鳶色の髪の彼は靴箱から革靴を出して先程まで履いていた上靴を仕舞い込み、静かに箱の戸を閉めた。ひよりも同じように戸を閉め、革靴を履いた足で彼の元へ歩み寄る。革靴を履いた彼を見遣ってからそっと彼の左手に右手を絡ませた――筈だったがそれは叶わず、さらっと躱されてしまった。気にせず歩き出した彼の背中を呆然と見つめる。
「どうした、帰らぬのか」
彼は何事もなかったようにひよりを振り返ってただ一言、冷たく告げた。うん、帰るよ、と小さく答えて彼の隣に並ぶ。彼は傘立てからいつもの黒い傘を抜き取って歩き始めた。ひよりもちょこちょことそれに続く。
彼とひよりは所謂恋仲と呼ばれる物だ。ひよりがたまたま話し掛けたのを切っ掛けに、メールアドレスを交換。そしてメールでひよりが好きだと伝えた所からこの関係が始まった。
しかし恋仲らしき事は何一つ行っていなかった。キスだけでなく手を繋いだ事もない。身体を合わせる事など以ての外である。
二人は校門を出た。古ぼけた門からは哀愁が感じられる。
「ひより」
不意に呼ばれた己の名に顔を上げた。切れ長の目がすっとひよりを見据えている。無意識に身体が震えた。
強い風がひゅるりとひよりの長い髪を靡かせ、緩んでいたヘアゴムが外れて飛ばされたのが広がる黒髪の感覚で分かる。あ、と声を上げるのも許されないような気がして黙って彼の目を見つめ返した。
「貴様は、我を好いてはおらぬだろう」
彼の口から紡がれた言葉に耳を疑った。すぐ傍を車が通り過ぎている筈なのに、周囲の雑音が全く耳に入らない。
声が震えた。
「何言ってるの…?」
「貴様は我の名を呼ばぬ。それは我を好いていないからであろう」
「っ!それは…」
ひよりは動揺で言葉を詰まらせた。何か返そうと口を開けるが上手く言葉が出て来ない。
確かにひよりは彼の名を当人の前で読んだ事は一度もなかった。恋仲なのに、名すら呼べなかったのだ。
「貴様はただ独りになりたくなくて、同じように一人だった我に近付き、依存した」
彼の言葉の節々はひよりの心をズタズタに引き裂いていく。
「違うか?」
念を押すような言い方。まるでそれ以外の答えはないというように。
ひよりは込み上げる悲しみを堪えるように唇を噛み締めた。
「独りになりたくないのは本当だよ。でもっ、私は依存しているんじゃなくて」
「利用しているのだろう」
放った言葉を遮られ、目を見開いた。腹が疼く。まるでナイフで貫かれたように熱くなってきた。
「貴様が泣けば、我が涙を拭く、独りで泣かなくても誰かが支えてくれる。貴様の考えなどお見通しよ」
「そんな…っ」
「いい加減認めたらどうだ」
彼の冷たく鋭い視線に身体が竦んだ。びくりと揺れた肩にも彼は支えをくれない。
ざあ、と急に雨が降り出した。激しく地面を打つその雨は、ひよりの心を打ち砕くように降り続く。
「分からない、の」
彼はそれを見下すように、ひよりを睨み付けた。
「甘ったれるな」
キツく言い放たれる。深い傷が刻まれたように身体中の血が騒ぎ立てた。
そんなひよりを一瞥した彼はひよりの足元に傘を置くと、潔く身を翻した。未練などないと言った風にそのままつかつかと歩み始める。
「やめて、行かないで」
去って行く彼の後ろ姿は覚悟を決めたように凜としていて。止めようと伸ばした手は重力に負けてだらんと堕ちた。
彼は“独り”じゃない、“一人だった”だけだ。
彼には友人が居る。銀髪とか眼帯とか長髪とか熱血だって、彼が拒もうとも付いて来る。
私は独りだ。今も変わらずに独りぼっちだ。
心に穴が空くような落胆から膝を付く。手に触れるのは彼からの手向けの傘。一緒にその傘に入ったあの日が恋しい。
『雨が降ったらいつもこの傘で帰りたいなぁ』
『貴様はこの傘が好きなのか』
『そ、そうじゃなくて!……一緒に帰りたいなぁ、って』
懐かしく楽しい思い出な筈なのに、頬を悲しい物が伝っていく。いつも彼が拭い去ってくれた物が、膝から下がずっぽりと濡れていくのに更に追い討ちを掛けるように落ちて行く。
私は誰かに必要とされなければ、生きていけないんだよ。
「元、就ぃ……っ」
漸く紡いだ、ずっと呼べなかった愛しい名は、哀しくも激しい雨に吸い込まれた。
夕立に混じる
(私の声は)(君に届かないんだ)
2011/08/23
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元就が好きで依存している、でも純粋に好きなのか、ただ依存しているだけなのか、ヒロイン自身分からない、みたいな感じです。