第1話


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溺れるような湿度に蒸されたような暑さ。誰もいないのをいいことに油断した。

「…麦原?」
 
顔を覗き込んでくる男とばっちりと目が合った途端、サアッと血の気が引くのが分かる。
 気づけば目の前の男を突き飛ばし、雨の中へ駆け出していた。停留所へ傘を忘れたことに気づいたのは寒気にくしゃみをした時だった。





 「むぎ、学校行くぞ」
 「…やだ」
 「…なんで」

 高校生になってまで小学生のように毎日迎えに来る幼馴染も、さすがに呆れた顔をしていた。さっきからもう十分近く、「行くぞ」「やだ」の押し問答だ。

 湿気で張り付くワイシャツが気持ち悪い。顔を覆うマスクは熱がこもってもっと気持ち悪い。外は雨だし、頭は痛いし、体は重いし、学校なんて行く必要ないじゃないか。
 
「やだって、お前…そんな制服も鞄もばっちり装備して行く気満々じゃねぇか」
「るさいな。ちゃんと学校行かないと親に心配かけちゃうだろうが!」
「いい子か!そこまでわかってんなら駄々こねてないで行くぞ!」
「やぁ〜だぁ〜」

 引っ張られるように外へ連れ出されたが、傘も持ってない俺は蒸し暑いなか子泣き爺のように幼馴染に張り付いた。こんなゴリラみたいな男と相合傘なんてテンション下がる。
 
「クッソ離れろ!むぎ、傘は?」
「昨日忘れた」
「忘れたって、どこに。昨日も雨降ってたじゃねえか」
「うん」

 昨日バスの停留所で居眠りをしてしまった俺を起こしてくれたのは誰だっただろう。何か見覚えのある顔だったからたぶん同じクラスの奴だ。
 知ってる奴だからこんなにも学校に行きたくなかったことをげんなりと思い出した。
 
「夏樹〜俺やっぱ帰るわ」
「逃げんなコラ」

 さっきまで離れろと言っていたのに、引き返そうとするとすごい力で腕の中へ引き込まれる。暑苦しいからやめてほしい。
 
「なっちゃん、なんだかんだで俺のこと大好きだよね」
「あ?」

 揶揄えば心底嫌そうな顔で返される。それなら毎朝迎えになんて来なければいいのに。
 一つの傘にむさくるしい男がふたり、狭苦しく押し合いながら歩いていると微妙な目で見られる。やだなぁ。対抗するように自慢の三白眼で周りを睨みつけていたら夏樹に頭をはたかれた。
 
「なんだよ。俺は夏樹と相合傘いいなぁ〜って目で見られたから、渡さねぇぞって顔しただけなのに」
「ああもう、なんでこんな人間になっちゃったかねぇ」

 頭を抱えてそういうが、残念ながら夏樹は俺の親でもなんでもない。
 そうやっていつものように幼馴染で遊んでいるうちに、同じ制服がちらほらと見え始めた。学校が近づくにつれ、口数が少なくなっていく。自分を守るように下げていたマスクを上げた。

 途端、むっとする暑さにクラクラとしてくる。マスクで遮られた空気が恨めしい。



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