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 思い立った勢いで入れた転職アプリは、アットホームな職場です、のオンパレードで頭が痛くなった。楽しそうに笑っている社員を映した気持ち会議中のような写真にも嫌気がさす。そうはならんやろ。トラウマを刺激しないでくれ。

 働いていたのは二年も前だ。前職の職種的に求人には困らないが、その分グレーもブラックも跋扈している。もう二年前のような日々を繰り返したくはない。ブラック企業勤めなんて一度で十分だ。

 ようやく人間らしい生活を送れるようになったのだ。ニートではあるけれど、俺はちゃんと健康的に生きている。そりゃ、ちょっと運動不足気味ではあるけれど。十分な睡眠時間を取って、しっかりとご飯を食べて、たまにセックスもする。ちょっとちんこに依存してるけど、
 でもそれでも、俺は生きている。

 転職アプリに表示される求人に、勝手に親の仇並みの嫌悪を抱いてしまったせいで早々にアカウントを削除してしまったが、ちょっと早まったかもしれない。

 東條くんの助言を思い出しハローワークにも行ってみた。けれど今の俺にはまだハードルが高かったようだ。

 二年間、折本以外との人間関係を絶ち切っていたのだ。仕事をやめてからはろくに実家にも帰っていない。ニートが顔向けなんて恥ずかしくて、ずっと避けて通ってきた。

 そんな状態だったから、今の俺にとって数時間も他人と一対一で密な話をするのは相当なストレスだったらしい。終わった頃にはへろへろで、正直もう働く気持ちなんて消え失せていた。

 キツイことを言われたわけでもないのに、なぜか気持ちが沈んでいる。気を抜けば涙が出てきそうで、意味が分からない。いい年をした大人なのに、はっきりとした受け答えもできなくて、改めてどこにも所属していない自分が社会から孤立していることを突き付けられた。そうやって勝手に自分の人生を否定しては悲しくなる。

 相談を終えてもまっすぐ帰る気にはならず、昼間の住宅街を徘徊していた。目に付いたコンビニで酒を買っては一気飲みして、また歩いて酒が抜ければ目に付いたコンビニに入る。

 やっていることが最早浮浪者だ。ハローワークに行って俺より救えなさそうなおっさんたちを見て触発されてしまったのかもしれない。気がつけばバスを使って行ったはずの場所から、俺は徒歩で帰っていた。その間何本酒を飲んだか知れない。

 気がつけば辺りは暗くなっていて、家に帰れば部屋の電気がついていた。
 折本が帰っている。

「遅かったな」
「うん。ただいま」

 おかえりを言えないのはいつぶりだろう。折本は意外そうに眉を上げて帰ってきた俺に声をかけた。

「どこ行ってた? パチスロとか手ぇ出すなよ? ただでさえニートなのに」
「うーん、就活」
「は?」

 ぽん、と考えるより先に言葉が出てくる。沈黙に、お湯張り完了の音楽が流れた。あ、風呂やってくれたんだ。サボっちゃった。ペナルティとかあったっけ。

 手を洗ってリビングに戻れば、折本がポカンと口を開けていた。指の間で煙草が落ちそうになっている。その間抜けな顔を見て、自分がさっき無意識に答えた言葉を思い出した。

 折本は俺が働くだなんて少しも考えていなかったようだ。なんでそんなに驚くんだよ。働いてないんだから金だって尽きる。もしそうなったら折本は俺のことを養ってくれるのか?

 俺たちはただの同居人だ。そんなことをする義理もない。もし無条件に養ってくれるのなら代わりになんだってするけれど。家事だって、セックスだって。

 俺のこと好き? 俺はお前のこと好き。素面で言ったことはないけれど、でも、お前だって、素面で俺にキスしちゃうくらいには俺のこと好きじゃない? だったら、このままずっと一緒にルームシェアしてりゃいいよ。

 まぁ、それが現実的でないから働こうとしてるんだけどさ。

 ぱっとこっちを見た折本の目の前にドン、と日本酒の一升瓶を置いてやる。目を見開いて俺を見上げていた折本の視線が酒に向いた。

「なんスか……この酒」
「就職祝い」
「…………は?」

 嘘だけど。

 本当に、俺には折本しかいないのだ。お前に分かるか? 俺にとって、折本の存在がどれだけ大きいか。俺が折本をどれだけ必要としているか。今も昔も、お前は俺の命綱なんだよ。

「……もう、決まったの?」
「うん」

 折本の手からタバコが滑り落ちていく。危ない、危ない。不始末で火事にはするなよ。

「だから、お祝い。折本の寄生虫も、共生細菌くらいにはなれたっしょ」
「いや、待て……」

 視線をきょろきょろと動かしながら折本が髪をクシャっとかき混ぜた。頭を抱えてぶつぶつと呟いていたが、ハッと俺に指を向ける。

「どこだ? 場所は? 最寄りは? ここから近いのか? 交通手段は? というかまずは社名を」
「まずはおめでとうだろバカ。おら、飲め」

 つい自棄になって買ってきたのは日本酒エリアで一番高値だった大吟醸だ。折本は何杯で潰れるか。情緒もへったくれもないグラスに酒をついで折本に渡す。折本は目をぐるぐるさせながら、カッと酒を飲み干した。

 マジか。喉でも乾いていたかな。

「お兄さん、そこは普通乾杯しない?」
「っ、あ、悪い、つい、いやあの、ごめん」
「いいよいいよ、どんどん飲んで〜」

 もう一度注いでやれば、今度は折本も俺が飲むのを待っているようだった。複雑な顔をしていて、口元を引くつかせている。今さら嘘を言ったことに罪悪感を覚え始めた。俺のこと、疑わないんだ。

「いやぁ〜真崎くんもついにニート卒業ですわ」
「いやぁ〜マジか」

 カン、とグラスがぶつかった。何の乾杯だよ、これ。就職先なんてそんな一瞬で見つかるわけないだろ。俺はろくに他人と話せもしないんだぞ。

「というか、それっていつから出勤で」
「いやぁ折本くんには世話になっちゃったからね」

 ペースが速い。折本のグラスは氷が入っていたからとはいえ、もう半分ほどになっている。俺はそこに酒を注ぎ足した。フルーティーな甘口の日本酒が好きな折本には、俺好みの辛口はちょっときついかもしれない。さぁ、どんどん飲め。

「しばらくまた迷惑かけるかもしんないけど」
「なあ、職種は? そんな急いで決めることないんじゃないの?」
「飯は俺が作るから」
「本当に大丈夫なのか? 残業時間は? 年間休日ちゃんと見た? 代休とかちゃんと取らせてくれるのか?」

 ああ、もう、うるせぇ。黙って飲めよ。

 ひたすら質問攻めにしてくる折本をテキトーにあしらいながら酒が減ったら注ぎ足して。重かった一升瓶の中身が軽く感じてきた時、ちら、と折本を窺えばとっくに顔を真っ赤していた。流石は度数14%。こんなにハイペースで飲むものじゃない。

 折本はあぐらでは体を支えられなくなったのか、膝を抱えて顔を埋めていた。赤い顔は火照って、若干汗が浮いている。浮いた汗が光を反射して、艶やかに光った。目元が潤んでいて、あぁ、酔ってるなと思った。

「真崎……」

 舌足らずにそう、俺の名前を呼ぶ。机の上に置かれた折本の手が伸びて、グラスを握る俺の指を撫でた。

 上目遣いで俺のことを見上げて、目が合ったら睨んでくる。

「出ていくとか、言わないよな」
「……うん」
「言わない?」
「言わない」
「本当に?」
「もちろん」
「嘘だ」
「なんで」

 ぎり、と折本が俺の指に爪を立てた。明るい色の瞳が、きゅっと細められたことで暗くなる。そんなに睨むなよ。俺は出て行かない。でも、今後何があるかは分からない。

 もし折本が出ていく、なんてことになったら、俺は困るんだよ。だいたいこんな男二人のルームシェアが何年も何十年も続くと思うか? お前は十年後もこうやって俺と生活しててくれるのか?

 そう思うけれど、折本の俺を引き留めるような言葉を聞いて確かに安心していた。

「だって、そうじゃないと、急に就活なんてしない」
「いや、健康な成人男性なんだから俺だって少しくらい無職に焦りますぅ」
「……」
「出て行かないよ」
「……」
「そんなこと、するわけないじゃん」

 急に、ぐいと腕を引っ張られた。折本の顔がすぐ近くに来る。近くで見ても粗の一つも見当たらない。俺とは正反対な男。

 折本は唇があたりそうなほどの至近距離で俺を睨みつけた。長い、長い。この顔面をこの距離で拝むなんてせいぜい二秒が限界だ。何をするでもなく、ただじっと、俺を睨みつける。大層機嫌が悪い。なんだか本気で機嫌が悪い。

「お、怒ってる……?」
「別に」
「怒ってね? 近いんだけど……あ、いや、別に嫌とかではなく。ほら、離れて。真崎くんがちゅーしちゃうぞ」
「……いいよ」
「え、いいの?」
「ダメなの?」
「いいけど……」

 ぽぉっとした顔で、折本は俺の腰に手を回した。目元がうっすらと赤く、酔いが回っているのが見て取れる。流石に日本酒は発泡酒やビールに比べて酔いが回るまでが早い。

「じゃあ、しろよ。早く」
「はいはい」

 もう少し飲ませておこうか。でも、もう十分酔っているようにも見える。呂律もだいぶ怪しいし、普段の折本だったら記憶も飛んでておかしくない。きっと今立ちあがらせたら、そのまま倒れるんじゃないかと思う。

「あ、ちゃんと舌絡めるほうのやつね。やる気なかったら犯す」
「絶好調じゃん……」

 なんなら、俺のケツ貸してやってもいいけど。というか、ちんこ貸せよ。今日はもう、全部忘れたい。折本は忘れさせてくれるでしょ。どうせお前は忘れるし。

 俺は不誠実だ。折本のことをヤリチンだなんだ、クズだなんだと言うけれど、俺だって最低でクズで、自分のことしか考えていない。いいや、折本のことしか考えてないんだけど。でもそれは全部、結局回りまわって俺のことしか考えてないことになる。要するに俺はクソ。

 自己嫌悪がすごい。もういっそ、二人で全部忘れてしまおう。

 日本酒を口に含んだ。重い香りが咥内に広がり、喉が熱くなる感覚と共に食道を落ちていくのが分かる。もう一口煽ると、そのまま飲み込まずに折本の頬に手を沿えた。

 折本の潤んだ瞳がきら、と光る。ずいぶん楽しそうに、期待の籠った眼差しで俺を見つめ返す。

 触れた唇は相変わらず柔らかい。力の抜けたそれを舌で押せば、ふに、とした感触の後、抵抗なく中に導かれた。口に含んだ日本酒がこぼれる前に、折本の咥内に流し込む。口を離せば透明な唾液が糸を引き、折本の喉仏がごくんと上下した。

「……これで、終わり?」

 不満げに俺を見てフン、と鼻を鳴らす。顔はかわいいのにかわいくねぇ。俺も折本を見下ろして鼻で笑ってやった。

「いーや?」
「んふ、童貞真崎くんのキスだもんね。こんなんじゃ足りないでしょ」
「まあね」

 両手で折本の頬を包み、唇を合わせる。何度もされてきた折本のキスをなぞるように、角度を変えて唇を食む。柔らかい折本の唇と俺のかさついた唇が触れ合うのが気持ちよかった。角度を変える度に、どんどん深くなっていく。折本の膝の上に乗り上げていた俺は、気がついたら折本を押し倒していた。

 ちゅぷ、と小さな音を立てながら深くなるキスに夢中になっていれば耳の辺りをくすぐられた。触れられた箇所から痺れるような甘い電流が走る。対抗するように折本の髪を梳けば、折本は絡みついた舌はそのまま、俺の咥内に侵入してきた。

「ン……っ!」

 口の中に入ってきた舌が、舌を吸い上げ上顎をなぞる。なんともいえない感覚に腰がびくびくと震えた。

「ぁ、」

 出そうと思ったわけじゃない声が自然と漏れ出てしまう。俺の耳元をいじりながら髪を梳いていた折本の手が、今度は首筋をくすぐった。

「う、ひゃっ」
「ふっ」

 笑ってんじゃねぇよ。お前が変なところ触るから。顔を離すと、折本は熱気を孕んだうっとりとした顔で笑っていた。うわぁ、この顔。そうだよ、この顔。折本がテンションが上がると見せるエロい顔。

「ん……お、りもと」
「ぁあ?」

 ああ、そうだ。忘れてた。今のお前はこう呼ぶと怒るのだ。

 すっかり力の抜けた体が折本の上に身を預けている。辛うじて顔を上げると、折本の唇を指でなぞった。指に折本の熱が触れるだけで、一つになっているみたいな感覚になれる。もっと触れて、どっちがどっちか分からなくなるくらいお互いの体温を混ぜ合いたい。

 折本の汗を拭って、口の中に指を突っ込めば、当たり前のように舐められる。指が濡れていることも構わず折本の頬を掴んで引き寄せた。お互い荒くなった息のせいで、キスをしていると熱くてたまらない。

 でも、この熱が堪らなく気持ちいい。唇を離したら唾液が糸を引いて、落ちていく。唇を濡らした折本に、俺は息を吐きだすようにして笑いかけた。

「はやて」

 俺の腰を撫でていた折本の動きがぴた、と止まる。飲み込まれるんじゃないか、と思うくらい、折本は俺の目をじぃっと見つめた。酔いの回った潤んだ瞳が溶け出すようにして細くなる。

「はぁい?」

 かわい子ぶるな、と口を開こうとしたら、後頭部に添えられた手に急に力が入った。

「んぅ⁉」

 まるで喰われるみたいなキス。唇を吸われ、角度を変え、繰り返す度に深くなる。折本の舌が絡みつき、唾液が混ざりあう。触れる折本の肌は酔いのせいか、とても熱かった。終わりが見えないキスに苦しくなって顔を反らそうとすれば、すぐさま折本が追ってくる。

「っふ、ん、ぅ……っ」
「っは、ぁ……まさき」

 甘い声だ。上機嫌で艶っぽくて、脳みそを溶かすみたいな。

 折本の指が伸び気味の俺の髪を耳にかける。そのまま耳の裏をなぞるようにして遊びながら、気持ちよさそうに目を細めた。

「好きだよ」

 ドッと心臓が押されたみたいに息が詰まる。じわ、と広がっていく感覚に唇を噛んだ。好きだよ。俺も好き。信じていい? それとも酒のせい?

 本当に好きなら、素面で言えよ。キスはできるのに言葉にはできない? いや、俺が言うなって話か。嫌な人間だな。全部を知ってるのは俺だけみたい。
ごくり、と唾を飲み込むと、折本を見つめてゆるりと笑った。

「俺も、好きだよ」



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