1話 ものは試しと言うけども


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 俺と先輩の“付き合い”は奇妙なものだった。

 あれから毎日のように先輩に遭遇したが、決まってそれは気まぐれで一人で昼を食べている時や、司書の先生がいない時を見計らって行った図書室、委員会の仕事で誰もいない更衣室の掃除をしているときなんかだった。

 先輩はどこからともなく現れては、童話に出てくる笑う猫のようにきゃらきゃらと俺を惑わして予鈴とともに帰っていく。いまだに彼のクラスも知らなければ、名前すらも知らなかった。

 ガゴンと音を立てて落ちてきたペットボトルの水を屈んで取り、教室へ戻ろうと広いエントランスホールを横切ると、ふと目に入ったベンチに、手元のスマホをにやにや眺める不気味な男が座っていた。
 ……奴だ。
 
「…」

 また何か変なことをされるのも面倒だ。一瞥して、無視して通り過ぎようと視線を前に戻した時、膝になにかが引っ掛かる。
 
「なんだよひどいなぁ。無視しないでよ」
「…なにやってんすか」
「んー?」

 残念ながら俺のささやかな願いも、先輩の手にかかれば虚しく消えていく。顔を上げた先輩はにやにやと笑っていた。

 その自慢気な顔で見せてきたスマホの画面には、かっこいい男のキャラクターの心配そうな顔が映っている。ちょっと寒気がするような絵だ。さらに下の吹き出しには「困ったら俺に相談しろっていつも言ってるだろ?裕規はそうやって抱え込むから」と文字が浮いている。寒気のするようなセリフだ。
 
「…狙ってやってます?」
「当たり前じゃん。俺の気持ちを代弁してもらおうと思って」

 名乗ったこともないのに、俺の名字を最初から知っていた先輩だ。ましてや俺の女嫌いまで知っていたのだから、下の名前を知っていても今更驚くことじゃない。まあ、ちょっと怖いけど。
 観念して隣に腰掛けると、待ってましたとばかりに先輩は俺の肩にすり寄った。最初こそ違和感と居心地の悪さでムズムズとしていたが、何度もしつこくまとわりつかれるうちに正直慣れてしまっている。女子から感じられるような、あの特有の媚びるような匂いを感じないからだろうか。それにしても、近い。
 
「そういうのって普通自分の名前でやるもんじゃないですか?」
「久世谷くんの名前でやるから面白いんじゃーん」

 先輩は画面から目を離さず何やらゲームを進めている。
 まったく意味が分からない。そんな疑問が顔に出ていたのだろうか。先輩はちらりと俺を見上げると、俺にスマホを渡し顎で示した。要するにやってみろということらしい。
 しかしいざやってみても、歯の浮くようなセリフのオンパレードだ。
 
「なんで男相手にこんなこと言われなきゃいけないんすか。気色わる…」
「あーやっぱ無理?ちょっとした練習になるかなーと思ったんだけど」
「百歩譲ってまずは女じゃね?」

 今や主人公・俺はイケメン二人に「裕規は俺が守る!」「貴様には渡さん!」と修羅場に巻き込まれていた。
 
「でもハーレムなんて、女嫌いの久世谷くんはやる気にもなんないでしょ」
「男でもやだわ」

 なんで男に言い寄られるゲームを男がプレイするんだ。俺はホモじゃない。
 顔を顰めてそう言えば、先輩はははっと笑って俺の肩に頭を預けた。ふわりと太陽のような、日向の匂いが香る。目を閉じて大きく息を吐く先輩の胸元が上下した。
 
「はぁーねみ…ちょっとダーリン膝枕していい?」
「誰がダーリンだよ蹴り殺すぞハニー」
「足癖悪いな。くっそ駄目か」

 にっこりと目を糸のようにして笑った先輩が立ち上がる。去り際に見えた細い首筋に思わず目が吸い寄せられた。短く刈られた襟足から覗く無防備なうなじを見た時、なんだか変な気持ちになった。

 そんな自分を不思議に思っていると、俺の気持ちなどまったく無視した先輩がぐっと伸びをする。細いウエストにまたも目が行きそうになり無理に視線を落とした。

 さっきからなんだろう、この気分。例えるならあれだ。教室のドアを開けたら誰もいないのをいいことに着替えをしていた女子と鉢合わせにでもなったような…。
 ちょっと待て、なに男相手にラッキースケベ気分を味わっているんだ。俺は男に対してまでそんなことを考えるほど飢えてるのか?
 我ながらこれはひどい。重症だ、どうしよう。

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