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「この世で一番不幸なのは誰だと思う?」
「俺だろ」
間髪いれずにそう言った。また無意味なことを飽きもせず聞いてくる。
目の前の男はくたびれたような笑顔なのに、生まれ持っての美形はそんな表情でも輝いていた。そばかす一つないまるで陶器のような肌なのに、その頬にはやけに生々しい赤黒い傷痕が今日も浮いている。市販の絆創膏では覆えない大きさのその傷は、絆創膏を貼ってもなお、異様に目立っていた。
顔だけじゃない。衣替えを迎え、素肌が見えるようになった半そでのワイシャツの隙間からも傷だらけの腕が見えた。
顔に似合わないその痛々しい傷を、俺はまるで嘔吐物でも見るかのように顔を顰めながら見やった。
「くだらねぇ。この世で一番不幸なのは自分とでも言わせたかったのか?」
馬鹿馬鹿しい。馬鹿馬鹿しいうえにくだらないエゴだ。この世にいったいどれほど苦しんでいる人間がいるのだろう。たとえば、平和ボケしているこの国に住み、衣食住を保証されているのに毎日傷だらけになるくらい殴られている人間と、紛争に巻き込まれ一日一秒先の命さえも保証できない子供たち。いったいどっちが不幸だと思う?
なんていう俺も、他人の不幸がどれほどのものなのかなんて知りもしないのだから、このちっぽけな世界で一番不幸なのは俺だと言う。しょせん自分の経験する感覚しか分からないのだ。
「まーたそういうこと言ってー」
汐は腕のあざをさすりながら、へらへらと笑った。老若男女誰もを虜にする美貌を、庇護欲でも駆り立てるようにふにゃふにゃと崩させて。笑顔同様その声も柔らかく、ヒーリング効果でもあるのかというほど、聞いていると心が落ち着いてくる。
そんな顔も、声も、全てが嫌いだ。
俺はこの幼馴染、相楽汐が大嫌いだった。
「用がないならさっさと帰れよ」
「そんな冷たくしないでよ〜」
俺は今ソシャゲのイベントでランキング保つのに忙しいんだよ。いじめられっ子でどんくさい話の通じないアホみたいな美形に構ってる暇なんてないんだよ。
いくら言ったところで、汐が家を訪ねてくればばあちゃんは絶対に上げてしまうし、俺ん家の間取りなんて自分の家のように知っている汐はなんの躊躇もなく入ってくる。
当然俺の部屋にもノックもせず入ってくるのだが、俺が寝ていれば出ていくことが多い。その代わりリビングでテレビを見ていたりする。自分の家で見ればいいと思う。俺なら汐のお母さんみたいな美人で優しくてあったかくておいしいご飯を出してくれる人がいたら、一生家から出なくなるだろうに。
「雪ちゃん〜」
「鬱陶しいんだよボケ」
汐は人にくっつくのが好きだ。毎日邪険に扱ってるというのに、懲りもせず張り付いてくる。ベッドに寝転がってゲームをする俺の腰に抱きついていた汐はついに俺の体に乗り上げてきた。めちゃくちゃ鬱陶しい。
ゲームだけに意識を向かせていたからかろうじて無視できていたのに、苛々が募っていく。ピクピクと眉が動くのを感じた。
我慢できなくなり、腹の上でもぞもぞ動くデカい男の頭に思い切り手刀を叩きこむ。
「てめぇ気持ちわりぃんだよ! 出てけ!」
怒鳴りつければ、汐は構ってもらえた犬のように嬉しそうに笑った。そんな汐の様子を見てさらに顔を歪める。だって普通に気持ち悪いだろ。男にべたべた、べたべた。怒鳴れば笑うんだぜ?
ドМかよ。気持ち悪い。
本心からゴミクズでも見るかのような軽蔑した目で汐を見ていると、嬉しそうにしっぽを振っていた汐の顔が徐々にしょんぼりとしていった。悲しそうな顔で俺から離れていくと、少し離れた場所にぽつんと座る。
そんな様子を見て、俺はいつものように鼻で笑った。ざまあねぇな。
ほんの少し目を離しただけでもランキングは下がっていた。だがこれで心置きなくゲームができる。なんてったって、今日が山だ。このイベントも明日の昼で終了。今夜徹夜できるかが上位に入れるかのカギなのだ。
「……」
「……」
人の気配がする部屋で好きなことをするってものすごく居心地が悪い。さっきから汐は俺のほうをただじっと見ている。待てをしている犬のように。こいつは犬みたいに可愛くなんてないんだけど。
「……んだよ」
「雪ちゃん、今日徹夜するつもりでしょ」
「だからなんだよ」
「大丈夫? どうせ雪ちゃん一人で部屋にいるの、怖くなっちゃうんでしょ」
「……あ?」
どこまでも鬱陶しい。立ち上がった俺は、汐の頬の傷に手を伸ばした。こんなことは間違っている。そりゃそうだろう。DV男かって話だ。比喩でもなく、傷口をえぐるってこういうことかな。
血のにじむ汐の頬に乱暴に触れた。汐は嫌がるでもなく、痛がるでもなく、
――まるで情事で達した時のように淫猥にほほ笑んだ。
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