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 会社へ戻る途中、いつも桃尾を見かける公園の前を通ると、今日は小さな子どもたちでにぎわっていた。

 滑り台もブランコも、順番を決めて代わる代わる楽しんでいる。これまで閑散としていたのが嘘のようだ。立ち止まった俺の前では、小さな男の子が褪せたパンダからピンクのライオンの像へ飛び移って遊んでいた。

 公園内を見回してみたが、桃尾の姿は見当たらない。いや、桃尾がいないから、こんなにも子どもがいるのか。

「……たしかに、あいつ不審者だよな」

 モデルかなにかと見まがうほどのイケメンではあるが、ピンク色の髪といい前衛的なファッションといい、まず見た目からして警戒してかかる。極めつけにはカルトオタクだ。危険視されていておかしくない。というかぜひそうしていただきたい。カルトなんて関わったっていいことないんだから。

 桃尾の神は何処かへ行ったと言っていた。ぼぉっと遠くを眺める目は、世間の小さな問題など何も気に留めていない。まるで浮世を生きていないような目をしていた。生まれたばかりの子どものように透き通った邪念のない瞳。

 桃尾にとって、宗教は信仰する対象ではないのかもしれない。現実から逃避する手段でも、生きやすさを手に入れるための救いでもない。桃尾はあくまで存在するものを探しているのだ。迷い人を探すように、神を探している。ただ、切実に求めている。その先にあるものが信仰なのか、独占欲なのか、支配欲なのか、ただの享楽なのか。それはわからないけれど。

 公園を通り過ぎ、駅までの道をショートカットしようと古い団地に入った。道は入り組んでいるが、大きな通りへ出るより早い。腰を曲げた爺さんが犬の散歩をしていた。静かだった。いくつものコンクリートの壁に囲まれ、僅かな音も響き渡る。

 布の擦れる音。何人かの男がぼそぼそと声をひそめている。強い語調で抵抗を示す声が聞こえた。ゴッと何かを叩く音が後に続く。紛れもなく人を殴る音だ。


「――っ!」


 暴れるピンク髪が目に入った。4,5人の男に囲まれどこかへ連れ去られようとしている。桃尾は金色の目をキッと細めて、腕を取る男を睨みつけていた。燃えるようなその目の強さは、普段の桃尾の全てを透かして結局何も映していないような目とまるで違う。

 なんだよ、そんな目をするんだ。

「…………、」

 なにそれ、まるで生きてるみたい。

 ドッと何かが胸の中で揺れた。全身をぞわり、と奇妙な感覚が駆け巡る。ちら、と桃尾と目が合ったような気がした。気のせいかもしれない。俺はそのまま桃尾が男たちに囲まれて、小さな集会所のようなところへ連れていかれるのを見ていた。

 いったいなんだったのだろう。団地の角にあるその小さな集会所の前で立ち止まっていれば、近くを通りかかったお婆さんが俺の横で立ち止まった。

「あんた、ここに用があるんか?」
「いえ……そういうわけではないんですけど。どういう場所なんだろうな、と」

 スーパーのレジ袋を抱えた婆さんは俺に胡散臭そうな目を向けると、口にするのも嫌そうに吐き捨てた。

「やめときなさい。怪しい集団だよ」

 ぎゅっと眉を寄せてそう言うと、婆さんはえっちらおっちらと団地を歩いて行ってしまった。視線を前に戻せば、扉の横の表札が目に入る。黒の御影石のようなものに、金色で文字が彫ってあった。

「……うーわ、なるほどね」

 ポラリスの守部、とある。あのノイローゼ宗教の一つの支部だろう。つい数週間前までそこの信者であった桃尾はもう辞めているはずだが、マインドコントロールにかなりの力を入れていたところだ。抜けるために揉め事を起こしていてもおかしくない。

 正直関わりたくなかったし、俺はまだ業務時間なわけだし、このまま帰りたかった。だけど、夕日のように激しく燃える桃尾の目を思い出す。俺はあの瞳をもっと見たかった。あんな目をする桃尾には興味があった。

 なんだかお経のような不気味が響きが聞こえてくる。仏教派生のカルトにしては、ぶどうが駄目であったり楽園がどうのこうのと、仏教とはえらいかけ離れているように思う。今、この中では何が起こっているのか。

 とても小さな建物だ。中は広くても8畳ほどなんじゃないだろうか。頭ではダメだとわかっているのに、気がつけば引き戸に手をかけていた。

 やめろ、関わるな。

 桃尾が何かを言う声が聞こえたが、一層大きくなった念仏のようなものを唱える声にかき消された。俺の頭の中も、この低く腹に直接響くような声がぐるぐると回った。何人もの男の声が重なり、不気味な周波を作り出している。

 金色の光が頭にちらついて離れない。
 激情を含んだあの目。
 その目に、俺は映る? 俺を、見てくれる?

 母の声が俺を呼んだ。


「――っ」
「っ!?」


 パァンッと大きな音が響き渡った。
 勢いよく開けた引き戸が凄まじい音を立てて、念仏が止まった。中は真っ暗だった。真っ暗な部屋の中、奥に神棚のようなものがある。金色に光っていて、ミニチュアサイズの礼拝堂みたいな豪華なものだった。

 狭い部屋に押し込められた大勢の男が円になって座っている。その中心では取り押さえられたピンク髪の男が蹲っていた。真っ暗な部屋に急に差し込んだ光に、虚ろな目を細めている。

 あぁ、あの光はもう失われてしまったのか。

 桃尾を見下ろす。頬が赤く腫れ、唇の端が切れていた。殴られたり、監禁されそうになったり、散々だな。おまけにもう一度洗脳までされそうになって。つくづく可哀想な男だと思うよ。

 ちょうど、連なった団地の隙間から太陽の光が差し込む角度になったらしい。狭い部屋の中に俺の影が長く伸びた。俺を認識したらしい桃尾が徐々に目を見開く。

「……」

 何をしてるんだよ。馬鹿じゃないのか。

 勝手に動くのを許さないというように、桃尾は左右の腕を取られている。俺がそんな桃尾に腕を伸ばせば、桃尾は大きな目をさらに見開いた。


「っ…………」


 きら、と目が光った。

 アンバーの瞳の中で一際明るい星が散る。

 目が、合った。俺を見つめる桃尾の瞳が、消えた炎を取り戻すように熱く揺れた。

 俺が映っている。こいつの目に、俺が映っている。心が通じた激しい快感で全身が痺れた。

 桃尾は何かを言おうと、口をぱくぱく動かしていた。どよめいていた周囲の男を押しのけ、蹴散らし、俺の手を蜘蛛の糸に縋る亡者のように握った。

「……あ、会いたかった……」
「…………」

 かさついた声は震えていた。
 見開いた金色の目から涙が零れ落ちる。口の端についた血が痛々しくも美しかった。

「ずっと、ずっと……会いたかった……」

 尋常じゃないくらい震えている桃尾の手が冷え切っている。ぎゅっと握り返せば、桃尾はすとんと尻もちをついてしまった。信じられないものでも見上げるように俺を見て、ゆっくりと俺の前に跪く。

 俺は桃尾の奇行をぼぉっとした頭で眺めていた。脳みそがじんじん痺れて、今何が起こっているのかをあまり認識できていなかった。

 桃尾が地面に頭を擦り付けるようにして、俺の靴に額をつける。一瞬、燃えた金色の目で俺を見上げると、ゆっくりと、汚れた靴に舌を這わせた。切れた唇の端からは赤い血が流れ、西日を反射してきらきらと光っている。形の整った唇から覗いたピンク色の柔らかそうな舌が、なんの抵抗もなく、俺の何の変哲もないビジネスシューズを舐め取っていく。

 恐ろしく美しい男のその儀式めいた行為を見下ろしながら、俺は全身に血が巡るのを感じていた。ピンク色の髪をした男が、ゆらりと顔を上げる。俺を見上げてうっそりと微笑んだ。


「会いたかったよ……ボクの、神様」





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