番外編 和三盆より上質な

「よく飲むねぇ……」

 空になりつつある二本目――「二杯目」ではなく「二本目」である――のワインを横目で見ながら、そうつぶやいた。

「……なんだか、今日は喉が渇いて」
「今日は比較的涼しかったような気がするけどな……ああ、でも作業場は餡子を炊いたりするから暑いのか」
「そうなんです」

 いらえた果衣菜の頬は、さすがに赤く染まっている。
 一本目はフルボトルを頼んだが、二本目はハーフにして正解だった。
 八木は口をつける程度しか飲まないので、食中酒はほとんど果衣菜が一人で飲む計算になる。これ以上は、さすがに飲み過ぎだ。ほろ酔い程度ならともかく、泥酔した女性と同衾する趣味は、八木にはない。
 そう。おそらく今夜は、果衣菜と過ごす初めての夜になる。少なくとも、八木はそのつもりでいる。

 つき合いはじめて、四、いや、五度目のデートだ。そのうえ、明日は久しぶりに果衣菜と休みが重なった。
 とすれば、男が考えることは一つだろう。
 約束を取り付ける時にさりげなく匂わせておいたので、果衣菜もきっと、その心づもりでいるはずだ。

 八木はテーブル上に無造作に置かれていた果衣菜の手に、自分のそれを重ねた。べタだが、こういうことは、変に逃げずにベタを貫き通した方がいい。

「今日は、帰したくないな」
「……はい」

 果衣菜は初々しくも、頬を染めて小さくうなずいた。
 この反応は、悪くない。
 バッグの中に忍ばせた強壮剤入りの栄養ドリンクの存在を思い出しながら、おじさん今夜は頑張っちゃうぞ、と、心の中でつぶやいた。
 ここは一気にたたみかけるべきだと、向かいにそびえるタワーの片割れを、親指でさす。

「あそこのスイートを取ってあるんだけど、いい?」
「ええ?!」
「ちょっと、君、驚きすぎ」
「ごめんなさい。あんなスゴイところだなんて思っていなかったので」

 失敗したか。たしかにあそこは、張り切りすぎな感がある。
 けれどあのホテルは、ふたりが初めて出会った沖縄のホテルと同じ系列。彼女も覚えているはずだ。だから、その方がいいかと思った。
 だが同じホテルでも、スイートなどと張りこまず普通のダブルにしたほうが、逆にスマートだっただろうか。
 そんなことをぐるぐると考えていたら、果衣菜が声をかけてきた。

「あの……」
「ん?」
「あの、すごく嬉しいです……でもわたし、初めてなので……ちょっと緊張しちゃいます」
「ああ。喜んでくれたならよかった。そうだよね。スイートなんて初めてだよね。でも、そんなにかしこまることもないよ」
「……あの……」

 少し困ったような表情で、果衣菜が続ける。

「……正直言うと、ちょっと怖いです」
「大丈夫、普通の部屋に泊まった時と同じようにしていればいいんだよ」
「八木さん、……そうじゃなくて……」

 八木さんじゃなくて俊典だろ、と返しかけ、ここで八木は、互いの話がかみ合っていないことに気がついた。
 おそらく先ほどの「初めて」には、スイートルームなんかより、ずっと重大な意味が含まれている。

「あのさ、非常に変なことを聞くんだけど、初めてって、もしかして、スイートルームのことじゃない?」
「はい。ごめんなさい」

 果衣菜は赤くなった顔を、両手で覆った。
 まじかよ、と、心の中で歓喜の声をあげる、八木。

「やっぱり、八木さん引きますか? 変でしょうか?」
「ああ、すまない。まったく謝るようなことじゃない。逆に嬉しいよ。ただ君、沖縄で会った時、彼氏と来るはずだったって言ってたから、てっきり……」
「沖縄でそういうことになるはずだったんですが、その前にふられてしまって……」
「……そりゃ、ずいぶん誠実な男だな」
「そうですか?」
「うん。新しく好きな女性ができたとしてもね、ずるい男は、沖縄で存分に君と楽しんでから、別れを切り出すと思うよ」

 元恋人のことを悪く言った時、「そんなことない。彼は普通」ときっぱり言い切った、果衣菜の、凛とした横顔を思い出した。
 別れた男の悪口を言うのはたやすい。失恋した直後であればなおさらに。
 だがそれを潔しとしない、果衣菜の強さとまっすぐさ。八木はそこに惹かれ、食事に誘った。それが、八木と果衣菜のはじまりだった。

「そうか。君はやっぱり、男を見る目もあるんだな」
「はい。なにせ今好きな人は、世界で一番いい男ですからね」
「また、君はすぐにそういうことを言う……」

 さすがに聞いていられなくなり、思わず片手で顔を覆った。

「まったく。これではどっちが経験豊富なのかわからないな」

 そうこぼしてしまった八木に、果衣菜は花のように微笑んだ。

***

「わあ、やっぱり広いんですね。スイートって」

 果衣菜の声は、常よりも硬い。この部屋は広さだけでなく、窓から見下ろす夜景も見事なのだが、そこに気づく余裕はないようだ。
 きっと、がちがちに緊張しているに違いない。
 だから八木は静かに「そうだね」と答え、リビングのソファに腰掛けた。果衣菜にも座るよう、促しながら。

「そういえばさ、こないだ駅で」
「はい」
「あわゆきのポスターを見かけたよ」

 ポスターの中で凛然と輝いていたのは、藍染の布に月が描かれたロゴと美しい和菓子と、果衣菜のフルネーム、そして「最優秀賞受賞」の文字。
 それが、我がことのように誇らしかった。

「ありがとうございます。あれは親方が出してくれたんです」
「ああ、親方なぁ……未だに、あのひとにはからかわれるよ」
「そうなんですか?」
「うん。たとえば今日も」
「え? 今日? いらしてたんですか?」
「うん、昼間にね。あいにく君は配達に出ていて」
「えーーーー。なんか悔しい〜」

 その時会えなくてもいま会えているんだからいいじゃないか、と返しそうになり、それは野暮だな、と思い直した。
 これが逆の立場だったなら、自分もまた、同じように思うであろうから。

「お店でね、少量の干菓子を買ったんだ」

 ほら、と、季節の花々をかたどった色とりどりの菓子を広げると、果衣菜の顔に笑みが浮かんだ。

「あ、これ、わたしが作ったやつですね」
「うん。知ってる。親方がにやにやしながらすすめてくれたよ」
「ああ。からかわれたって、その時に」
「そうそう。ま、正体を隠してあれだけ店に通い詰めてたんだから、何を言われても仕方ないよね」

 かつての自分の行動を思い出すと、恥ずかしいような照れ臭いような気分になる。だからごまかすように、干菓子をひとつ、口の中に放り込んだ。
 和三盆の上品な甘みが、八木の口の中にやさしく広がる。

「……どうですか??」
「うん、とても美味しいよ。上質な干菓子って、もそもそしないんだな。口の中でほろりと溶けてくれる」
「ふふ、ありがとうございます」
「このお菓子と君とでは、どちらの方が甘いかな」

 ネクタイを緩めながらそう囁くと、果衣菜は耳を赤く染めながら、八木の胸に顔をうずめた。

「おいおい、そんなふうにしたら、君のかわいい顔が見えないじゃないか」
「……だって、恥ずかしくて」

 髪に口づけを落として、もう一度囁く。

「ね。こっち向いて。私のスウィーティ」
「……はい」

 おずおずと顔をあげた果衣菜に、軽い口づけを落として、微笑んだ。
 果衣菜と過ごす、初めての一夜。
 それはきっと、和三盆より上質で、優しく甘いことだろう。

2018.7.6

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