悪い大人宣言!

「悪い大人になります!」
 そう高らかに宣言した剣持は、呆気に取られる大人三人を置いて得意げにしていた。堂々と腰に手をあて仁王立ちする剣持が何を考えているのか全くわからないが、普段の行いを見るに悪いことにはならないだろうと思う。むしろ普段エンターテイナーとして楽しませてくれる剣持の思う悪い大人とはなんなのか。三人は興味津々で、しかし察されるとよく口の回る剣持からの口撃がやってくるだろう、とかすかに緩む口元を揃って隠した。

「ふぁ……」
 撮影が半分終わり昼休憩に入った四人は、控室であくびを零す剣持に視線を集めた。無言のまま硬い椅子に腰を下ろしたかと思えば、用意されている昼食にも手を付けずに眠ろうを上体を倒す。すぐに顔を隠した剣持の表情は周りからは見えない。普段こういった姿を見せない剣持に三人は一度顔を見合せ、代表して不破が口を開く。
「もちさぁん、ごはん食べへんの?」
「……ねむくて。すみません、撮影には影響させないから」
「それは全然やけど、珍しいな」
「ねてなくて」
 んん、とくぐもった声を出している剣持は、確かにいつものハキハキとした喋りではなかった。曖昧になった滑舌では言葉を聞き取るのが少し難しいが、わからないほどではない。もうほとんど眠りの世界へ入っている剣持に、やっぱり珍しいと三人は真剣な顔つきに変わる。
 ――ロリよりも睡眠の方が勝ると言っていたあの剣持が、寝ていない。
 部活があり朝練のある剣持は、誰よりも規則正しい生活を送っているはずなのに寝ていない、とは。ROF-MAOの収録があるということは部活も休みだろう。知っている限りの剣持のスケジュールを思い浮かべたって、睡眠が取れないほど急ぎのものは無いはずだし、そもそも、きちんと学生生活を送れるスケジュールを元より組まれているはずだった。彼の本業は学生であるからして。
 ならば、なぜ?
 三人の疑問を解決してくれる剣持は既に夢の中。すやすやと小さな寝息をたてて眠っている。甲斐田が囁くような小さな声でもちさーん、と呼び掛けるが、反応はなかった。
「もちさんが寝られへんって何?」
「徹夜するほどの作業はないはず、なんですが……おそらく」
「でも剣持さん忙しいからなぁ」
 誰よりも先輩な剣持は、誰よりも忙しい。リスナーに情報を公開するための事前準備をしっかりと行って、最高のものを届けるのは彼ら三人にも共通して言えることではあるが、剣持は特にこだわりが強かった。だから知らない内に作業量を増やしていることなんてざらにあって、でも、それを人に悟らせるような真似は好まないはずだった。自分たちに見せてもいいと気を許されているのか。それとも気を張れないほど追い詰められているのか。
「……メンタルが落ち込んでる時も、眠れないですよね」
 歳下の先輩の忙しさを想像する中、甲斐田がぽつりと呟いた。一瞬の静寂が控え室に訪れる。
「……………………もちさんが?」
「……剣持さんに限って、そんな」
 あのメンタル強者である、剣持刀也が。そんな、睡眠が左右されるほど落ち込むことなんてあるのか。
 なかなか失礼ではあるが、普段の素振りを見るに想像なんて出来なかった。ただ、たった十六歳の高校生であり、大きな事務所の先輩であることは確かで。少し考えをめぐらせたあと、確かにその可能性もあるかもしれないと気付く。本当に、本当に普段の言動からは想像出来ないが。一応まだ高校生の子どもである。
 小さな声ではあるが、続く会話に目を覚ます様子を見せない剣持に対して。三人は、そっと寝かせておくことにした。
 各々好きなことを静かに行っていると、スタッフの一人が扉をノックする。やけに音に対して敏感になってしまっている三人は急いで剣持の方へ振り返り、すやすやと眠っていることを確認したあと扉の向こうへ小声で返事をする。ひっそりと顔を覗かせるスタッフは、部屋の中を見て剣持が眠っているのを視界に入れたあと、小声の理由を察した。しかし、そのスタッフでさえ珍しいな、と思うのだ。剣持がこういうときに勉強や台本を読むことをせず、眠るのは。不破や甲斐田であればよく見る光景ではあるが、剣持がそうであるのはとても珍しい。
「そろそろ次の収録が始まりますよ〜」
 起こさなければいけないのは承知の上で、スタッフは小声で知らせる。それ以上なにか声をかけることなく撤退したスタッフはやっぱり静かに扉を閉めた。
 三人は顔を見合せたあと、言葉もなく同時に剣持を見る。
「どうしましょうか、剣持さん」
「起こしたくないなぁ……」
「もちさーん、起きて、収録始まんで、もちさぁん」
 顔をすっぽりと机に伏せて隠している剣持の肩を不破が揺らす。支える力が抜けている首がぐわんぐわんと左右に動く様子が途中から楽しくなってくるが、目的はそうじゃない。
 何度か名前を呼んで揺すり続けていると、んん、とくぐもった剣持の声が聞こえるようになる。ゆっくりと頭を持ち上げた剣持の意識はまだぼんやりとしているようで、目をこすって周りを確認している。
「おはようもちさん、よう寝れた?」
「おはよぅふわくん」
 横になって眠ったわけではないので寝癖はついていないが、頬に布の皺がしっかりと移っている。眠たそうな目のままふわふわと喋る剣持に少しの罪悪感を抱きつつ、しかし収録を止めてまで寝かせてしまうと周りに迷惑がかかってしまうし、なにより本人が望んでいないだろう。眠りに入る前、本人は影響させないと言っていたのだから。
「剣持さん、そろそろ次が始まるみたいですよ」
「ああそれで、……起こしてくれてありがとうございます」
 まだ眠そうな剣持は、両腕を天井に伸ばして体に力を込める。変な体勢で寝ていたからか背中からポキ、と骨の鳴る音が部屋にこぼれた。
「すみません、待たせましたよね、行こっか」
 果たして睡眠時間一時間弱という短さでこの後の撮影は大丈夫なのか。信頼はしているが、やはり心配なものは心配だった。甲斐田は加賀美と顔を合わせて不安そうな表情を晒したのち、先頭を歩く剣持と不破の後を追いかけた。
 過酷な収録をしっかりとこなした剣持は眠たさなんて一切 見せなかったが、終わってみれば体力が底をつきそうなのか足取りがフラフラとしていて危なっかしい。加賀美がそっと近づいて背に腕を回して支えるが、剣持はそこまで意識が回らないようだった。
「大丈夫ですか? 帰れます?」
「大丈夫大丈夫。それじゃあお疲れ様でした〜」
 結局、大人三人は剣持が徹夜した理由について、聞くことができなかった。
===
 その日の収録は珍しく午後からだった。
 機材のメンテナンスを行ってから収録を開始するため、開始時間が遅くなると連絡があったのは数日前。お昼終わりになるので、昼食は各自取ってから控え室に待機するように言われていた。
 甲斐田は連絡を受けていた集合時間の三十分前に控え室の前にいる。一番後輩だから、一番最初に待機するように心がけているのはROF-MAOというユニットを組み始める前からの習慣だった。
「おはようございまーす」
 誰もいないだろう控え室に、けれど挨拶は忘れない。これも癖づいてしまっているもので、問題が起こるわけでもないのでやめるつもりがなかった。
「え甲斐田くん?」
 誰もいないと思っていた。いつだって一番乗りでやってくる甲斐田は、今まで自分より先に来ていた人を知らない。だから聞こえた声に驚いてその場で動きを止めてしまうのも仕方がないことだろう。
「……もちさん?」
「甲斐田くんはやくない? なんで? まだ三十分はあるけど」
「もちさんこそ珍しい、……今なに隠しました?」
「なにも……?」
「うそだぁ!」
 甲斐田の姿を見た剣持は、テーブルの上に置いていた白い箱のようなものを体の影に隠した。その動きをしっかりと見ていた甲斐田は、ニヤニヤと口角を上げながら剣持に近づいていく。
「……僕のだからね」
 狭い控え室の中、逃げることは不可能だと悟った剣持は大人しく隠した箱をテーブルへと戻す。白い箱はツヤがあり、上からではなく左右から開けることができる形になっていた。そして甲斐田は、その箱の形を知っていた。
「ケーキ?」
「僕のだから」
 剣持の背後に回った甲斐田は箱の中を覗き込む。中には金のシートが引かれており、その上には真っ白なクリームがふんだんに使われている。色とりどりのフルーツがテカテカと輝いて宝石のようだった。よくよく見てみれば剣持の右手にはプラスチックのフォークが握られているし、ケーキは既に半分ほど消えていた。
「しかもこれホールケーキじゃないですか! え、もちさん一人で食べるんですか? 重くない?」
「まだ若いからいけるけど」
「これどうしたんですか?」
「……自分で買ったけど、なにか文句でもあるの」
「ありませんけど、え? なんで……?」
 単純に食べたくなったとしてもケーキをホールでなんて食べることなんてない。祝い事があるなら話は別だろうが、それにしたって切り分けるわけだから、一人でなんてとてもじゃないが食べきれない。
 純粋な疑問を剣持にぶつけた甲斐田は、気まずそうにしている剣持には気がつかなかった。
「食べたかったから、だけど、」
「おはよーざいますぅ」
 剣持の小さな声は新しい声によってかき消されてしまった。二人が同時に扉の方を振り向くので、入ってきた不破は首を傾げた。
「もちさんおんの珍しいっすね」
「一番乗りでしたよ」
「はや!? ところでなんすか? それ」
 それ、とはケーキの入った箱のことである。指差した不破は答えを聞く前に甲斐田に近づいて箱の中身を確認する。剣持はもう隠す気を持っていなかった。
「ケーキやん、どうしたんこれ」
「もちさんのだって」
「買った?」
「買いましたけど! 差し入れ奪ってるとかじゃないから」
「ホール一人で食べんの? もちさん」
「食べますけどなにか」
「はぇ〜、ケーキ独り占めとかわるぅ」
 もらう気は一切ないけれど、戯れとしてちょーだい、と強請る。そもそも昼食を取ってきているのでお腹はいっぱいだし、甘いものなんて見ただけで満足だった。
 ちょーだい、の言葉に、剣持から返答がなくなる。もしかしてあかんかった? 不破が不安になるのをよそに、剣持はこころなしか嬉しそうである。これには甲斐田も不破も首を捻るしかないが、剣持は特に何も言うことなくフォークでケーキを一口分すくう。そのまま自分の口に運んだ剣持は、もぐもぐと咀嚼しながらやけに自慢気に笑った。
「いやですよ。僕のものなんだから。ひとりで食べ切るんだから」
 嬉しそうな剣持に、甲斐田がひとつ心当たりを見つける。もらえないことに残念な反応を返しつつ不破の腕を掴んで部屋の隅に移動した甲斐田は、そっと不破に耳打ちした。
 剣持は突然移動した二人に不思議そうにしつつも、残りのケーキを食べるために頬張り始めている。
「不破さん不破さん、僕気づいちゃったんですけど」
「なんやねん急に」
「前、もちさんが言ってたこと覚えてますか?」
「前ぇ?」
「ほら、前に突然悪い大人になるって宣言してたじゃないですか」
「うーん、そんなん言うてた?」
「言ってましたって! ねえ、剣持さんのケーキ、それなんじゃないですか? 今までこんなことなかったし」
「……わるいおとな?」
「……さぁ?」
 ちらり、と剣持を盗み見る。嬉しそうにケーキを食べている様子は子どものようだったが、そもそも十六歳は子どもである。
「え、じゃあ前のオールもそれ?」
「かも……?」
 悪い大人、とはいったい。甲斐田と不破の想像する悪い大人とは警察のお世話になるようなものであるが、剣持にとってはこんなに可愛らしいイメージだったのか。確かに普段の行いからして警察のお世話になるようなことにはならないと思っていたが、まさかである。あまりにも剣持の中の悪い大人のイメージが可愛すぎやしないか、高校生とはこんなものなのか。大人二人はわからなかったがこの調子であれば放置していても問題はなさそうだった。
「……社長に連絡しますね、僕」
 ――やってきた加賀美の第一声が「可愛らしいですね、剣持さん」で、言われた剣持がなにについて言っているのか理解した瞬間、控え室が騒がしくなるのは、数分後の話だった。