儚い青年、第一印象は其れだった。整った容姿と憂い気な雰囲気で、すらりと伸びた体躯と、未発達の様で不釣り合いな四肢。人によれば、屹度未成年とさえ感じられるような繊細さがあった。大抵の人間は、一目見ただけで彼に好感を抱くことだろう。彼にはそういった特性があるように思われた。
支部では生活に困らない程度に娯楽やそれに類するものが用意されている。特に、ロンドン支部と比べてしまえばその差は歴然で、音楽が好きな知人が持ち込んだと思われる楽器だとか、視聴覚室にはレコードまで置かれていて実に興味深いものだ。
基本的に組織内でも各々の生活スタイルが大きく異なる訳だから、仕事の時間も個人に依存している。だから、真夜中であっても組織外に出て任務を熟す者も居れば、昼に活動する人間もいる。以来対象次第と言ってしまえばそれまでではあるが、概ねの活動時間は個人に委ねられている。だから、大抵の人間は朝起きて日中に活動している事が多い。そんなこともあって、昼の視聴覚室は大抵誰かが使用しているから、ドア越しに何か音を聞き取ることが出来る。自分としては、コミュニケーションは好ましいものだが、必要以上の接触については避けられるのならばそうしたい。好奇心はあれど厄介事はどうにも遠慮をしたいものだ。
夜の深まった頃、態々ここに来るような人間は少ない。これまでの生活の中で確認しているので、人とはち合う心配もなく施設の利用が出来る。それに、たとえこの時間に眠れないからと云って、身体を動かしてここまでくるような人間はそうそう居ないだろう。椅子よりは自室のベッドに沈んでいる方が睡眠効率としても幾らかは良いものだろう。
だから、酷く驚いたことを今でも記憶している。まさか自分以外にこんな時間に利用者がいるとは思わなかった。映像も流さず、かといって音楽を聴いているでもなく、その人物は唯々シートの背もたれに身体を預けて静かに瞼を閉じていた。ぐったりと、長い手足を投げ出して、この部屋の空気を動かさずに、静かにそこに存在した。
力なく閉じた瞼を閉じるその顔は、疲弊の色が濃いが、端正な事が解る。屹度他人の印象
に残りやすい様な顔だが、僕には見覚えが無かった。そして、珍しい訪問者であるが故に、一層彼への興味を誘った。
「ねえ、こんなところで眠っていたら風邪を引いてしまいますよ」
聞き取れるか否かの声量を落とす。屹度眠る事も漸く叶った様な人だろう。一方的な我儘を押し付けてしまう事の罪悪感はあるが、どうしても話しておきたい。これで起きなくてもそれでいいと思った。
青年は、幸いにも音を聞き取って僅かに睫毛を震わせた。ゆったりとした動作で擡げた瞼からブルースピネルが浮かぶ。それが認識を急くように動いて、覚醒しない中から困惑の様な色を放った。
「疲れている処に声を掛けてしまってすみません。でも、いくら上等とは言え、椅子に違いはないですから、眠れるのであれば、一度部屋へ戻って休んだ方がいいですよ」
「ううん、大丈夫だよ。……君の言う通りだね。でも、今日は部屋に戻るよりもこっちにいたい気分だったんだ」
目許を擦りながら起きたてのまだ確りしない音声で返答を呉れる。眠気を感じつつも発言を認識し反応を返すくらい真面目な性格の様に見える。或いは思考が追い付いていないからこそ直感的に返答をしているのか……どちらにせよ初対面の人間に対する警戒心に多少の欠如があるようにも感じられる。
「へえ、じゃあ余り無理に帰してしまうのも悪いですね。ああ、御免なさい。僕も外しましょうか」
「ああ、いや大丈夫だよ。もうしばらくは起きているから。……それで、俺に何か用だったかな」
「起こしてしまっておいて悪いのですが、実は用という用は無いんです。ただ、然うですね……少し話し相手が欲しかったところで」
「…へえ、そうなの? 俺でよければ相手をさせてもらおうかな。寝起きで申し訳ないんだけどね」
多少覚醒してきた雰囲気だろうか、顔に見合う様な微笑で以て、相応の対応を見せる。言えば、隣の座席を軽く叩き座る様促される。話をするのだから拒む理由もない。腰をおろせば改めて青い目が此方を捉えて、じっくりと観察の眼を向けられる。その眼付もあけすけなものと云うよりは、社交性や興味、人好きのする様な部類に含まれるようなもので、行動の一つ一つが人付き合いに慣れているように思える。
「それで、どんな話をしようか。ああ、そういえば名前もまだ聞いていなかったね。俺の事はラバーで良いよ。貴方の事はなんて呼べばいいかな?」
「相模でいいですよ。よろしくお願いしますね、ラバー君」
「…サガミ、さん? 余り馴染みのない発音だ。差し支えなければ出身を聞いてもいいかな?」
「それは少し難しい質問ですね、僕はハーフなので。一応出身は日本といった方が相違はないとは思いますけど」
「へえ、そうなんだね。あ、それじゃあ名前はどんな風に書くの?」
彼にも見えるように少し紙を傾ければ覗き込むように白紙に視線を注ぐ。その中に発音した音を書けば、興味深そうな感嘆が横から聞こえる。
「わあ、凄いね。それでサガミって読むんだ。ふふ、やっぱり漢字って難しいね。ファーストネームまでは、教えてくれないかな」
「いいですよ、書いてあげますから、読めたらそう呼んでくれても構いませんよ」
姓の横に加筆をして、彼に手渡せば案の定といった反応を見せるものだから思わず笑みが零れる。
「ねえ、やっぱり難しくて読めないよ相模さん。なんて書いてあるの?」
「ふふふ、駄目ですよ、ちゃんと自分で解かないと。それじゃクイズにならないでしょう?」
「……相模さんって、意外と意地悪なんだね」
「意地悪な人は嫌いですか」
言う割に、試すような、或いは計るような言葉の重ね方だ。先程より、値踏みする様な色は濃くなった。成程、類は友を呼ぶと云う事だろう。鎌をかけあって牽制するような手口はお互い様の様だ。
どう出るのか。伺い見るように視線を改めて持ち上げれば、予想外に楽し気に笑みを浮かべた彼と視線が絡んだ。
「嫌いじゃないよ。うん、でもそうだな……相模さんが名前の読み方を教えてくれたら、今日俺がここにいた本当の理由を、教えてあげる」
嗚呼、意地の悪いのはどちらだろう。如何見積もっても割に合わない情報量なのは明白で、僕の腸を暴こうとする意図を厭でも感じる。彼もそれを解った上でその一歩を踏みこんでいる。態々此処まで入り込もうというのだから、望みを通してあげる事が、この場における優しさだろう。
「…解りました、お伝えしましょう。でも、先に理由の方を聞かせてもらえませんか」
「ふふ、いいよ。…こっちに来たのはね、一人で部屋にいる気分じゃなかったんだ。良くあるでしょ、こんな時間に一人でいると、考え事ばかりが捗るんだ」
「然うですね、確かに夜はそういう思考になりやすいですね」
一言一言に意味を含ませるように、重さを与えて。獲物を確りと絡めとるような目で、その場に縫いつける。そのブルーは本当に多面鏡だ。感情的でないのに素直な程胸中を反映するように乱反射する。
「ね。だから、ここに来たのは”もし”なんて感情かもしれないね。こんな時間に出歩く人に会えたら、なんて。ね、相模さん」
「真晧でいいですよ、朝までは。ね、ラバー君」