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01 >> プロローグ  [1/1]

──返して、
それは私の、
お願い、早く、返してよ──


暗闇、無意識に伸ばしていた右手が力無く虚空を掻いた。そんな己の手を見、ああ夢か、と独りでに納得する。
重力に任せてパタンと腕を降ろすと、僅かに布団が波打った。ん、と隣から寝息が聞こえる。歌淋はふと視線をその者に向けた。髪で隠れていて顔は見えない。そっとその短い茶色の髪を上げてみると、可愛らしい寝顔が覗いた。

「……玲魅」

小さく名前を呼んでも、ただ寝息が返ってくるだけ。呼吸の度に僅かに上下する身体が、何だか愛らしい。
歌淋は暫くその寝顔を見つめていたが、はっ、と我に返って枕元の時計を見た。暗闇の所為ではっきり見えない為バックライトを点けて見ると、黒い2本の針は2つとも5の所を指している。もう一本の細い黒針は8から9に向かって前進を続けていた。
所謂午前5時25分43秒。歌淋は溜息を吐いた。今日は疲れているからゆっくり寝たかったのに、と誰にともなく呟く。
すっかり覚醒してしまった頭で、先程の夢をふと思い出した。

──早く、返して
「胸糞悪い夢……」

珍しく寝汗を掻いている。中途半端な長さの髪が肌に張り付いて気持ちが悪い。そっと身体を起こすと、怠さが全身を支配した。疲れが溜まっている証拠だ。

「……水でも飲むか」

歌淋は小さく呟くと、重い体を引きずって、階段を降り、台所に向かった。

昨日引っ越してきたこの家は、歌淋と玲魅、それぞれの部屋となる洋室が2室、書庫となる洋室、物置となる洋室、和室1室の5LDKの2階建て。広い庭も付いていて、結構古風で豪華な家だ。
和室や古風な所は歌淋の希望だが、貼り替えたばかりの白い壁や広い庭、書庫となる部屋は玲魅の希望だった。
居間に入ると、まだ片付けきれてない段ボール箱が何箱か置いてある。中身は大方食器か何かだろう。
歌淋の部屋は置く物がそれほどないため小1時間程で片付けが終わったが、玲魅は沢山置きたい物があるようで、部屋は今も段ボールが2,3個残っている。中身が主に服やぬいぐるみ、アクセサリーなのだから、女の子らしい証拠である。
それにより段ボールだらけの部屋で寝かせる訳にはいかない、と歌淋の部屋で玲魅が寝ていたのだ。
単に一緒に寝たかっただけだろう、と言われると否定は出来ないのだが。

台所に足を踏み入れ、直ぐ傍にあった冷蔵庫の扉を開ける。中はほとんどすっからかんに近い。歌淋はそれを一瞥すると、扉の棚に虚しく存在している2Lの水のペットボトルを取り出した。食器棚の中から淡い青色のグラスを取り出し、それを注ぐ。一気に飲み干せば、爽快感がした。

「……稽古、するか」

外はまだ暗いが体を動かしていたい、歌淋はそう思い、腰に下げている竹刀に手を掛けた。

庭に出て無心で竹刀を振るう。日本刀を構えたい所だが、今は無理だ。せめて脇差し位と思うが、今の御時世そんな物を振り回していたら通報されてしまう。
そんな事を考えていた所為か、不意に稽古の気が失せ、歌淋は竹刀をさっと腰に片付けた。
汗で身体が気持ち悪い。3月下旬とは言ってもまだ肌寒い今日。下手をすれば風邪を引いてしまうだろう。

「玲魅に怒られるよな」

自嘲気味に呟いたが、何かする訳ではない。
気分転換に少し空を見上げると、朝日が昇ろうとしていた。どうやら何時の間にか時間が経っていたらしい。

「歌淋ー?」

居間の方から自分を呼ぶ声が聞こえ、歌淋は振り返った。すると困ったような表情の玲魅がこちらを見ている。

「どうかしたのか?」

縁側に腰を掛け、足の裏に付いていた土を払いながら声を掛ければ、玲魅は困ったように笑った。

「朝稽古?」
「まあな、早く起きてしまったから」

夢の話はしない。玲魅の辛そうな顔を見たくないから。
すると玲魅は罰の悪そうな顔をした。

「……私の寝相が悪かったから、起こしちゃった?」
「全然悪くない。寧ろ可愛かったぞ」
「真顔で言わないの」

玲魅は冗談と受け取ったようだが、歌淋は本気である。

「ご飯食べる?」
「あぁ、頼む」

歌淋が頷けば、玲魅はかしこまりました、と言わんばかりに胸に手を当てて軽くお辞儀をする。どこの執事だよ、と突っ込むのは玲魅の役目なのだが、そんな彼女がボケてていいのだろうか。

それはさておき、玲魅は台所へ、歌淋は風呂場へ向かった。
どうでもいい事だが、歌淋は朝風呂派である。

さっぱりしよう、と服を脱ぎ風呂場に入った。

現在の時刻、午前6時。



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2010/07/22
2017/01/15編集

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