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 退屈そうだね。
 そんな顔をしてどうしたの? 幸せそうなカップルが鬱陶しいかい? 大きな声で喋って笑う高校生が癪に障るかい? 不機嫌そうなサラリーマンにこっちまで苛々してしまうかい?
 そんな生きづらい君にプレゼントを。
 え、何って? そりゃぼくのことさ。リボンでも巻いてラッピングでもすればよかったかな。でも君、そんな小っ恥ずかしいカップルみたいな真似は好まないじゃないか。
 さあ、受け取って。ぼくを拾って。ぼくは魔法のランプなんだから。三つと言わず叶えてあげる。君の願いは


「うっわ、キッモ」
「え、ウソひどくない? いきなりひどくない?」
「は? なに? なに喋ってんの」

 平日の昼下がりだった。
 ベランダで煙草を吸っていた時、そいつは現れた。

 古びた団地の4階。狭いベランダの室外機の横で、風で飛んで来た砂が排水溝に泥だまりを作っていた。そこに陽の光を受けた緑の葉がぴよんと伸びている。

 なんとなく目にとまったそれに俺は煙草の煙を吹きかけてみたのだ。そしたら葉っぱがピロピロピロ〜と動いて、疲れていた俺はそんなことでケラケラ笑った。

 そしたら、喋ったのだ。葉っぱが。
 びっくりして灰を落としたら、熱い! と言いやがった。

 目を擦ってもう一度排水溝を見る。可愛らしい緑色の葉が揺れている。勘違いかもしれない。気味が悪いから抜いておこう。

「いで、いででで」
「は? なんで抜けないの」
「抜こうとするなよ。わっ、ちょ、ごめ、ごめんなさい。いてっ、引っ張らないで」
「え」
「ほ、ほら! 何か願い事はないかい? なんでも叶えて、アッ、そこ……っ!」

 いくら引っ張っても抜けない雑草に諦めて、指の腹で擦って遊んでいたら今度は喘ぎ始めた。マジで気持ち悪いな。あとで珂雁に抜いてもらおう。

「話を聞けよ! 例えばさ、ほら」

 葉っぱの先がぴょんこぴょんこと動いている。漫画のコマだったら汗のマークが飛んでいそうだ。

 俺はもうこの幻覚に構っているのも面倒だったから、煙草の火を消して部屋に戻ろうとしていた。後ろから呼び止めるような葉っぱの声が聞こえる。

「ねっ、例えばここから出たい、とかさ?」
「……」

 嫌味のつもりか?
 知っているのなら、どうしてカップルがどうのサラリーマンがどうの高校生がどうだと言ってくるんだ。俺はそんなもの、全部テレビの中でしか見たことがないよ。

 振り返って排水溝を見下ろした。ベランダの隙間からは、地上の駐車場とその近辺の植木が目に入る。地面が遠い。そこに足をつけたのはいったいどれだけ前になるだろう。

「死ねよ」

 吐き捨ててベランダの戸を勢いよく閉めた。俺の世界はこの古びた団地の一室だけだ。

 勢いよくドアを閉めたせいで、部屋中が軋んだ音がした。シン、と静まり返った部屋に、隣に住む爺さんが聞いている大音量のテレビの音が漏れてくる。

「夕陽、家が壊れる」
「わっ、か、帰ってたのかよ」

 どこからともなく、囁くような声が聞こえてきて思わず飛び上がった。振り返れば台所で珂雁が紅茶を淹れている。俺には目もくれず、蒸らし時間を測る砂時計に視線を落としていた。

 端正な横顔だ。少し長い髪がはらりと落ち、緩慢な仕草で耳にかける。10年以上一緒にいるのに、初めて会った時とまったく変わらない。俺は未だに珂雁がいくつなのかも知らなかった。

「ねー、後でベランダの掃除してほしいんだけど」
「汚したのか?」
「違くて。なんか葉っぱが」

 ポットの紅茶が琥珀色に揺らめいている。茶葉を抜いた珂雁はカップに紅茶を注いで、そっとティーカップをテーブルの向かいに差し出した。そこで初めて、俺はこの家に俺と珂雁以外の人間がいたことに気が付いた。

「……」
「どうぞ……ミルクが欲しい?」

 優しい声だ。夜を凝縮したみたいな珂雁の静かな声は、聞いていて眠気を催すほどに心地いい。

 紅茶を差し出されたほうは恐縮したみたいに震えていた。珂雁の美しさを前にすれば誰だってこうなる。

 俺は来客の前でみっともない話をしてしまった恥ずかしさと緊張で何事もなかったかのように黙りこくった。

「レモン……いや、お砂糖を入れようか。それとも、蜂蜜?」
「っ……っ……」

 微かな息遣いが聞こえる。落ち着かない。人間じゃなくて動物みたいだ。知らないけど。
 でもほら、ハムスターとかの心音ってこのくらいじゃない? ハムスターなら飼ったことがある。俺がどうしても犬を飼いたいって駄々をこねたら、珂雁が買ってきたんだ。

 珂雁の前に座る人物にはっきりと焦点があった。オェ、なんだよ嫌だな。
 子どもだ。隣の椅子に黒のランドセルが置いてある。

 座ると床に足もつかない。まだ小さな少年はがたがたと震えていて、珂雁の入れた紅茶には手を付けようともしなかった。美味しいのに。俺が飲みたいよ、それ。

 珂雁の淹れる紅茶はすごく美味い。俺は珂雁の淹れた紅茶しか飲んだことがないからわからないけれど、でもきっと誰にも引けをとらないほど美味いんじゃないかと思う。

「ケーキを買ってくればよかったね」

 子どもの隣にやってきた珂雁が、自然な仕草で少年の柔らかそうな髪を撫で、鼻を近づけた。すぅ、と大きく珂雁が息を吸うのに合わせて、少年の体が固まっていく。

「ふっ……ぅ、うっ」

 ついにすすり泣くような声が少年から漏れた。ハッと笑ってしまった。
 よかったじゃん。これから気持ちいいこと、いっぱい教えてもらえるね。そんな経験できる奴が何人いると思う? まあ、けっこういるんだけどね。

 珂雁の手が少年の体に回り、その白くて大きな手のひらが小さな少年の体を撫でていった。服の擦れるささやかでいて生々しい音が聞こえる。

 背中に当たる陽射しが暑い。窓も開けていないから、室内は熱せられた空気がこもっていた。サウナや温室ってこんな感じなのかもしれない。珂雁も夏によく言っている。この家はサウナみたいだって。

 小さなリップ音が聞こえた。珂雁が少年の首筋に吸い付いていた。

「ぁ……」

 僅かに漏れるあどけない声。まだ高い子どもの声だ。いいな、いいな。そんな声を持ってるの。

 珂雁の手が這いまわる。少年のハーフパンツの中に入っていったその手がどう動くのか、俺は知っていた。

「っ……」

 ゴムの緩んだズボンの隙間から勃起していたちんこに手を伸ばす。体が汗ばんでいくのを感じる。俺はただ、珂雁から目を離さなかった。珂雁の手を、指を、想像して自身に触れる。ちらつく子どもの後ろ姿が邪魔だった。

 精通前なのだろう。少年はすすり泣くような声を漏らしていたが、そこには確かに快感に対する戸惑いがあった。ぎゅっと珂雁の服を握りしめている。小さく抵抗を示す声を上げるが、それは拒絶とは言えなかった。

 若干荒くなった珂雁の吐息に耳を澄ませる。子どもの声が邪魔だ。

「怖くないよ」

 珂雁が囁いた。少年に言った言葉だと分かっている。耳元で囁かれるのを想像して、俺は自身を扱く手を止めずに目を閉じた。

「このまま身を任せて」
「っ、や……っ、なんか、へん……! や、お兄さん、もぅやだっ」
 
 クソが。うるせえな。
 目を閉じたって集中なんてできやしない。盛大に舌打ちをしたい気分だったけど、珂雁に聞かれるとまずいから唇を噛みしめて堪えた。

 幸いこんなことでは萎えることもなかった。俺は珂雁から目を逸らさずに、その表情、動き、髪の毛の揺れまでも、すべてに神経を傾けた。そうすれば自然と珂雁の匂いも鼻先に掠めるように蘇ってくる。

 大丈夫。まだ、忘れてない。大丈夫。

「ぁ、あ、ふ……っ、や、やぁっ! なんか、くる……っ!」
「いい子」

 笑い混じりの声だ。機嫌がいい。
 珂雁も少し息が上がっていた。髪が乱れるのも構わず、少年の首筋に顔を埋めてはその肌に痕を残す。唾液が糸を引くのが見えた。ちらちらと光っていた。

 珂雁の腕の中で子どもがビクン、ビクンと震える。珂雁の濡れた唇がうっすらと持ち上がった。

 かわいいね。

 子どものふっくらとした頬に白い頬を摺り寄せ、そう言ったのが分かった。ただでさえ囁くような珂雁の声は、子どもの激しい息遣いにかき消されてしまったけれど。

「っん」

 思わず声が出かかって慌てて口を塞ぐ。ちょっと遅かったかもしれない。

 一瞬脳がばちん、と電気でも流されたかのように明滅する。手のひらに熱いものがびゅっと散った。下着を汚したくはなかったけれど、案の定手のひらだけでは受け止めきれなかった。
 これも全部、この子どもが悪い。

 べっとりと濡れた下着にげんなりしながら、ズボンから手を引っこ抜く。てらてらと光っていた。健康的な陽射しには似合わないな。

 処女のような悲鳴が聞こえて顔を上げれば、珂雁が少年のズボンを下ろして小さな性器をパクリと咥えたところだった。

「や、やだぁ! やだっ、いやぁ!」

 だから、うるせえんだよ。
 そのまま衝動的に少年に汚れた手を擦り付けたい気分になったが、珂雁の前でそんなことできるはずもない。
 近くにあったティッシュで手を拭うと、俺はそのままベランダへ出た。


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