ネオンの微熱


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瀬津が俯いた。ぎゅっと手を握りしめている。再会してからというものの、昔のような危うさの見えなくなった瀬津だけど、今目の前にいる瀬津からは昔よりもずっと消えてしまいそうな雰囲気が漂っていた。
 好きだった…?
 
「俺はずっと、ハルが好きだったよ。ずっとずっと好きだった」

 瀬津の独特な隙間風のような声が震えている。あの時のように。河川敷で桜をみながら瀬津が俺にある告白をした時のように。
 
「でもそれは表に出しちゃいけない恋心なんだってわかってた。だから必死になったんだ。忘れよう、忘れようって。無理にでも東京に出てきた。恋人だって作った。それは浩二さんじゃないけど。でもハルのことは忘れられなくて、別れた。忘れられない人がいてもいいって言ってくれる人とも付き合った。でも俺が好きになれない罪悪感で別れた。…引いただろ?キモイのは俺だよ。親友面してずっと下心もってハルの近くにいたんだ」

 何を…何を言っているのだろう瀬津は。
 
「お前と友達でいたかったから、変わらない顔で会えるまで会わないでいようと思ったんだ。…でも駄目だった。再会したら嬉しくて、やっぱり欲がでて……でももう嫌なんだ。苦しいのは、もう散々だ」

 瀬津の肩が震えている。
 瀬津は俺を、好きだった。
 瀬津は俺を男として好きだった。
 …瀬津を苦しめていたのは、俺だった。

 内臓が浮くような気味の悪い感覚が腹の底でうずく。瀬津の震える肩も、さっきからしゃくりあげるように息を吸うその音も、小さく見える体も、震えて掠れた声も、全部遠ざかって世界から切り離されたような感覚が俺を襲った。

「好きだよ、晴久。でももう会っちゃいけない。やっぱり会っちゃいけなかったんだ。…帰れよ」
「ま、待って。なんで」
「帰れよ!」
「瀬津!」
「ふざけんなよ、傷口に塩塗りたくってんじゃねぇよ!帰れ!もう会いたくない!」

 瀬津の口からはっきりとでた拒絶の言葉は、初めて俺に向けられるものだった。
 さっと目の前が暗くなるのを感じた。
 これも当然も報いなのだろうか。知りたかった、瀬津を苦しめるものから救ってやりたかったはずなのに。まぎれもない俺のせいで、もう何年も瀬津を縛り続けていた。

 瀬津が望んだものはなんだ。思えばいつだって瀬津は俺に与えるばかりだった。俺が瀬津の何かを満たしてやれたことはあったのだろうか。
 
「…違う、瀬津。俺だって瀬津のこと好きだ」
「何が違うの?晴久は俺とキスも出来なかった。そういうことなんだよ。わかったら帰って!」
「ちが」

 キスなんてできる。いくらでもできるはずだ。
 崩れそうになる顔を必死に保って睨みつけてくる瀬津に触れたくて、触れられなかった。

 なんで…?
 今まで肩を組んだり、腕を掴んだり、瀬津に触れることなんていっぱいあった。なのに、今瀬津が俺のことをそういう目で見ていたのだと分かった途端、簡単にその手を向けることができなくて。

 汗が伝い落ちた。震える手を瀬津に伸ばす。
この手が意味するものはなんだ?
動きの止まった俺を見上げる瀬津の目がついに、脆く崩れ落ちた。
 
「頼むから…ハル…もう帰って。どうせ拒絶するなら一回だけにして。なんども拒絶されるなんて、地獄だ…」

 瀬津が顔を覆う。指の隙間からぼたぼたと透明な涙が流れ落ちた。
 ドクドクと心臓が血液を送り出すのが分かる。ぎゅっと胸が締め付けられた。

 なんで…なんで俺の体は動かない。
 瀬津の涙が痛い。震える体を抱きしめてやりたい。安心させてやりたい。キスすればいいのか?そうすれば瀬津は笑ってくれるのか?
震える足を踏み出そうとするも、その足は後ずさった。
 ——そっちじゃねぇんだよ!瀬津にキスするんだ!そうして瀬津に大丈夫だって言うんだ!!
 テレビからはバラエティー番組でちょうど誰かが面白いことを言ったのか、大きな笑い声が流れていた。




外の空気は冷たかった。雨は弱まり、その代わり止む気配をまるで見せない。
玄関からでた途端、声を上げて泣きたくなった。このまま自分を殴りたい。こんなクソな人間殺してしまいたい。死ねばいいと思う。俺は最低だ。

瀬津にキスをすることも出来なかった。触れることさえ躊躇した。俺が何を言ってもそれは瀬津を傷つけるだけの言葉だった。
こぼれ落ちる涙も、堰が切れたように感情を吐き出す瀬津も今まで見たことがなかった。痛いくらい瀬津の声が突き刺さる。
帰れ、もう会いたくない。
ここまで言われてしまった。
違う、こんなことまで言わせてしまった。

どうすればいいのか分からない。どうしようもない。こんな現実見たくなかったし、知りたくなかった。俺はただ昔のような関係でいたかった。中学生の頃や高校生の頃のように、一緒にいるのが当たり前のようなあの関係。全てを許したような存在。

でも所詮、そんなもの俺だけが自分勝手に思っていることなのだ。

頭の中では瀬津の涙とともに、深いキスをする宮原さんと入間さんがねっとりと張り付き、離れなかった。



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