#1


「先週の課題のここってさ」
「あー、これは……えっと……」
「上野?」

 座席を一つ挟んで、課題の疑問点を聞いていれば、上野は俺たちの間に挟まる明らかに異質なオブジェをちらちらと気にかけていた。これ、すげえ邪魔だな。上野の方に身を乗り出して、プリントの空欄をシャーペンで指す。

「ここ。ここの数字なんだけど」
「……あのぉ……俺、席移動しようか?」
「なんでだよ!」
「お気になさらず〜」

 ガタ、と腰を浮かせた上野の腕を慌てて掴むと同時に、俺たちの間に割り込んでいたオブジェが口を開いた。

「俺は別に斎間くんの隣に座ってるだけなんで!」

 邪魔だわ。すげー邪魔だわ。しかも別に取ってもない授業をわざわざ受けに来るなよ。試験前だろ。

「い、いや、でもお邪魔かなぁ〜、なんて……」
「邪魔なのむしろコイツだから!」

 俺がキレ気味に隣に陣取る衣笠を指させば、衣笠はにこっと笑って上野に茶目っ気たっぷりのウインクをしていた。なにそれ、ファンサ? 俺にもちょうだいよ。

 もう朝からずっとこの調子だ。普段、大学内で衣笠を見かけるのは、講義室の移動時くらいだ。だというのに、今日の衣笠はなぜか朝からずっと俺の周りをちょろちょろしている。ものすごく鬱陶しい。鬱陶しいうえに、とてつもなく目立つ。ほら、女子の視線がいっぱい。なんでわざわざ衣笠の隣に並ばなきゃいけない? こんな比較対象、隣に置かないでくれよ。

「まあまあ、ほら、授業始まるよ」
「気が散るんだよ!」
「じゃあ、チョコ食べる?」

 衣笠がカサ、と可愛らしくラッピングされたチョコを取り出した。女子の丸っこい字でメッセージが書かれたミニレターが紐で括り付けられている。
 いや。お前それ、さっき女の子にもらってたやつじゃん。

「はい、」
「い、いいいいやいやいや! ダメでしょ! それはお前がもらったやつなの!」
「それで?」
「俺が食べちゃ駄目なやつだから!」
「ははっ、まあそうだわな」

 衣笠は俺の目をじ、と見ながら女の子からもらったかわいいチョコを口に放りこんだ。そのまま俺から視線を逸らさず、じっと見つめたまま口をもぐもぐと動かした。
 あまりの視線の圧に目を逸らせず、チョコを咀嚼する衣笠を黙って見つめる俺。
 なんなの? この空間。

「んー、うまいよ」

 いや、知らんて。

「斎間くんには渡せないなぁ」

 だから、いらんて。

 衣笠のために誰かが作ったものを、奪おうなんて思ってないよ。
 衣笠はその後も講義中、俺を見ながら女の子からもらったお菓子をカサコソとひたすら食べ続けていた。穴が開くんじゃないかってくらい衣笠に見られていて、俺の居心地の悪さは尋常じゃなかった。

 せめて気を紛らわそうと教授の話に耳を傾けるが、どうもやっぱり隣からの視線が気になってしまう。さっきはガトーショコラを食べていたが、今度はクッキーらしい。ばりばりと音が聞こえてくる。視線だけでなく、その音のせいで、話を聞こうにも結局集中できない。

 つい講義中にも関わらずスマホに手を伸ばせば、上野からメッセージが送られていた。

『おい。なんか衣笠にあげろ。なんでもいいからチョコ買ってやれ』

 は? なんで? だってもうこんなに食ってんじゃん。

『なんで』
『バレンタイン』

 バレンタイン、と上野が送ってきた瞬間、トーク画面にチョコが降った。おお…とそのシステムに関心していたが、いや待て、と気づく。
 俺が衣笠にチョコをあげる意味がわからなくない?

 確かに今日は校内ですれ違う女子がやたらとお菓子を配っている。朝から俺の周りを鬱陶しく動き回っていた衣笠は、ことあるごとに呼び止められラッピングされたお菓子をもらったり、タッパーに入ったお菓子をおすそ分けしてもらったりしていた。

 流石だな、というか正直見慣れた光景だった。高校時代からもうずっと、毎年この日は衣笠の周りには埋もれるくらいの人だかりができている。今は俺の隣でがりがりと献上されたお菓子を食べているけれど。

 あんだけもらったらもういいじゃん。しかもこの時間で食べきるんじゃないかってくらいの勢いで食べている。ひょっとして甘いもの、好きなのか? それは知らなかったな。

 ちら、と上野のほうを見ようとしたら、相変わらず俺から目を離そうとしない衣笠と目が合いそうになって慌てて視線を元に戻した。

『俺があげるの? 衣笠に?』
『じゃなきゃ、たぶん永遠に離れないぞ』

 というかただでさえ義理の一つももらえない悲しい男なのに、どうして気色悪い男にチョコあげなきゃならないんだ。バレンタインってそういう文化だっけ? あれ? バレンタインってどういう文化だっけ? とりあえずチョコ食っときゃいいのかな。

『やだよ。俺だってチョコ欲しいし』
『俺もだよ。あとで買ってあげるって』
『切なさが増すな』

 ふぅ、と隣の隣で上野が息を吐きだすのが聞こえた。はぁ、と俺も頭を抱えた。なんだ、この虚しい会話。隣の席では、ほろほろクッキーを食べていた衣笠が盛大にむせていた。なんだか腹が立った。

 むせる衣笠を横目に見ながら、ペットボトルのお茶に手を伸ばせばもう中身はなくなっている。なんだ、後で買いに行こう。

 講義も後半になれば、衣笠はあの量のお菓子を食べきってしまったらしく、ウトウトとし始めていた。俺の近くでカクン、と頭が揺れ、髪の毛が肩に触れる。その度衣笠はビクッと震えて体勢を戻すが、またすぐに船を漕ぎだした。

 次第に傾いていった体は眠気に抗うことをやめたらしい。衣笠は机に突っ伏して寝入ってしまった。ちょうど俺の方に顔を向けていて、少し横を向けば衣笠の寝顔が目に入る。

 腕にあたる頬がもちっと膨らんでいて、その寝顔はずいぶん幼げだ。つい魅入ってしまうしまいそうになるが、いつその瞼が開くのかわからなくて、ちらちらと見るに留めておいた。
 眠っていれば、かわいいのに。







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