私の執務室から見える日本庭園も、また同様だ。そこに多くの木々と共に、小さな紫陽花が植えられている。
富士には月見草がよく似合うと言ったのは、太宰治であっただろうか。太宰ほど詩的には表現できないが、雨には紫陽花がよく似合うと思う。
湿気交じりの重たい空気の中、呼吸器の弱い者特有の息苦しさを感じながら、私は窓の外に広がる日本庭園を眺めた。私は待っている。そこにいつもの女性が現れるのを。
ここ最近、夕刻になると紫陽花の前で佇んでいる和装姿の女性がいる。ゆたかな黒髪をアップにし、青い花の簪を挿した姿はまるで大正時代の美人画から抜け出たような風情だ。
着物は無地で、色は紫陽花を思わせる淡い青紫。帯は着物と同じような色合いで――模様にも何某という名前があるのだろうが私にはわからない――まあ、幾何学模様だ。
空に太陽の名残りである赤みが失われ、濃い紺色が広がり始める頃、彼女は姿を現す。雨の日も、風の日も。闇夜と共に魑魅魍魎が訪れるまがまがしい時間帯、『逢魔が時』に。
その女性を美しいと思ったことだけは覚えているのだが、不思議なことにどんな顔立ちであったか思い出せない。
その日、私は庭園に面したカフェでお茶を飲みながら彼女を待った。夕刻の薄暗い、魔と人が交わるというその時間帯、きっと彼女は今日も来る。
そしてどんよりとした空の下、見覚えのある淡い紫の着物姿が現れた。嫋やかな立ち姿が美しい。
「紫陽花がお好きなのですか?」
慌てて駆け寄り話しかけると、涼しげな眼を細めてにこりと微笑まれた。
なぜ私はこの人の顔立ちをおぼえていなかったのだろうかと不思議に思った。それほど彼女は美しかった。
整った顔立ちだけでなく、抜けるような白い肌が印象的だ。それは血液が通っていないかのような、陶器を思わせる白さだった。
彼女のまなざしは涼しげでありながらどこか妖艶で、ぞくりとするような色香に満ちている。男の情欲をそそる、蠱惑的な瞳。
和製のサキュバスというのがいたら、きっとこんな雰囲気なのではないだろうか。それとはやや似て異なるあやかしが、我が国にもいたはずだ。たしか飛縁魔とか言ったか。
そして私は、彼女の口から洩れた言葉に愕然とした。
「お誕生日、おめでとうございます」
ヒーロー活動中の姿であったならまだしも、この女性は痩せた姿の自分を見て、どうして今日が誕生日だとわかったのか。
経歴を読むことができる個性の持ち主なのか、それとも。
どうしてそれをと問うても、彼女はただ、静かに微笑むばかりで。
この女性は危険だ、関わるなと、頭の中で警報が鳴る。
しかし私は涼やかなまなざしから逃れられない。恋に囚われた虜のように、視線を外すことがどうしてもできない。
それは、逢魔が時の物語。
出会った相手は、人か、それとも魑魅魍魎か。
2015.06.09
過去の拍手お礼文
- 6 -