1話 ものは試しと言うけども
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「俺、次体育なんだよねー」
自分もそろそろ末期なんじゃないかと思っていたら、能天気な先輩の間延びした声が降ってくる。
「へえー…先輩運動とかできるんすか?」
華奢な見た目とは裏腹に、実は固いところは固かったり。そんな先輩が何の部活に入ってるのかも俺は知らないが、帰宅部引きこもりの俺なんかよりも筋肉質であったのは覚えている。
「俺?いやそりゃもう、球技はかならず顔面にボール食らう」
「あー…俺も」
なんだ、ただの運動音痴か。仲間だと親近感を込めて先輩を見上げれば、なぜか驚いていた。
「マジか…そりゃ知らなかった…球技大会種目違ったもんな…」
「え?なんですか?」
ぼそぼそと呟いた声に聞き返せば、先輩はすぐにあの掴みどころのない笑顔を向けて首を振った。
「うーん?なんでもない。じゃあまたね、久世谷くん。午後も頑張ってねのチューでもしとく?」
「しねーよ」
とびきりの笑顔で首に腕を回し唇を突き出してきた先輩を押し返せば、何が面白かったのが先輩はげらげらと笑っていた。
ひとしきり笑えば、手を差し出してくる。何のマネだ?と先輩を見上げれば首を傾げてあざとく笑った。
「じゃあ握手。ほら、男の手も握れないようじゃ、女嫌いがなおっても女の子に手出せないよ?必要なのは慣れと経験だね」
差し出された手はれっきとした男の手だ。いくら先輩の身長が小さかろうが、その手は女のように柔らかそうなわけでも小さなわけでもない。それなのに、あまり筋張っていない細い指に、整った爪の形はやっぱりどこか中性的だった。
もともと人に触られるのは得意ではない。他人との距離が近すぎるのも苦手だ。潔癖なわけではないから、死んでも嫌だというわけではないし、どうしても無理というわけでもない。ただ疲れるのだ。
べたべたとくっついてくる先輩に多少の慣れと諦めがついたのは事実だが、自分から触れようと思うほど馴れたわけではない。
「…嫌だ?」
一瞬のうち迷い固まった俺に、先輩の声が少しだけ小さくなった。
「別に。握手すればいいんですよね。はい」
これ以上妙な沈黙が続くことのほうが耐えられない。乱暴に先輩の手を握り、まるでどっかの首相同士の握手のように数回手を振ると、パッとその手を離した。
「うっわぁ〜色気ない。これは駄目だよ、不合格」
「あんた俺に何を求めてんだよ」
「もっと!恋人のように!甘ーく絡めとるような」
「不合格。そんなんで俺で遊ぼうなんて思うなよ。出直してこい」
力説を始めた先輩を置いて俺も立ち上がる。そろそろ予鈴が鳴る時間だった。やる気のない俺を見た先輩はやれやれと溜息をついた。
「意欲の欠片もない。当面の目標は向上心だね。ねぇ久世谷くん、エッチしたくない?」
「飛躍しすぎじゃないですか?」
「いやいや何もおかしくないって。ムードを作れるような手のつなぎ方一つもできない男なんて、たとえイケメンでも許されないよ?」
ね?と先輩は首を傾げた。
毎度思うが、あざとい仕草である。
もちろん、エッチはしたい。でもそれはあれだ。言い換えれば腰を振って気持ちよくなりたいだけの話で、ムードなんざ知ったこっちゃねぇ。
にっこりと、普段はしない愛想笑いを全力で先輩に向けた。目をぱちりと瞬いた先輩の顔が赤くなっていく。
「…あ…すんません…やっぱ許します。イケメンなら俺、許します…」
しぼんでいく語尾を聞きながら心の中でほくそ笑んだ。
この最近で気づいたことがある。
この先輩は、俺の顔が相当好きだ。
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