんなよ、何してくれてんだよアホ」
「にぃサンってまじでオナニーすらした形跡ないじゃん? えっちな本もないじゃん? したらさー、やっぱ気になんじゃん?」
「何がだよ! なんねえよ!」

 笑えない笑えない。柳が言うと笑えないんだって。こいつ仮にもそこそこレベルの高い大学の理学部だよな? 頭の中セックス10割だけど大丈夫なのか?

「にぃサン、にぃサン」
「あんだよセクハラやめて」
「電話鳴ってない?」
「あ?」

 言われて確認すれば、電話ではなく立て続けに送られてくるメッセージを知らせるバイブ音だった。
 画面に表示された名前は数年ぶりに見るもので、思わず目を疑った。無意識に目の奥がきんとして、心臓が嫌な揺れ方をする。
 俺が黙ったのも一瞬で、車が止まった。柳は玄関前に車を停めると、俺にさっさと出ろと促した。

「俺こんまま車庫に入れてくるから。にぃサン先に風呂入る?」
「あ……いや、飯食うかな」
「おっけ。じゃあ鍋あっためといて」
「あいよ。サンキュな」
「いーえ!」



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