言霊使いの日常

 不破湊は眩しい夜に生きている。
 月明かりすら見えなくなるほど人工的な光で照らされた街で不破は、人生の半分以上の時を過ごしていた。最初こそ眩しくて目を細めていた不破も、もう慣れている。むしろひとつのパーツとして馴染んでいるため、誰も違和感なんて抱きやしない。当然のようにそこにいるだけだった。

 夜の街は、存外わかりやすい。特に、初めて足を踏み入れた者はやはり雰囲気が違って浮いて見える。パーツのひとつとなってしまった不破にとって、見分けることなんて容易かった。
 不破は、ぽっかりと現れた違和感の後ろを気付かれないように追い掛ける。
 ここは見栄を張るために高い革靴を履く人間が多いので、同じテンポで動く足音が増えたところで気付かれない。現に、後ろを着けられているにも関わらず本人は振り向く動作すら見せない。目的地へと真っ直ぐ歩いているだけだ。

 不破が追いかけていた人物が、通行人とぶつかった。頭を下げている姿が見えるが、相手はアルコールの入った酔っ払い。そう簡単には許してくれない。
 あちゃー。不破は心の中で呟いて、軽く頭を掻いた。
 小走りで距離を詰めて、ずっと見つめていた背中に手を伸ばす。潰れないように体重を乗せて肩を組めば、当の本人――剣持は、さほど驚いた様子を見せないまま不破へ視線を寄越した。

「お兄さんごめんなあ。この子未成年やから、許したって」

 ヘラヘラと笑う不破を見た男は、その言葉に舌打ちひとつで不満げなまま近くの店の中へと消えていく。こんな世の中でも、未成年が守られる対象であることがおかしく思えた。
 完全に姿が見えなくなったことを確認してから、不破は剣持の体を離した。パッと勢いよく、何もありませんと両手を顔の上に上げるが、その動きに意味はない。

「不破くんどうしてここに」
「仕事っすよ仕事」
「終わったの?」
「んや〜、もちさん見つけたから抜けてきましたね、はい」
「それ大丈夫なの」
「さあ?」

 首を傾げると白では無い奇抜な色が視界に入り込む。剣持からじっとりとした目線をもらうが、不破は職場に戻るつもりはなかった。ここで剣持に会ったのだから、見つけた時点で家まで送り届けると決めていた。夜に慣れていない人間が、特別、未成年が出歩いていい場所では無い。
 剣持は制服姿ではなく白のパーカーにジーンズと言ったラフな服装をしているが、この街ではとても目立つ。現に装飾のたくさん着いた派手なスーツを着ている不破と並んでしまえば、その差は一目瞭然。親切心から帰りましょ、と声をかけるが、剣持は素直に頷かなかった。

「……ちゃんと帰りますから」
「今すぐじゃあかんの?」

 そもそも、時刻はとっくに零時を回っている。深夜と呼んでもいい時間帯に、まだ十六の子どもが外にいるだけでも問題だった。それに加えて夜の街である。ただでさえ安全とは言えない世の中で、最も治安が悪いと言っても過言では無いこの場所。
 剣持は不破から目を逸らして「すぐに帰ります」と言うが、どうしてもその言葉が信じられなかった。

「そういえば新しい依頼が来ていたんですけど、不破くんはいついけますか?」
「ん〜、明日?」
「それちゃんと睡眠時間も考えてますよね?」
「まあ行けるっしょ」
「雑だなぁ」

 話題を逸らしてくふくふと笑う剣持も腕を掴むと、一瞬にして表情が削げ落ちた。対する不破はニコニコと笑みを作って帰る気配を見せない剣持を引っ張る。ちょっと! 非難の声を無視して自宅の方へ足を動かせば、剣持は諦めたのか大人しく後ろをついてきた。
 それにしても。筋肉量で言えば不破の方があるにしたって、あまりにも軽々と引き摺られ過ぎじゃないだろうか。不破は頭に浮かんだ言葉を口にしようとして、やっぱりやめた。一度口にしてしまえば倍以上になって返ってくることを何度か経験しているので。
 仕事は途中で抜けてしまったけれどオーナーに連絡さえ入れておけば大丈夫だろう。店で人気の不破はそこそこ順位をキープしているので、多少穴を開けたって怒られはしない。まあ、めんどくさい客に絡まれる理由にはなるけれども。

(もちさんと二人っきりは久しぶりやなぁ)

 不破はしっかりと剣持の腕を掴んだまま、振りほどかれる素振りも見せないまま、夜の街を歩いた。
 ピカピカと己を主張するネオンは、まだ眠らない。

(そういえば、もちさんと初めて会ったときもこんなんやったっけ)




「今回の仕事内容です」

 加賀美は依頼主から聞いた話を纏め書き出したメモをテーブルの上に置いた。綺麗な字が並ぶそれは読みやすく簡潔に要点が纏められているため、軽く目を通すだけでだいたいの内容は把握出来た。
 剣持が夜の街で見つかった次の日の朝。四人は事務所のソファにそれぞれ腰をかけていた。昨日剣持が言った通りに存在する依頼は、数こそ多くは無いもののいつもの≠ニ言わざるを得ない。
 ふーん、と不破は両手を組んで頭の後ろに回しソファの背もたれに体重を載せる。隣で甲斐田が依頼内容を見て脱力するのが視界の端に映った。

「またこの人の猫探しですか……」
「犬が良かった?」
「そういう事じゃないんですよ、もちさん」
「平和ってことでいいじゃないですか」
「平和ねぇ……」

 争いの起こる世界に平和もクソもあるわけがなかった。が、彼らに届く仕事は似たようなものばかりだった。甲斐田自身も決して血の気の多い依頼を受けたい訳では無いし、むしろ遠慮さえしたいと思うがそれはそうとして、あまりにも同じような内容ばかりなため飽きていた。それなら魔法について一日中調べていた方が有意義に過ごせる。
 そもそも、今回の依頼主は定期的に猫が脱走しては彼らに頼ってくる、よくお世話になっている商店街のおばちゃんだった。もう何度目になるかもわからない依頼。猫の見た目も完全に覚えてしまっていた。
 こんなの探偵に頼めばいいじゃん、とはいつかの剣持の言葉だった。

 彼ら四人は住処を共にし、お互い協力して生きている。それぞれ個人での社会的役割がある者とない者がいるが、四人まとめて街の何でも屋――店の名前をROF-MAOと呼ぶ――を営んでいた。当然親切心から行っている訳では無いのでそれ相応、むしろ高額とも言える金額を頂いてはいるし、受けないと決めている仕事も存在する。依頼を受けるかどうかを決めているのは、この組織と呼ぶには小さな集まりのトップである加賀美だった。故に、他三人からは社長と呼ばれている。
 甲斐田と不破はいつからROF-MAOが存在しているのかは知らないし、知ろうとも思わなかった。知らなくたって仲間として迎え入れられている訳だし、知ったところでなんの足しにもならない。なぜROF-MAOの様な営みを始めようと思ったのかさえどうだってよかった。
 知らなくたって今を楽しんでいる事実は消えることがないので。

「今回は不破さんと剣持さんにお願いしようと思っていまして」
「僕?」
「はい。確か明日も学校が休みでしたよね。お願い出来ますか?」
「まあ、……いいけど」

 妙に歯切れの悪い剣持の返事に気をとめたのは不破ただ一人だった。
 四人で営んでいるとは言うものの、実際、受けた依頼を遂行するのは大抵二人だった。こういった依頼の場合、能力的に不破がいつも選ばれるが相方は甲斐田であることが多い。剣持が平日の昼間は動けないことや、トップである加賀美が早々に出るわけにはいかないことが理由である。よく言えば適材適所、その実昼間はフリーである事がほとんどな二人に割り当てられることが多かった。

 不破は剣持をじっと見つめるが、一向に視線は交わらなかった。
 隣では甲斐田が嬉しそうにしているので、思い切り肘で殴っておいた。どうせ研究に集中出来ることを喜んでいるに違いない。痛そうに呻き声をあげているが無視。

(……やりにくぅ)

 思わず心の中で呟いてしまうのは決して、不破と剣持の仲が悪いとかではなく、単純に能力の相性が悪かった。
 恐らく剣持も同じように思っているのだろうな、と想像して、でもまあ、しゃーないか、と不破は自身を納得させた。


「まずはいつものところ、見に行きますか」
「っすね」

 加賀美に指名された二人は、早速猫探しのために街へ出た。大して力を入れることなく達成できるであろう内容に、二人の格好はラフなもの。念の為剣持は竹刀袋を背負っているが、使う機会なんて無いだろうと踏んでいる。
 いつものところ、で通じるように、今回探してくれと頼まれた猫はお気に入りなのかよく寝ている場所がある。それは何回目かの捜索で気付いた場所だった。依頼主に伝えたこともあったが、少し距離があること、そして依頼主の年齢から、やっぱり彼らに依頼が来ている。その時々で金額は変わるものの、決して安くは無い。それなのによくやるなぁとは思うが、自分たちの生活もある為強くは言えなかった。

 並んで歩く二人は無言のまま、街外れに流れる大きな川までやって来た。高架下にはホームレスが数人住んでいるため、景色とは裏腹に治安は最悪だ。
 不破はこの依頼が無ければこの河川敷にやってくる用事はないし、剣持も同じく。この依頼を受けた時にだけやってくる場所は、前回と何も変わらないように見えた。
 穏やかに流れる川の音を聞きながら目的の猫を探す。二手に別れて広い場所を探すのは苦労するが、逆に言えば見晴らしはいいので動いてさえくれれば見つけやすい。慣れた名前を呼びながら伸び放題になった草を手で掻き分けていく。

「不破くん、見つけました?」
「んや、まだっすねぇ」
「珍しいな、ここら辺にいるはずなのに」
「まだ来てないとか?」
「そんなことある?」

 暫く探していたが見つけることが出来ず、一度合流する事になった。
 夏が終わったとはいえまだ冬は来ていない。ただでさえじっとりとした暑さを身にまとっているのに、体を動かしたせいで汗が溢れていく。剣持は額に流れる汗を拭って、辺りを見渡した。観測できる限りでは動くものは見つからない。普段はここら辺で眠っているから、それはそうなのだろうけれど。

「どうする?」
「どうしましょっかね」
「もう少しここを探してみる? 正直、絶対にここだと思ったから他のあてはないんだけど」

 事務所を出た時はまだ太陽が傾いていたけれど、現在は真上に存在を主張していた。簡単に終わると思っていた仕事が案外長引きそうなことに剣持はため息を吐き出す。まさか初見でもあるまいし、慣れた猫一匹探すのに時間がかかるとは思ってもいなかった。

「もちさんもちさん」
「なに? 見つけた?」
「や、お腹すきません?」
「僕は別に。……不破くんはお腹空いたの?」
「ちょーっとだけ?」

 休憩をするには少し働き足りない気もするが、時刻を見ればお昼時。もしかしたら時間が経てばいるかもしれないと希望を抱いて、二人はお昼休憩を取る事にした。


 ――同時刻、事務所にて。
 加賀美は困っていた。
 目の前に座る明らかに怪しそうな男を見つめて、はっきり「お断りします」と何度目になるかわからない言葉を紡ぐ。

 男は、不破と剣持が出てすぐにやって来た。全身を黒に包み深く帽子を被っている事によって顔の半分が隠れているが、背丈や声から男と判断した。恐らく間違ってはいないだろう。
 男は、ROF-MAOに依頼がしたいのだと言った。客であるならば内容を聞く前に返すことは出来ないと事務所へ通したが、それが間違いだったのかもしれない。甲斐田が客のために茶を淹れた湯呑みは一切手をつけられることなく置かれたまま、立ち上る湯気の色が薄くなっていた。

 名前すら名乗らない男が持ち込んだ依頼は、とある人物の殺害だった。
 詳細を聞く前に一度断りを入れた加賀美だったが、男は聞く耳持たずで話し続ける。聞きたくもない内容を話されて二人はほとほと困り果てていた。
 思わず吐き出しそうになるため息をギリギリ呑み込んだ加賀美は、やっぱり「お断りします」と変わらず返事をする。

「私たちは、そういった依頼は受けません。いくら積まれようがどれだけ頼まれようが、専門外です」

 ROF-MAOが受ける依頼は、かならず人の生死に関わらないもの。それは当初からの決まりだった。戦闘が必要な依頼は場合によって応じるが、人を殺める事はしない。

「ですので、お断りします。どうかお帰りください」

 甲斐田は普段剣持が座る場所に腰掛け、真っ直ぐと伝える隣の加賀美を見る。何でも屋と謳っているためこういった依頼を持ち込まれるのが初めてでは無いが、その度にしっかりと断る加賀美の横顔は、甲斐田には少し苦く見えた。

「知り合いがね、こちらに同じ依頼をしたところ、しっかりと遂行してもらえたと言っているんですが」
「申し訳ありませんが、その方が嘘を仰っているか、他の方と勘違いをされているのではないでしょうか? 少なくとも、うちが殺害依頼を受けた事実はありません」
「いやいや、そんなはずはありません」
「…………万が一に、億が一に、あなたの仰っていることが本当だとしても、今のROF-MAOはそういった人の生死に関わる依頼はお断りしています。どうかご理解ください」

 頭を下げる加賀美を見て、隣の甲斐田も慌てて同じように下げた。これで納得してくれるかどうかはわからないが、されなくても別に、頭を下げ続けるだけだった。

 無言の時間が流れる。果たしてどれだけ続いたかはわからない。体感では数分に思えたが、聞こえた秒針の音は数回だった。

「………………わかりました。そこまで言うなら諦めましょう」

 男は不服そうな声ではあるものの、諦めた様子に加賀美は頭を上げた。表情に出すことはしないが内心、やっと理解してもらえたと気持ちが上向きになっていく。

 結局、甲斐田の淹れたお茶は一口ですら飲まれることなく男は帰って行った。
 事務所の扉が閉まった瞬間には甲斐田の口から大きな安堵の息が吐き出された。




 河川敷の近くにあるカフェに、二人はいた。今どきのオシャレな装いをしている店の中は、男性客がいないわけではないが女性客が多く見える。剣持は居心地悪そうに入店して落ち着かない様子を見せていたが、頼んだ品が届く頃には落ち着いていた。
 不破はどこでも良かったが、流石に中央の席を選ぶのは気まずい剣持が無理やり窓際へと座ったので何も言わず剣持も向かい側に座る。
 太陽に照らされ動いて流れていた汗は、エアコンの効いた店内のおかげですっかり乾いていた。

「不破くんさぁ」
「ん?」

 剣持は対して空腹だった訳では無いが、今食べなければ次は夕食になるためオムライス、不破はガッツリとランチメニューを頼んでいた。それぞれの前に置かれたそれらは、もう残るところ半分もない。
 お互い食べ終わったらすぐに店を出るだろう。そう考えて、剣持はこのタイミングで話し始めた。オムライスをすくうためのスプーンはお皿の上に置かれている。倣って、不破もお箸を置いた。

「僕と喋る時もまだ気を使ってるでしょ」
「やー……?」
「うそ。今だってほら、言葉選んでる」
「そんなことないけどね」

 にへら、と笑って誤魔化している自覚が、不破にはあった。剣持のじっとりとした目線が貫く。
 あーあ、これだから剣持と二人きりになるのはやりづらい。他に誰か一人でもいれば、こんな話題になりはしないのに。不破は口を閉ざして、にっこり笑った。これ以上言ってくれるなと、言外に伝えているが果たして。
 不破は、あまりこの手の話題が得意ではなかった。職業柄、話すことは得意ではあるが。

「僕はさぁ、ほら――あれ……?」
「もちさん? どうかしたんすか?」
「い、いた……!」
「へ?」
「猫! いた!」

 剣持は不破の後ろ――窓の外を指さした。
 体を捻って指さす方に向けると、確かに、不破の目の前に探していた猫がいる。立ち上がった勢いで椅子が揺れて、店内にいる人間の視線を集める。ついでに外からも丸見えなので、突然立ち上がった不破に通行人も視線を投げていた。
 テーブルの上にはまだ残っている料理たち。目の前には探し猫。
 どうするべきか一瞬考えを巡らせて、二人は席から離れた。食べきれなかった料理たちにも作った人にも申し訳ないが、優先度が違う。恨むならばこのタイミングで現れた猫を恨んで欲しい。

 二人は慌ててご馳走様でした! 店内に響くよう声を上げて、先に不破が店を飛び出した。共有の財布を持っているのは剣持なため、支払いは任せて。

 あまりにも勢いを付けてしまったせいか、確保する前に猫は逃げてしまう。高い身体能力で逃げ出す猫から目を離さないように、そして後から追ってくる剣持もはぐれないように注意しながら猫を追う。
 剣持が隣に並んだのを確認して、不破は大きく口を開いた。

「猫ォ! 止まれ=I」

 不破が叫んだ後、数秒後。体をしなやかに動かして走っていた猫がぴたりと動きを止めた。すかさずもちさん! 剣持の名前を呼べば、わかってるよ! なんてなげやりの返事がやって来る。
 動きの止まった猫を剣持が持ち上げると、人間でもわかりやすく嫌そうな顔をする。

(猫ってこんな顔するんやな)

 無事依頼が達成出来たことに安心しながら不破は剣持に近づいて、丁寧に手入れされた毛並みを撫でた。

「どこ行っとったんや猫ぉ」
「まあ無事確保出来たことだし、戻ろうか」
「っすね。お前もう脱走するんちゃうぞ」
「猫に人間の言葉はわかんないでしょ」
「いや、こいつは理解してるところあるで」

 事務所に戻るため、剣持が猫を抱え直したその瞬間。動きを止めていたはずの猫が動き出し、一瞬の隙をついて腕の中から飛び出した。
 あ、と反射的に口から音が落ちた時には腕の中は空っぽ。いくら剣持の反射神経がいいとは言え、猫には適わなかった。

「もちさん! 追いかけろ≠ァ!」

 逃げ出す猫の後ろ姿を呆然と見つめて、いち早く我に返った不破が走り出しながら叫ぶ。不破の叫び声に剣持も並んで走り出した。
 猫のスピードに負けないよう足を動かすが、その為には持ってきていた竹刀袋が邪魔で仕方がない。かといってそこら辺に放置はできないので、背負ったままではあるが。

「追いかけるけど! 追いかけるけどさぁ! それ僕には効かないからね!?」
「知ってる!!」

 走って、走って。時折見失って、見付けて、追いかける。ただひたすらそれの繰り返しでなかなか猫を捕まえられないまま、太陽は傾いしまった。真上にあったはずの太陽が沈み、辺りが赤く染まり始めた時刻まで体を動かし続けた二人は、正直、もう指一本と動かしたくないほど疲労している。
 全力で逃げ回る猫を人間が追いかけるなど、出来るわけがなかった。可能にする能力を持つ人間もいるだろうが、今この場にはいないし、二人の知り合いにもいない。

 道の隅で座り込んだ不破と、膝に手をついて俯く剣持。どちらも肩で息をしており、これ以上の捜索はむずかしい。二人は無言でお互いの顔を見合って、そして静かに頷いた。
 剣持が不破に手を伸ばせば、そっと手を重ねられる。思い切り引っ張って不破を立ち上がらせて、口を開く体力すら惜しい二人は無言のまま己の住処へと向かった。


「おかえりなさい、遅かったですね?」

 事務所に戻ると、そこに居たのは加賀美だけだった。パッドを使ってなにやら調べ物をしている加賀美は珍しく眼鏡をかけており、事務所の扉が開いた音で顔を上げる。甲斐田は客が帰り次第自室に籠って研究を始めてしまっていたため、この場にはいない。
 いつもの猫探し、ただし場所は決まっているものとする。そんな簡単な依頼のはずが、疲れ切って帰ってきた二人に首を傾げた。剣持も不破も、捜索を願われた猫を抱えていないことも、不思議に思うひとつでたった。

「ただいま……」
「疲れたぁ〜」
「お疲れ様です。依頼の方はどうですか?」
「逃げられましたねぇ」
「あいついつもの場所にいないんだよ……」

 剣持は加賀美の隣に座り、不破は事務所に設置されている小さな冷蔵庫から自身の飲み物を取り出し、プルタブを開ける。カシュ、と炭酸の抜ける音が部屋に広がって、一気に缶を傾けた。

「一度は見つけたんですけど、また逃げられちゃって。そこから見失いました。流石に猫のスピードは出せないよ」
「うまぁ……生き返るわァ」

 一度に半分近く飲み干した不破は、細長い缶を片手に加賀美の前へ座る。テーブルの上へ缶を置いた不破は、ソファの背もたれに全身を預けて脱力した。普段見ることの無い天井が視界いっぱいに写る。

(あ、あそこシミある)

 意味もなく天井のシミを数え始めた不破を横目に、加賀美は苦笑いを零した。どれだけ大変だったのかは二人の様子を見ればすぐにわかる。普段、だいたいの依頼をそつなくこなす二人だからこそ、わかりやすかった。

「あと僕、やっぱりこういうの向いてないよ、すぐ逃げられるもん」
「身体能力的には剣持さんなんですがねぇ」
「甲斐田くんにパスしていい? 代わりに明日は社長の手伝いするからさ」
「たまには、と思って剣持さんにお願いしたんですが……、そうですね。明日は甲斐田さんと不破さんのお二人にお願いしましょうか」
「おれぇ?」

 二人の会話の半分も頭に入っていなかったが、己の名前が出れば反応はできる。頭を持ち上げて天井から二人に向きを変えて見つめれば、目が合った剣持に「じゃああとはよろしく」とだけ言われて目を瞬かせた。話を聞いていないので、どういう流れで名前が出たのか把握出来ていない不破は、流れるように視線を加賀美へ移す。
 しばらく見つめ合ったのち、加賀美はゆるく笑って答えた。

「明日は不破さんと甲斐田さんのお二人でお願いしますね」

 それは明日も働けと言われているのだが、不破は何も考えずに了承する。
 明日の夜には個人の仕事も予定に入っていることをあとから思い出した。が、まあなんとかなるやろ、と楽観的思考のまま、不破は明日に向けて少し早い休息へと入った。


「どうせいつものところじゃないんですかぁ?」
「昨日は違ったけどな」
「聞きました、聞きましたよえぇ! でも違う場所ってなったらどこを探すんですか?」
「わからん!」

 うんざり顔の甲斐田に不破は笑顔で答えた。
 昨日の捜索がどうなったのか聞いていた甲斐田は、事務所を出る前から心做しか疲れていた。一日中外で出歩く体力があるのか不安ではあったが、加賀美の指名とあらば大人しく従う他ない。
 不破は特に目的地も決めず街の中を歩いていく。誘拐される常習犯と共にしているため、常に甲斐田が視界に入るよう配慮だけは忘れずに。どこへ向かうのか聞かされていない甲斐田は不破の後を追うだけだ。
 二人してのんびりと目を覚ましたため、事務所を出たのはお昼を完全にすぎたおやつ時。呑気に昼食を終え休憩すら取る二人に剣持は口を挟んだが、暑いからの一言だけを言い返して出たのが午後三時半。

 ふらりふらりと歩き続けて、無意識のうちに辿り着いたのは昨日も剣持とやってきた河川敷だった。
 相変わらず草はぼうぼうに生い茂っているし、高架下で生活しているホームレスはブルーシートの上で寝ている。不破は高架下には目もくれず、草を掻き分けて猫の姿を探した。甲斐田が不破の視界から外れて探索を始めるので、ゆったりと場所を変える。ついでに一度甲斐田に近づいて、その頭を一発軽めに殴っておいた。こちらの配慮も気づかず自由な姿に腹を立てたので。

「いった!? なんで!? なんで殴られたんですか僕!」
「そっちおった?」
「ねぇ聞いて? 無視しないで? ちなみにこっちにはいませんでした」
「おらんかぁ」

 不意に、不破の視界に何かが横切った。あれぇ? 首を傾げる前に、甲斐田がアニキ! 声を上げる。

「今走っていきませんでした……!?」
「やっぱか」
「ねえ不破さん行きましょうよ!」
「頑張れ〜」
「不破さんも! 頑張るんだよ!!」

 正確に姿を認識出来た訳では無いが、こんな場所で素早く動く生物なんて限られている。慌てて追いかける甲斐田の後ろを歩いている不破はのんびりしていた。
 甲斐田は少し走ったかと思うと急に立ち止まる。名前を呼びながら歩いて追いついた不破は、甲斐田の視線の先を覗き込んだ。
 そこには落ち着いたポジションがあったのか、探していた猫が丸まって眠っている姿が。ちょうど綺麗に草も生えておらず寝心地がいいのだろうその場所は、最初に探した時にはいなかった猫の定位置であった。
 不破が猫を抱き上げるつもりが一切無いことは既に伝わっている。何度も繰り返す仕事の中、不破は時折能力を使うだけだった。ずっとここにいるのも時間の無駄だと甲斐田が猫を抱き上げると、猫は何度か体勢を変えたのち、大人しく腕の中に落ち着いた。昨日剣持の腕の中から飛び出した様子とは正反対な姿を見せる猫に、不破は少し疑問に思いながらもまぁいっか、とすぐに疑問を頭の外へ追いやった。

「帰るか! 働いたわぁ」
「主に僕ですけどね……」

 甲斐田が猫を抱え直すが、剣持の時のように逃げ出す事はしなかった。目を閉じて眠っているようにも見えるが、その実ただ目をつぶっているだけかもしれない。気ままな猫の生体を知っている訳では無い不破と甲斐田は、早いところ事務所へ帰ることにした。
 昨日のようなことがあるから猫探しの依頼が来た際には不破が必ず動くことになっている。暗黙の了解というよりは、内容が楽そうだったため不破が自ら名乗り出たのが始まりだった。
 しかし、実際のところ。不破が能力を使うことはほとんど無い。見つければ大人しく抱えられてくれるし、人懐っこいのか慣れているのか、むしろ近寄ってくることもあった。
 だからこそ、不破は昨日逃げ出されたことが不思議で仕方がない。甲斐田が動物に好かれやすい体質なのか、剣持が嫌われやすい体質なのか。そもそも、不破の能力が効かないこと自体不思議で仕方がないのだが。なんせ効かない人間に初めて出会ったので。

「あれ、不破さん、あれもちさんじゃないですか?」
「あぇ、ほんまや」

 事務所に帰る途中見つけた後ろ姿は、見間違えることの無い剣持だった。見つけた場所的に考えれば、事務所を出て直ぐなのだろう。手には何も持っておらず、いつもの竹刀袋も引っ提げていない。着心地がいいのか落ち着くのか、愛用しているパーカーにズボンと言った格好をしている剣持はこちらに気付かないまま過ぎていく。

「もちさんって何か予定ありましたっけ?」
「んにゃ、わからんなぁ」

 個人のスケジュールは、基本的に全て書き出されている。共有のボードに予定があれば書き込むスタイルで、お互いボードを確認しつつ自分の予定を入れる。
 不破はわからないとは答えたものの、最後に書き込んだ時には確か剣持の予定はどこにも書かれていなかったはずだ。脳内で思い起こしてみるものの、やはり予定はなかった。
 けれど、まぁ。突然予定が入ることなんて不破にもあるし、きっとそれだろう。それより早く事務所へ猫を連れて行った方がいい。なんせ見つけた姿は逃げられた前科のある剣持なので。

「もちさーん!!」

 にも関わらず、甲斐田は大声で剣持の名前を呼んだ。しっかりと声が届く音を出した甲斐田は、きっと猫を抱えていなければブンブンと腕を振っていたに違いない。しかし剣持には届かなかったのか、足を止める素振りすら見せることなくどこかへ向かうものだから、隣であれ……? と甲斐田は首を傾げている。

「無視された……?」
「甲斐田やしな」
「どういう意味ですかそれ!」

 わはは! 笑って誤魔化す不破の足は、甲斐田に釣られて止まっている。視界から外れた瞬間攫われるような人間なので、不破が先を歩くという選択肢は無い。
 はよ行くぞ、と甲斐田の脇腹を突っつくと、けろりと切り替えた甲斐田はそうですね、と言った。

「あ、アニキの能力で引き止められるんじゃ?」
「いやもちさん効かんし」
「え?」
「なんでかわからんけど効かんのよな、もちさん」
「えぇ? そんな事あるんですか?」
「不思議よな。今んとこもちさんだけやで」

 どうやら甲斐田には知らされていないようだった。困惑の表情を見せる甲斐田に、不破はあっけらかんと答える。

(ま、別に能力効かんの言う必要もないしな)

 えぇ? そんな。能力の効かない人間? そんな訳。ひとしきり困惑しきった甲斐田の研究者魂に火がついたようだった。

「もちさんが帰ってきたら聞きます」

 決意を固めたように頷く甲斐田の横で、不破はとりあえずにゃはは、と独得な笑い声を零していた。


「ふぁ……」

 不破は煌びやかな服を身にまとって帰宅した。欠伸が零れてしまうのは日中睡眠を取れなかったからであるが、その理由に文句を言うつもりはない。セットされた髪をくしゃくしゃにかきながら、自室に帰るため一度事務所を通る。
 まだ太陽は顔を出していない。月がまだはっきりと見える時間帯。この時間になれば、いくら研究に集中すれば時間を忘れる甲斐田であれ眠っている。剣持と加賀美に至っては健康的な生活を送っているので、言わずもがな。

 しかし、不破の予想を裏切る光景が、そこにはあった。

「…………もちさん?」
「不破くんじゃないですか。おかえりなさい」
「ただいまぁ。……どこ行くん? まだ朝ちゃうけど」

 昼間に見かけた姿と変わらぬ剣持が、そこにいた。驚く不破とは対照的に落ち着いた様子の剣持は、しかしその質問に目を泳がせる。これはいけないと剣持の腕を掴むが、抵抗されることは無かった。
 普段ならベッドでぐっすり眠っているはずの剣持が外行きの服を着ているわけがない。さらに言えば上はだいたい白を選んでいるはずなのに、今は全身真っ黒だ。珍しいな――ジロジロ見てしまったが、よくよく見てみればそれは普段着ている白色のパーカーの色違いなだけだった。余程そのブランドが好きなのか。不破は対して疑問に思うことなく流す。
 それよりも、だ。

「もちさん?」
「……ちょっとコンビニに行くだけですよ」
「ほな俺も行こかな」
「え?」
「なに? あかんかった?」
「いや……、……いいけど。眠くないの? 寝てないよね不破くん」
「まあまあまあまあ」
「何が……?」

 首を傾げる剣持の腕を引っ張って、来たはずの道を戻っていく。コンビニは事務所からそう遠くないので、行って帰ってきても三十分はかからないだろう。そのぐらい寝るのが遅れたところで誤差だ。
 勝手にどこかへ行かないように手を掴んだまま歩いている光景は誰かに見られたら通報されてしまうかもしれない。なんせ未成年と成人なので、一緒に住んでいる仲間ですと言ったところで信じてもらえるか怪しい。しかし、時間が時間なため通行人はおらず、街はがらんとしている。

 やる気のない店員の挨拶を聞き流して、特に目当てのものが無い不破は剣持の後ろをついて行くだけだった。店内を一通り見て回った剣持は、アイス売り場で足を止める。

「俺もアイス買お」
「どれにするの?」
「なんでもええなぁ」
「なにそれ」

 ぽつりぽつりと交わす言葉は、横に並んでいなければ店内放送にかき消されていただろう。

「僕これにしようかな」
「じゃあ俺はこれにしよ」
「好きだねぇ、エナドリ」
「源やからなぁ」

 剣持は手にしたのは売り場に出ている中で一番安い氷タイプのアイスだった。夏になれば無条件で食べたくなる有名なアレ。不破は同じメーカーのエナドリ味を手に取って、剣持の分を奪い取る。
 え? と剣持が呆気に取られている間にレジを済ませた不破は、ニコニコ笑いながら剣持へ手渡した。何かを言いたげな顔をしながらも受け取った剣持は、かなり不服そうだ。

「あのさぁ。別に自分の分ぐらい払えるんだけど」
「甘えとったらええねん」
「子ども扱いしてる?」
「子どもやろ?」

 確かに年齢で言えば剣持は子どもで間違いない。時折大人びた顔を見せるものの、出会った時からそれは変わらない事実であった。
 アイスの袋をおもむろに開けた不破は、ひとくち齧る。

「えぇ、食べ歩き?」
「だってしゃちょーと晴の分ないし」
「それが大人のすることかよ!」

 ケラケラと笑った剣持も同じように袋を開けてアイスを齧る。もう夏は過ぎたとは言えまだ夜でも蒸し暑いこの季節。ひんやりと冷たいアイスが外に出たことにより火照った体を冷やしていく。生暖かい風が吹いて、全身にじっとりとした湿気がまとわりついた。

「不破くんさぁ」
「どしたー?」
「……いや、不破くんって初めから僕のこと子ども扱いするよね、と思って」
「もちさん子どもやん。高校通ってるし」
「不破くんより長生きしてるかもしれないのに?」
「でも見た目子どもやしなぁ。しかも実際どうかはわからんやん?」

 しゃりしゃりと氷が砕けていく。見えた棒の先に書かれた言葉はハズレで、対して期待もしていないのに残念な気持ちになった。

(当たれって言ったら当たるんかなぁ)

 試す気も無いことを考えて、最後のひとくちに齧り付いた。




 不破湊は、生まれながらにして言葉に関する能力を持っていた。目に見えるものでは無いので最初こそ何の能力を持っているのかわからなかったが、成長するにつれて理解することができた。
 不破は、己の言葉通りに人を動かすことが出来る。もちろん、それは人のみにならず命≠るものが対象だった。今までの人生の中でそうだっただけで、その実無機物も対象内になっていたのかもしれない。ただ、それは不破自身が把握していないため、今のところ対象は命あるもののみだと考えている。無機物に対してわざわざ検証する必要が無かったとも言えるが。
 幸か不幸かは自身にはわからなかったが、同じ能力を持つ人間が周りにいなかったため、その能力に名前がついたのはここ最近の話だ。
 幼い頃は能力を制御することが出来なかった、なんて、現代においてはよくある話だった。だからと言って、能力によって生まれた不利益をしょうがないと片付けられるほど甘い世の中では無い。
 幼いから能力が暴走しても仕方がない。気を付けましょう。一部にとってはまかり通る理論かもしれないが、不破にとっては例外も例外だった。

 だから。だからこそ。
 不破湊は、自分の能力が怖かった。

 意図していないにも関わらず、自分の言葉通りに動く人間たちが怖かった。強い言葉を使うこと自体滅多に無かったが、それでも、怖くてたまらなかった。
 友人を、家族を、自分のオモチャにしたいなんて、思っていないのに。ただ普通に、会話を楽しんでいたいだけなのに。
 まだ簡単な動作を指示するだけならいい。場合によっては使い道だってある。それでも怖いものは怖いが、能力とは本来そういうものである。

 ただ、万が一。億が一にでも。
 ――命に関する事を言ってしまったら?

 今でこそ努力の甲斐があってある程度能力を制御する事に成功しているが、まだ制御出来ていなかった頃は怖くて怖くて仕方がなかった。言うつもりは無かった≠ェ、不破湊には理由として効かない。だって言ってしまったらその通りになってしまう。取り消しなんて出来やしない。
 言葉の通りになるとは言ったって、不破は無から生み出すことは出来ないのだ。
 両親でさえいつ自分に能力が向けられるのかと怯えた暮らしをしていた中で、自分が平然と過ごすなど出来やしなかった。
 無条件で、ふいに零した言葉が能力となって形を変えるのが、不破の持つ能力だった。唯一の幸いと言えば、数少ない魔法使いと違ってあまりにも不安要素が大きすぎるため狙われることが無かったことぐらいだろう。

 今でこそ制御が出来ているし、感情が昂らなければ暴発することも無い。そもそも、不破自身が言葉遣いには気を付けているため、きちんと使い所でしか能力が発動しないので本来あった不安要素もゼロに近いのだが――それを、他人が知る由もなく。

 ずっと自分の能力に対する恐怖を抱きながら生きてきた不破は、この能力に名前をつけた高校生と出会うことで人生が一変した。


 不破はその能力に怯えてはいたが、この能力を持つことによって活きる職を見つけることは簡単だった。
 生きるためには金がいる。金を手に入れるためには働かなければならない。しかし、能力の性質上普通の仕事なんて出来るわけがなかった。不破の能力に怯えながら仕事を共にすることになる仲間にも申し訳がなかったし、自分自身も特別気を使いながら働く事になるのが嫌だった。

 夜の街は、不破にとって思ったよりも息がしやすい場所だった。
 そもそもアルコールによって鈍った思考回路を持っている人間がほとんどの夜の街では、なぜか能力が効きにくい。働くようになって気が付いたが、この能力は不破の言葉を理解してやっと力を持つものらしい。もっと早くに知りたかったとも思うが、子どもの頃にお酒に触れることなんて出来ないため仕方がない。そう考えることによって、不破は過去の自分を正当化した。
 夜の街に飛び込む前と今なら確実に今の方が自由に暮らしてると言えるぐらい、不破にとってぴったりと型にはまった場所となった。

「きみ、学生?」

 質素な服装をした青年が店の前を通りかかったのを視界に捉えて、不破は声をかけた。足を止めた青年は振り返り不破の顔をまじまじと見つめたあと、やけにふてぶてしい声で「……違いますけど」と否定する。

(いやどっからどう見ても学生やん)

 なぜ否定できると思ったのか。
 不破の目に写る青年の顔はまだあどけなさを残しているし、そもそも、夜の街を歩くにしては服装が質素過ぎる。この街は見栄を張ってなんぼなのでパーカーにジーンズて出歩く人間などいないし、雰囲気からして不慣れなことが見て取れた。学生でないにしても確実に成人はしていないだろう青年を前に、不破は警戒を解くためにへらと笑った。

「きみみたいな子はあんま来やん方がええよ」
「初対面の人間によくそんな説教じみたこと言えますね」
「お兄さんからのアドバイスやん?」
「受け取り手の解釈に任せるのはどうかと思いますけど」

 ああ言えばこう言う青年に微かな苛立ちを覚えたが、深呼吸をして落ち着かせる。ここで感情任せに口を開いてしまえば意図せず能力を使ってしまうかもしれない。経験上、これ以上は危険だと脳が告げる。
 気持ちを落ち着かせるために青年の服装を改めて見てみると、鞄の類いは一切持っておらず、財布はジーンズの後ろポケットに無防備にも突っ込まれたまま半分ほど顔を出していた。

(スられたいんか?)

 昼に生きる青年は知らないかもしれないが、夜に生きる人間は頭が狂っている者が多い。簡単に盗みを働くし、暴力だって行う。
 不破は根の優しい人間であるから、青年には無事家に帰って欲しかった。例え、初めて会う人間だったとしても。

「ほんまに、きみみたいな子は危ないよ」
「知ってますけど」
「じゃあなんでおるん?」
「それ、あなたに言わないとダメですかね」
「流石にかぁ。名前は? 俺は不破湊って言います〜」
「えっこの流れで自己紹介?」
「ホストやらせてもらってます」
「見たらわかりますし僕の話聞いてます?」
「で? きみは?」
「ああダメだこれ聞いてないやつだな。聞こえてないなこれ。あんたが勝手に名乗っただけでしょ僕は名乗りませんよ」
「そう言わずに」

 突然見知らぬ歳上の男に話しかけられても物怖じしない青年は、呆れたような顔で不破を見つめる。こんなことで物怖じするならば、こんな場所に来るわけもないのだが。
 警戒されないための笑顔がかえって警戒心を与えていることに、不破は気付いていないまま、ニコニコと笑顔を浮かべている。青年は訝しげな顔を隠そうともせず不破を見上げて、そしてため息を吐いた。

「もう行っていいですか?」
「帰るん?」

 帰るのならばそれでいい。こんな危ない場所に子どもが居ていいわけが無いから。
 青年は「そうですね」と軽く口にして、それでは、と続けて背を向けた。それが、不破にはどうしても嘘に聞こえて仕方がなかった。どうしてそう聞こえたのかは不破自身わからないが、少ない会話の中で青年が素直に帰るとは思えなかったからかもしれない。どうやら青年は素直では無いみたいなので。
 だからここで彼を行かせた場合、もしこの後彼の身に何かあってしまえば。

(アー……、やりたくは無いけどなぁ……しゃーないかぁ……)

 不安がふつふつと湧き上がってくる。きみ、と結局名前の聞けなかった青年を呼び止めた不破は、面倒くさがる様子を隠そうともしない青年に、一言投げかけた。

「きみ、ちゃんと帰れよ=v

 本来、知人でもなんでもない不破がここまで気にかける必要なんてない。もしかしたら言葉通りに帰宅するかもしれないし、しなかったとして、何が起こっても不破の責任にはならない。だけどもなぜか、なぜだか、放っておけなかった。その理由を、自分では見つけられていないけれど。

 これでちゃんと帰ってくれるだろう、と安心したのも束の間。青年はかけられた言葉にぽかん、と口を開けたあと、目を細めながら手で口元を隠してちいさく笑った。その表情は、子どもであるはずなのにやけに大人びて見える。

「嫌そうな顔をさせてまで使わせたことは申し訳なく思いますけど、僕には効かないんですよね、残念ながら」

 青年はおかしそうに笑いながら、けれど、確かに帰る素振りを一切見せなかった。

 はぇ?
 口からこぼれ落ちた音のなんとマヌケな事か。
 じくじくと青年の言葉を理解していく不破はぽかんと口を開けたまま締めることができないでいた。完全に理解をする前、ゆるりと首を傾げる。あちこちに跳ねるようセットされた髪型は崩れることなく、そのままを保っている。

 この青年は、今、なんと言ったか。

 子どもがイタズラをするようなあどけなさのある笑みを浮かべているはずなのに、確かに楽しそうにしているはずなのに、不破にはどうしてかその笑みが諦め≠ノ見えて仕方がなかった。

「それでは、僕はもう行きますので」

 呆気に取られている不破を置いて青年が立ち去ろうとする。ーーのを、慌てて腕を掴んで引き止めた。何かを言いたげな目が不破を見上げる。ペリドットがネオンに照らされてキラリと輝いた。

「ちょと待って!」
「なんですか、もう良くないですか?」
「なんで効かんの!?」

 不破の疑問は最もである。
 仕事柄色んな人間と接しているが、能力が効かない人間なんて初めて出会った。仕事中に能力を使う場面は限られているし、効いているかどうかなんてわざわざ聞かないためでもあるが。それにしたって。
 能力に相性こそあれど効かない人間なんて、まさかこの世の中にいるなんて。

 不破は驚いた感情のまま疑問を飛ばすが、青年はうんざりした顔をしていた。どうせ他の人にも同じことを聞かれているだろうに、自分から明かしたものに対する追求をうんざりするのは如何なものか。

「あ! 危ないからお家まで送ってくよ」
「いりません」
「まあまあ、遠慮せずに」
「これが遠慮してるように見えるんですか?」
「家どっち?」
「話を聞け!」

 ぶん! 勢いよく振られた腕は拘束が解ける。そのまま話し続ける不破を無視する青年の後ろを、不破は追いかけた。

(親御さんも能力効かん人なんかなあ。そしたらなんで効かんのか聞けるかな)

 好奇心と期待で胸をふくらませた不破の足取りは軽い。大袈裟に左右に揺れながら、手を後ろで組んで歩く。
 きみ、きみ。何度も呼び掛けるが、振り返るどころか返事すらない。それでも不破は話し掛け続けた。暫く一方的な時間が続くが、何度も繰り返される呼び掛けに鬱陶しくなったのか青年が「もう!」と突然叫びをあげる。急に足を止めた青年にぶつかりそうになるのをなんとか堪えて、不破も足を止めた。

「なんでついてくるんですか! 言っておきますけどただの不審者ですからね? 通報しますよ?」
「子どもがこんなとこおったら危ないやん?」
「危ないのはお前だよ」

 ズボンのポケットからスマホを取り出した青年の手を、動きを抑えるために重ねる。思ったよりも低い体温に驚きはしたが、冷たい程でもないため、手を離すことはしなかった。
 にゃはは。誤魔化すように笑った不破は、危なくないよ〜、となんの説得力も感じない言葉を繋げる。それでも流石に通報されるのは勘弁して欲しい。最悪、やって来た警察に能力を使えばするが、不破はこのような使い方をあまり好まないので。

「気になるやん? 能力効かん人間とか」
「知りませんよそんなこと」
「せめてなんでか聞きたいな〜、なんて? 思ったり?」
「生まれてからずっとこうなので知りません。以上。さようなら」
「そうなん!?」
「オイまてさよならって言ったよな! 手を! 離せ!」
「ああごめんごめん」

 パッと青年の手を離した不破は、両手を顔の横に挙げる所謂降参ポーズを取った。しかし顔はニコニコと笑顔を浮かべたままで、内心手を離した瞬間走り去られなかったことに安心している。どうやら通報はしない方向に決めたようだった。

「親御さんも効かんの?」
「……さぁ」

 青年の声のトーンがひとつ、下がる。
 知らないのか、言わないだけか。不破はなんとなく直感で、知らないのだと思った。
 目を伏せた青年にこれは聞いてはいけない事だったと感じるが、口を出た言葉は取り消せない。不破は、それをよく知っている。だからこそできる限り気を使っていたというのに、能力が効かないのだと思えば普段よりもいっそう脳直な言葉が飛び出てしまった。しかし、謝るのも違うだろうと口を閉ざす。

「とりあえずさ、とりあえずな? 流石に危ないから送らせてや。きみになんかあったら夜も眠れんよ、俺」
「あんた元々夜は寝てないだろ」
「それもそうか! でも危ないんはほんま。ここで過ごしてるからわかるよ」
「しつけぇなぁ!」

 言葉の崩れた青年がケラケラと笑う。先程のしんみりとした空気はどこかへ飛び去ってしまっていた。
 何度もしつこく送ると言っているからか、青年は仕方ないなぁ、と不破に隣に並ぶことを許可する。物理的な距離が近くなった事により先を行こうとする不破を、道知らないだろ、と呆れた顔をした青年が正しい道を教えた。

「きみの能力はなんなん?」
「さぁ、なんでしょうね」
「あ! 説明しにくいやつ? 俺のみたいな」
「いやあんたは説明しやすいだろ」
「えー、わからん」

 首を捻る不破に、青年も同じように首を捻った。心底不破の言っていることが理解出来ていない様子に、更に不破が首を捻る。途中、どこまで首は曲がるのだろうと思考が逸れた不破を元に戻したのは、青年の一言だった。

「言葉に力が宿っているんだから、それは立派な言霊でしょう?」

 何を言っているんだと、青年の顔が語っていた。

(言霊……、ことだま、かぁ)

 青年の言葉を口の中で転がす。今まで自分の能力の名前を知らなかった――否、無かっただけに、新鮮な気持ちだった。
 それぞれが持ちうる能力において、正式な名前など、存在しない。ただ分かりやすくするために、分かりやすい名前をつけて呼んでいるだけである。それは、ジャンル分けのような意味合いのものだった。念力だの透視だの呼ばれる能力がこの世には存在するが、持っている人間は違う名前で呼ぶことだってあった。ただそれだと人に伝わりにくいだけで。

「言霊の概念は随分昔から存在しますし、言葉を扱う能力を持つ人間は他にもいましたけど。それを説明しにくい能力だと言ったのは僕が知る限りあなたが初めてですね」
「……きみの初めて奪っちゃった?」
「やめろそんなもの存在しなくていいんだよ」

 本当に嫌そうな顔だった。なんなら会って一時間ほどの間で見た表情の中で一番顔を顰めていた。時折大人のような顔を見せるこの青年は、やっぱり青年らしくコロコロと表情が変わる。
 見ていて飽きないなぁ、とは思うが、きっとこの時ばかりの縁。少し寂しいような、けれど子どもは夜の街に近付いて欲しくないような、そんな気持ちがせめぎ合う。

「……ぁ、」
「ん? どうした?」

 躓くことなく進んでいた歩みは、青年のこぼれ落ちた一言とともに止まった。顔を覗き込んで心配してみるが、青年は険しい顔のまま目を泳がせている。

「――剣持さん、随分遅いお帰りですね」

 不意に、近づいてきた背の高い男が声をかけた。その声に乗っているのは怒り≠ナあり、不破はこちらに声をかけているのだと気付くのに数秒時間をかける。
 男がしっかりと視界に捉えているのは不破の隣に並ぶ青年――剣持で。声をかけられた当人の顔色はだんだんと悪くなっているように見えた。

「しゃちょ……起きてたんですか……」
「えぇ、まあ。剣持さんが居なかったので。ところで隣にいる男性は?」

 剣持に社長と呼ばれた男は目線だけを動かして不破のことを見つめる。背の高さからか威圧感があるけれど、不破はそんな事よりも、問われた質問よりも気になることがひとつだけあった。

「社長なんすか!?」
「え?」
「えぇ……反応するとこそこなの……?」

 思わず前のめりになってしまった疑問に、きょとん、と呆気に取られた顔と、呆れた顔の二つが不破を見つめていた。


「もちさんさぁ」
なにはひ?」

 アイスはとっくに腹の中へ消えている。それは隣に並んでいる剣持もそうだが、味のしない棒を咥えているため上手く言葉が発せないでいた。
 ブラブラと大きく足を上げながら、けれど隣に合わせた歩幅で事務所までの道を歩く。時間が経つにつれて夜は眠りにつき、それと共に太陽が目覚め始める。ゆっくりと変化が感じられない程度に上がっていく気温は、しかし、事務所を出た時と比べて暑いと自覚できるほどになっていた。
 果たして隣の高校生は眠らなくても大丈夫なのだろうかと、今更ながらの疑問を抱く。確か学校があったのではないか。今からだと朝練があるから、睡眠にあてる時間は消え去っているのではないか。複数の疑問が頭を埋めつくした結果、まあもちさんなら大丈夫やろ、と根拠の無い信頼を置いた。

「結局俺、もちさんがなんで能力効かんのか知らんままやねんけど」
「ずっと知らなくてもいいんじゃない? そういえば今日帰ってきた甲斐田くんにめちゃくちゃ聞かれたけど、教えたの不破くんでしょ」
「いやぁ、知ってると思ってたんよ。まさか知らんとはなぁ」
「わざわざ言うほどでもないしね」
「ちなみに甲斐田の魔法は」
「効かないねぇ」
「はぇー」

 くふくふと笑う剣持は、初めて会った時よりも柔らかい顔で笑っている。
 途中、小さな公園に寄ってゴミ箱にアイスの袋と棒を捨てた。これで証拠隠滅である。ずっと咥えていた棒をあっさり手放した剣持は、だけども口の中に何も無いことに違和感を覚えていた。どうせすぐにその違和感も消えていくが。

「どうします? 戻って社長起きとったら」
「やなこと言わないでよ。僕まだあの時の怒った社長怖いんだから」
「もちさんめっちゃ怒られとったしな〜」
「不破くんのせいだよ」
「おれぇ!?」

 静かな街に不破の大声が響き渡る。仕事の関係や目立つ容姿なこともあり、街の人間のほとんどに顔と声を覚えられている不破は、きっと今目覚めている人に今度つつかれるだろう。
 嘘だけど。そういう剣持の表情は、ずっと柔らかいままだった。

「でももちさんにも怖いことってあるんやな……」

 いつも何も怖くありません、みたいな顔をして真っ直ぐ生きているくせに。高校生の割に、あまりにも堂々とし過ぎているのだ、剣持刀也という男は。

 だから、

「……さすがにねぇ、あるよ、僕にも」

 どこか遠い目をしてこたえた剣持に引っ掛かりを覚えた。
 普段通りの返しを予想するのならば、僕をなんだと思ってるんだよ≠ョらいは言ってくると思っていただけに、不破は目を丸くさせる。

「流石にか」
「さすがにね」

 しかし追求したところで上手く躱されることを知っている不破は、普段と同じようにふわふわと話を流した。

(もちさんが怖がることって、なんなんやろ。確かに怒った社長は怖かったけどなぁ。俺が怒られてた訳でもないんに)

 昔のことを思い出して、ぶるりと体が震えた。普段本気で怒ることがない加賀美の怒りまで思い出してしまった。いや、あれは怒っているというより叱っていると言った方が正しいか。それだけ心配をかける事だと理解していてなお深夜に出かけようとする剣持が、不破にはあまり理解できなかった。

「僕もひとつ気になってることがあるんだけど」
「なんすか? なんでも聞いてください、なんでも答えるんで」
「どうしてあの時、ROF-MAOに入りたいって言ったの?」

 剣持の真っ直ぐな目は、純粋な色をしている。太陽が顔を上げて照らすのは、世界も人間も同じだった。

「理由?」
「うん、理由」

 まぶしい、と呟いた剣持は、しっかりと答えを聞くまで逃してはくれなそうだった。

(理由、理由ねぇ……)

 特にこれといった理由はないと答えたら、なんて言われるのだろうか。今更そんな事で追放なんてされるわけが無いことは知っている。なんせ何度も何度もいろんな組織に捕まる魔法使いを、見放すことなく助けに行く人たちだから。人数が少ない分、築いていく絆は確かなものだと、不破は知っている。

(まあ、強いて言うなら、)

 特に理由は無い。ないが、まあ、伝えるとするならば。

「能力って人も助けられるんやなあって、思ったから?」

 不本意に発動した能力によって、たくさんの人を傷つけてきたと思う。こちらが意図していなくても言葉が能力となってしまう不破にとって、イコール傷つけるものと認識してしまっていた。それは無意識のうちに、自然な摂理で。
 だからこそその能力で人を助けることを仕事にするなんて不破には考えられなかったし、無理だと思っていたのだ。

「なんで疑問形?」
「まあそういう事もあるよな」
「どういう事だよ」

 その考えを覆した組織に、単純に興味が湧いたのだと、思う。
 押しかけるように仲間に入れて! と突撃した不破を簡単に受け入れた二人は緩いと思うが、それはそれとして。二人のおかげで苦痛を感じていた人生が中々いいものに変わったので。

「もちさん、ありがと」
「なに? 急に」
「にゃはは」

 あの時出会えた運命に、乾杯!