第8話
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伽耶、好き?
耳慣れない名前を吐息混じりの声が呼ぶ。
耳を澄ませてみれば、そいつはなんと夏樹の声だった。
――あいつ、何して…
今は物置きと化している旧男子更衣室は、夏樹と麦原がひっそりと昼めしを食べる場所。たびたびそこへ邪魔している成瀬には、わざわざ確認せずとも誰がいるかなんてわかり切ったことだった。
「んぅ…あ、好き、好きだよ」
掠れて高めに上ずった声に一瞬動きが止まった。
……麦原?
成瀬はてっきり夏樹が女でも連れ込んでいるのだと思っていた。だが、聞こえてきた声は正真正銘、男の声だ。
成瀬は必死に扉の隙間から中を覗いた。
小さな隙間からちらちらと麦原の眉を顰めた顔が見える。覆いかぶさる大男が邪魔で仕方ない。麦原の切なそうな声がわずかに聞こえてくる。ぴちゃぴちゃとした水音が外の雨音と混ざった。
頬を赤くさせ、涙の溜まった目で夏樹を見上げるその切羽詰まったその顔が可愛くて可愛くてしょうがない。三白眼の目つきの悪さは今や必死に快楽を受け止め、緩くたれていた。
[V:8212][V:8212]ああ、混ざりたい。
成瀬は思った。もし今自分が出て行けば、まだ顔を見られることに抵抗のある麦原はこの前のようにひどく怯えるだろう。
正直羨ましく思うこともある。例えば夏樹の前ではマスクを外すことや、何を気にすることなく笑うところ、夏樹には怯えず対等でいるところ。でも、裏をかえせば麦原のあの怯えた顔を夏樹は見られないのだ。
金曜日つい我慢できず怯えて涙まで浮かべる麦原にキスしてしまったことを思い出した。あの麦原のびくびくと怯えた子猫のような様子もたまらない。なんならもっと泣かせたい。そうして唇を噛みしめて頬にえくぼが浮くのだ。舐めたい、噛みたい、あの白い肌に跡をつけたい。涙の溜まった目で睨まれたい。白目むくほど気持ちよくさせてあげたい。
夏樹なんかよりうまいことには自信があった。
だってあいつら別にセックスしてるわけじゃない。子どもの遊びのようなキスと抜き合い。
まさか今、そこでやっている行為が今日が初めてという風には見えない。
何が幼馴染だ。
成瀬は呆れたように笑った。
麦原の様子を見るに、少なくとも抜き合いくらい過去にもやっていそうだ。夏樹はよほど麦原が可愛いのだろう。怯えた表情でキスされる麦原を見て勃たせていたくらいには。雨に濡れることも気にせず目を見開いて凝視していた。
麦原は夏樹の前ではあんな怖がる様子を見せないけれど。
夏樹がふとこちらを見た。明らかに見えるはずのない成瀬を向いて、にやりと笑う。成瀬は夏樹に図られたことに気がついた。
舌打ちをしながらも、成瀬の目は麦原から離れない。
吐息と一緒に一際快楽に染まった嬌声が上がる。きめ細かい肌には汗が浮いていた。白い肌はピンクに染まり、頬がくこっとへこみ愛らしいえくぼを作る。
気に入らないのは、その口で夏樹の名前を呼ぶこと。
俺ならもっと溺れさせてあげる。
成瀬は唾を飲み込んだ。
絶頂する直前、麦原は夏樹を見つめ魔性的に笑って見せた。すさまじいほどの色気はもはや狂気的あり、危険な香りを漂わせる。
肩で息をしイった余韻に浸りながら、夏樹が麦原の目にういた涙をぬぐった。ゆるりと笑った麦原にはマスクをしている時の愛想のなさなんてどこにもなく、細められた目の垂れた目尻を見ているだけで釣られて笑みが浮ぶ。
成瀬は自身の手にべったりとついた白濁の精液を眺め、絶望的に笑った。
迷うことなく古い立てつけの悪い更衣室の扉に手をかけると、その扉を軋ませる。夏樹が笑い、麦原の顔には瞬時に怯えた表情が浮かんだ。
ある梅雨の出来事だ。薄暗い体育館棟の廊下に降りやまない雨音が響く。3人の少年が梅雨に溺れた。
了
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