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 相楽汐の名前を知らない者はいないはずだ。少なくともこの高校には。

 完璧な美貌を持ち、愛想よく穏やかで、見ているこちらが自然と笑顔になってしまうような笑みを常にたたえている。優しい目元は日に透かしたどろどろの蜂蜜のよう、控えめだがふっくらした形のよい唇は赤く艶やかで、小さな動きだけでもハッとするほど惹きつけられた。大理石のような神聖さを持つ白の肌、細い首、長く綺麗な指。我を忘れて聞き入ってしまうような、脳を溶かすテノールの声。

 まず誰もがその第一印象に取り込まれるだろう。

 だがしかし、落差は大きい。

 相楽汐はその人間離れした神々しい見た目のわりに、何もできなかった。

 勉強はできない、運動もできない、好き嫌いは多い。どんくさくて理解は遅い。話は通じない。まるで宇宙人だ。その相貌も相まって、俺は時々こいつは本当に宇宙人なんじゃないか、と思う。そんなことを思ってしまったら、汐のお父さんとお母さんに申し訳ないから、なるべく思わないようにしてるけど。

 とにもかくにも、相楽汐はことごとく顔だけだった。そして腹ただしいことに、大概のことは許されてしまうのだ。汐が申し訳なさそうな顔をすれば、たとえ学校の窓を割っただとか、機械を止め忘れて何十万円の損失が出ただとか、しょうがない、誰にでも間違いや失敗はあるだとか言われてしまう。

 汐は本当に反省している。その時だけは。しかしやり過ごしてしまえば、ケロっとしている。そしてまた同じような失敗をしでかす。何からも学ばないグズ。

 そこまで落差が激しいと、人はひどく嫌悪すると同時に安心するらしい。虐める都合がよくなるのだ。顔に嫉妬するなんて見苦しい。だが、どうだ? あいつのせいでクラスの出し物として、みんなで一生懸命書きあげてきた立派なポスターが黒のペンキに沈んだんですよ? なんて言われてみろ。ああ、なんて納得するだろ。

 いつでも汐は虐められていた。小学生のときも、中学生のときも、今だって。俺は生まれてからずっと汐とご近所として育ってきたけど、学校で汐に絡んだことはない。なんなら家に帰ってからだって絡みたくない。
当たり前だろう。こんないじめの対象になってる奴とか関わりたくもない。汐には汐にいじめられるれっきとした理由があるだろうから、まさか無関係の俺に矛先が向くとかは思っていないけど、純粋に汐みたいな無能な奴と仲がいいだとか死んでも思われたくなかった。

 だからきっと、俺と汐が幼馴染であること知っている人はいないだろうと思う。
 そして俺も、いじめられる汐を助けたことはない。

 どれだけ殴られていようが、リンチにされていようが、旧校舎のトイレに連れ込まれていようが、体育倉庫に呼び出されていようが、パシリにされていようが、サンドバックにされていようが、何とも思わない。むしろざまあと思う。

 しかし汐は、そこまでひどい扱いを受けようが、あの美しい顔でへらへらと謝る。嫌悪感を超えて殺意が湧くくらいだ。せめて嫌そうな顔くらいしてくれないといじめた意味がない。まぁ俺は汐を虐めているわけではないんだけど。

 あーあー綺麗な顔が汚れちゃいまちたねー。ママに心配されちゃう? 泣いちゃう? 泣けばいいと思ってんの?
 なんて煽りまくるいじめっこ集団には首が降り切れる勢いで同意したい。

 そのくらい相楽汐のことが嫌いだ。


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