食べたいのに!
「い、っ…………」(ったぁ……)
控え室に置かれたお菓子を口にしようとしていた剣持は、ピリつく痛さに思わず声が漏れた。手を口元に当てて視線をキョロキョロと動かす。どうやら誰にも聞こえてはいないようだった。
手元の開封済みになったお菓子を見つめながら、口の中で舌を動かす。歯に舌が当たった瞬間にまた痛みが襲ってきて、なるほどそこに出来たのか、と場所を把握する。
さっきまでの収録中は特に痛みを感じていなかったはずだし、傷付けた覚えもない。栄養だって極端に偏った摂り方をした覚えもない。ストレスなんて以ての外だった。
原因がわからず首を捻るが、自覚した途端痛みを主張してくるソレが消えるわけではなかった。
「剣持さん? どうかされましたか?」
「……いや、なんでもないです」
他所を向いていたはずの顔が剣持に向けられている。加賀美の視界からは完全に外れていたはずだが、どうして気付いたのだろうか。もしかして頭の後ろに目でもついてるんじゃないだろうか。
ことにじさんじ≠ノおいては有り得そうなことを考えながら、いや、目の前の男はれっきとした人間だったはずだと思い直す。天使の衣装があったとしても。
加賀美の意識が剣持に移ったとて、不破と甲斐田は変わらず騒いでいた。こちらには一切気に求めていない様子。
そうですか。そう会話を終わらせたはずなのに、加賀美の視線は手元に握られた開封済みのお菓子へと移動した。
食べないんですか? そう、聞かれている気がする。実際口には出ていないし、目線が交わっているわけでもないけれど、どうしてかそう問い掛けられている気がした。
はぁ。剣持はひとつ息を吐き出して、特に聞かれた訳でもないのに観念したように口を開いた。
「たぶん、口内炎」
「口内炎?」
「はい、さっきまでは無かったはずなんですけど、食べようと思ったら痛くて」
あらまぁ。加賀美の口が動く。音には乗っていない。
「喋るのも痛い感じですか?」
「ンー、そうですね、当たって痛いとは思いますけど、そこまで」
「そうですか。残りの収録が半分ほどありますがどうされます?」
「どうもこうも流石に口内炎で休みますとはならないでしょ」
ただちょっと喋りにくいとは思うだけで。
気付いた時には思わず驚いて声が出てしまっただけで、その実そこまで痛い訳では無い。収録の内容が何か染みる物を食べる内容であれば話は別だが、もらった台本にはそんなこと書かれていなかったから、大丈夫だろう。
それはそうですね。加賀美は笑って、スマホへと視線を戻した。これ以上話が広がらないと判断したんだろう。
本日も変わらぬ六本撮りの、ちょうど半分を撮り終えた今。残りの収録のために少しでも体や喉を休めておきたいのは、皆同じだった。……部屋の真ん中で、不破と甲斐田の二人は手遊びをしているけれど、まあ無事収録が終えられるのなら関係ない。
無駄に存在を主張してくる口内炎を口の中で遊びながら、開封してしまったお菓子に齧り付いた。
「社長」
「どうされました?」
開封済みのお菓子を持ちながら、剣持は顔を顰めて加賀美を呼んだ。顔を見た瞬間に察する。ああ、また≠ゥと。
抑えきれない笑みを隠そうともせずに加賀美は言う。
「口内炎ですか?」
「……そう。最近頻度高いんだよね」
「栄養が足りてないのでは?」
「そんなわけないでしょ、一人暮らしをしているわけでもあるまいし。ちゃんと栄養バランスを考えられた食事が出されてるんですよ」
「剣持さんに限ってストレスはないでしょうし、それしか原因はないのでは?」
確かに。確かに加賀美の言う通りストレスで口内炎が出来るはずがない。この剣持刀也に限って。
全くストレスを感じないわけでもないが、かと言って口内炎が出来るほど感じるか、と言われれば否。自覚があるからこそ、剣持は原因不明の口内炎に悩まされている。
うーん。首を傾げれば、髪が揺れた。
もごもごと口が動いているのは出来た口内炎に触れているからだろう。顔の幼さも相まって頬が膨れる様は可愛らしく見えるが、それとこれとは話が違う。
「収録、休まないでくださいね」
「休むわけなくない? たかが口内炎で」
「わがまま坊ちゃんなら有り得るかと」
「ないない。たかが口内炎ごときにこの僕が負けるわけないだろ」
口内炎ができている時点である意味の負けでは、とは思ったが、口には出さない。代わりに加賀美は剣持の持つお菓子を指さして、にっこりと笑った。
「代わりに食べて差し上げましょうか? ソレ」
「………………、社長ともあろうお方が人のものを奪うと?」
「やだなあ、私は剣持さんを思って提案したんですよ」
「わざとらしいなあ!」
わざとらしいぐらいの笑顔を見せる加賀美に、剣持は大声を出しながら、その顔は楽しそうに笑っていた。
