3.Boy gets boy


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「僕は櫻が大好きだよ」

 いつか同じような言葉を言われた気がする。その時はもっと弁解するような響きだった。たった今聞こえた言葉はそんな宥めるようなものじゃなくて、心底人間の温もりを持った響きをしている。

 西日の温かい夕暮れ時の穂高の部屋。湯気の立つ湯飲み、ヒヤシンスの匂い。

 ぱちりと目を瞬く。目を伏せた穂高がほほ笑んでいた。迷いなく伸ばされた手が湯飲みを握る。

「もう一回言って。よく聞こえなかった」
「さっきからそればっかだなぁ」

 ふふ、と笑った穂高が肩を揺らしている。楽しそうに、嬉しそうに目が細められる。

「僕は櫻が大好きだよ」

 ゆっくりと、一音一音を象る唇をしっかりと見つめた。

「櫻が……櫻が……俺の、ことが、」

 喘ぐように酸素を求める。頭がくらくらした。視線を穂高の頭上に向ける。
 化け物はもう、いなかった。

 俺だけの。俺だけの穂高。

「櫻」

 穂高にしては珍しく、鋭く名前を呼ばれた。ゆらりと視線を穂高に戻す。

 透き通った水晶玉のような、どこまでも見通せる綺麗な瞳。

 穂高は俺をまっすぐに見つめ、ゆっくりと口を開いた。こくり、と唾を飲みこむ。穂高の唇が開く。艶やかな唇から明るい声がすぅっと出た。

「櫻は僕のこと、好き?」
「好き……大好き……」
「ずっと、好き?」
「ずっと好き」
「離れたくない?」
「離れたくない」
「他にどんな人が櫻を好きになっても、僕が一番好き?」
「穂高が一番好き」

 ゆっくりと、穂高の口角が持ち上がった。嬉しそうにしてる。よかった。満面の笑みを浮かべた穂高は、俺に向かって両手を伸ばしてきた。

「じゃあ櫻、キスしよ」
「え、う、うん……」

 机に乗りあがってぺたりと座った穂高が俺の頬に両手を沿える。穂高がこんなことをするなんて珍しい。行儀が悪いよ、とそう言いかけた唇を塞がれる。

 持ち上げられた顔をぐっと引っ張られ、柔らかい唇が当たった。ゆっくりと押し当てられ、その柔らかさと仄かな温かさに驚いて目を開く。

 目を閉じた穂高のまつげが俺の頬にぶつかった。窓から差し込む夕日に、穂高の色素の薄い髪がきらきらと光っていた。角度を変えて何度も重なる唇がだんだん溶け合うように思えてくる。あまりにも暴力的だった夜盗と違い、穂高のキスは脳を溶かすような甘やかさだ。

 長いこと、慣らし合うように触れ合うだけだった唇がふいに離れる。穂高が俺の両頬を両手で挟んだまま上を向かせた。離れていく微かな熱が寂しくて、思わず穂高の腕を掴む。

 追いかけるように穂高の唇を軽く舐めれば、驚いたように肩を震わせた。そのまま薄く開いた唇を舐め、控えめに舌を入れる。ぴちゃ、と小さな水音が立ち、ひくん、と穂高の身体が揺れた。

 慣れないことに二人して覚束ないながら、必死になって舌を絡めた。は、と熱い息がかかり顔を離す。目を閉じた穂高は頬をピンク色に染めていて、唇は濡れて艶めいていた。

 その様をぼぉっと眺めていたら、穂高の目がゆっくりと開いた。

 大仏に目が書きこまれたとき、それはこんな風に神秘的だったのかもしれない。

 “目”が合った。まっすぐに、心の底まで見透かすような、あのビー玉みたいな綺麗な目。はっきりと意思を持ったソレ。

 常にボンヤリとここではない何処かを見つめていたその瞳が、はっきりと俺を見ている。俺にだけ、焦点が定まっている。

 ドキリとした。

 なんでだろう。見えているの?

 見覚えがある。この感じ。

 下まぶたがきゅ、と持ち上がり、緩く細められた。確実に、明確に、穂高は俺を見ていた。俺の目を、鼻を、口を、髪を、心の底を、全部。

 全部、見えている。

「っ……」
「櫻」

 見られている。こんな醜い俺を。内臓が焼けるような感覚が一瞬だけした。

「だめ。逸らさないで」

 だめだ。見ちゃだめだ。
 俺のこと、嫌いになったりしない? お前の友達を奪って喰った。こんなの人間じゃないだろ? こんな奴を好きでいてくれるの?

 ぞわりと鳥肌が立ち、全身の至るところから、口がぱくりと開く。ぎょっとして俺は目を見開いたが、穂高は動じなかった。

 はくはく、と息をして、穂高を見上げる。言い訳をするようにただ首を横に振った。かたかたかた、と俺の体についた口が音を立てている。

 そうか、もう目はないのか。夜盗の目は。

 瞬きをすればはらりと涙が落ちていった。

「櫻」

 穂高が手が俺の頬を撫で、首筋をなぞり、唇に触れ、目元の涙を拭った。くす、と笑う声が聞こえる。

「かわい。櫻、大好きだよ」

 なぜだかぽろぽろと涙が出てくる。羞恥なのか、恐れなのか、何の涙なのか自分でもよく分からなかった。頬がぐちゃぐちゃになって、鼻下から垂れる鼻水が口に入ってくる。そんな俺を見て穂高は笑った。

「ごめ……ごめん……おれ……ゆる、して……」
「あははっ」

 こんなに声を上げて笑うなんて珍しい。楽しいの? 嬉しいの?

 全身が震えていた。俺を見下ろした穂高の目が三日月型になる。射止められて動けない。そのあまりにも魅惑的な瞳が近づいてきて視界いっぱいに広がった。こつん、とおでこがぶつかり、穂高が濡れた俺の目元を舐めていった。

「ゆるすよ、ぜんぶ。だって僕が望んだことだもん」

 そう囁いて離れていった穂高は相変わらず微笑んでいた。穂高のふんわりとした笑顔は無邪気さと妙な湿っぽさをはらんでいる。そんな目で見つめられてどくどくと胸が脈打った。大人びた色気すら感じる穂高の表情に恐ろしくなる。

 肌が触れている箇所から、熱が伝わってくる。そこから何かが流れ込んでくるような感覚があった。
 強引で激しい感情の渦。

「…………よ、とう?」

 そんなはずない。アイツは消えた。アイツは俺だ。俺がアイツだ。お前のたった一人の友人だ。

 馬鹿みたいなことを口走った俺を見つめて、穂高はおかしそうに笑った。

「僕は穂高だよ」

 やっとみんな一つになれたね。
 穂高の弾むような声は、俺と穂高の唇が合わさったことで溶けて消えていった。




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