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「今日、もしかしてうるさかった?」
「え、なにがです?」

 隣室がすっかり静かになって、女の子が帰った気配を感じ取ってからリビングに行くと、シャワーを浴びたばかりの折本が水を飲んでいた。やっぱり俺が立てた物音は壁伝いに聞こえていたらしい。

「なんか壁ドンされた気がしたから」
「あーそれ、壁ドンじゃなくて台パン」

 声が聞こえていないのであればよしとしよう。答えれば折本がケラケラと笑い始めた。

「イライラすんなって。何? ぼこぼこにされたの?」
「ソロプレイは駄目っすわ。あいつら俺のこと殺した挙句追いはぎしていった」

 俺も俺でよくもまぁ、ぺらぺらと嘘が言えるものだ。折本は疑うでもなくひぃひぃ笑っている。なぜか折本は昔から俺が口を開けば笑い始める。ありがとう。ニートだけど、今日も折本を笑わせられて俺、嬉しいよ。

「あ、そういや俺、来月の頭に」

 俺を振り返って折本が口を開くと同時に着信音が鳴った。折本が眉を上げて、スウェットのポケットに手を突っ込む。もちろん、折本の着信だ。俺に電話なんてかかってこないからね。

 折本は俺が目の前にいようと気にすることなく電話に出ると親し気に話し始めた。盗み聞きするつもりはないので、離れて明日の朝食の準備をする。明日は余った食パンを使ったフレンチトーストだ。今日のうちに浸しておくと朝が楽になる上に美味い。

「――あぁ、ごめん。ちょっと外に出てて、今帰ったとこ」

 聞くつもりはなかったけれど、聞こえてしまうのはしょうがない。嘘吐いてらぁ。口調から見るに、きっと相手は女だ。その人、ついさっきまで別の女とワッショイしてましたよ! と叫んでやろうかと思った。一回くらい痛い目見やがれ。

「……うん、それでこないだの式の話なんだけど」

 何の話だって?

「あっはは! 課長もスピーチ頼まれるの始めてだからって緊張してたよ」

 式? スピーチ? 何、お前結婚式でもすんの? 誰とだよ。俺に見せてみろよ。折本につけられたキスマーク見せびらかして「誰よその女ァ!」って言ってやる。もう痕なんて残ってないけど。

「じゃあ、また」

 電話を切った折本が台所まで戻ってくる。そういえば折本も何か言いかけていた。

「お、なに明日」
「フレンチトースト」
「おぉ、やった」
「好きだよな〜お前」

 どうにも、気になる。式が何? スピーチが何?

 妙に気になる単語ばかりを聞き取ってしまったせいで落ち着かない。でも深入りはしない。折本は意外とパーソナルスペースを守る男だ。だったら俺も、同居人のプライベートな事情には首を突っ込まない。

 首は突っ込まない、けれど。

「折本、何か言いかけてなかった?」
「あ〜来月、ちょっと同期の結婚式で二日くらい空ける」
「ほぇ〜めでたいねぇ〜」

 やっぱり結婚式か。同期の、ね。そりゃ、俺たちだってもう二十六だ。二十六……? 深刻な事態じゃないか。なんで結婚してないんだよ、折本。

 今でこそ遊び呆けている折本だって、年齢的にもそろそろ落ち着く時期だろう。恋人ができたら、結婚することになったら……

 もともと終わりのある生活ではあった。いつまでも折本とこの同居生活を続けられるわけではない。来年は? 再来年は? 明日は?

 折本がいなくなったら、社会との繋がりが一切ない俺は今更どうやって生きていけばいいのだろう。現状、折本颯の懐で生かしてもらっているに過ぎないのだから。

「真崎?」
「……ん?」

 この二年間、のらくらとニート生活に主夫という大義名分を押し付けて甘えてきた。この生活を失いたくない。働きたくない、という意味ももちろんあるにはあるが、そういう問題じゃない。

 折本颯のいる生活を失いたくない。

 折本が帰ってくる家。他人のために作る飯。美味いと言ってくれる人間。下品なワイドショーを見ながら下らないジョークを言い合って馬鹿みたいに笑った。

 俺が働き始めれば、ルームシェアは解消されるだろうか。でも、折本がもし今後結婚するなんてことになったら、当たり前だがルームシェアなんてしてられない。だって別に俺たちは恋人でもなんでもない、ただのルームシェア相手だ。

「大丈夫か?」
「え、うん。卵液に魂落とし込んでた」
「食べづら……」

 就活、するか。


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