冬日和

 穏やかに晴れた日曜日の午後、うららかな日差しが差し込む高層マンションの一室で、わたしはPCに向かっている。資料完成まで、あと少し。
 だがわたしの眉間には、深いしわが刻まれていることだろう。

 その原因はわたしの周りをうろうろしている、ひときわ身体の大きい男にあった。
 彼、八木俊典はわたしの恋人であり、平和の象徴と呼ばれるナンバーワンヒーロー、オールマイト。
 痩せた姿になっても身長はそのままなのだから、目障りなことこの上ない。

 そのうえなぜか、今日は朝からかまってちゃんモードが全開だ。

 あのね、俊典。わたしは顔がパンでできた子供向けアニメの主人公には、まったく興味がありません。
 あのね、俊典。桜の開花はひと月以上先だから。お花見の準備にはまだ早いから。
 あのね、俊典。後ろから抱きついてこないでくれる? 仕事ができない。
 あのね、俊典。わたしの髪はあなたと同じシャンプーの匂い。だから匂いをかがないで。
 あのね、俊典。うっとうしい。

 わたしが冷たくあしらうたびに、「辛辣!」などと言いながら、吐血するのでたまらない。

 それにしても、まったく、ずいぶん勝手なものだ。
 何か事件が起きるたび、彼、オールマイトはヒーローとしての責務を全うする。わたしのことはおろか、自分の身体のことすらもかえりみず。
 先週のバレンタインも、俊典の帰宅は、日付がかわってからだった。
 だからわたしが仕事を持ち帰った時くらい、少し静かにしていてほしい。

「あのね、ほんと、お願いだから黙ってて!!」

 カサカサに掠れた声でびしっと告げる。
 掠れ声の原因が自分にあることをやっと思い出したのか、それともさすがに堪えたのか、彼は叱られた犬のように、しゅんとおとなしくなった。

 やがて沈黙に耐えかねたのか、確認作業にうつった私に、俊典が声をかけてきた。

「ねぇ柊依、喉乾かない?」
「うん、まぁ、そうね」
「珈琲でも飲む?」
「ええ、よろしく」

 PCから目を離すことなく、わたしは答える。
 ナンバーワンヒーローにコーヒーを淹れさせるとは、なんという贅沢。
 だがそれも仕方のないことだ。本来ならば、ゆうべ終わるはずだったこの書類。
 それを今仕上げなければならないのは、昨夜、誰かさんが無体を強いたせい。
 おかげでわたしの喉はガラガラ、全身ひどい筋肉痛。
 ベッドの上ではマッスル禁止とあれほど言い含めているのに、時折箍が外れたようになるのは、本当に困ったものだと思う。

 コーヒー特有のほろ苦い芳香と共に、甘い香りが漂ってきた。
 これはバニラマカダミアの香り。わたしの好きな、ハワイ産のフレーバーコーヒー。
 自分はフレーバーなしのほうが好きなくせに、俊典はこういうところが優しくてずるい。

 わたしがPCの電源を落としたのと、彼がコーヒーの入ったマグを差し出したのがほとんど同時だった。
 目の前に、バニラの香りのコーヒーがふたつ。一つには少量のミルクとお砂糖。もう一つはブラックのまま。

 芳しい香りを漂わせた液体を一口含む。バニラの香りのコーヒーは、苦くて、熱くて、そしてほんの少しだけ甘かった。

「ねぇ、柊依」

 わたしの向かい側に腰掛けながら、俊典が口を開いた。

「なに?」
「ごめん」
「わたしこそ、邪険にしてごめんなさい。早く終わらせたくてちょっとイライラして……」
「いや、そうじゃなくて……」

 わたしの言葉を遮ったくせに、俊典がくちごもる。大きな躰を小さくかがめて。その理由にはすぐに思い至ったが、気づかぬふりをして、コーヒーをもう一口。
 彼が謝罪しているのは、おそらくゆうべのこと。きっと悪かったと思っているのだ。
 だからさっきからずっと、ああしてわたしの周りをうろうろし続けていたのだ。

 かわいいひと。
 もう、本当に、どうしようもないくらいかわいいひと。
 
 そしてわたしのかわいいひとは、同時に世を支え続ける柱でもある。

 冠する者の孤独と重圧、そして絶望を彼はその背に負っている。
 すべての負の感情を、笑顔の下に隠した英雄。
 その英雄が、時折、己の中に押し隠した獣性をぶつけるようにわたしを抱く。それは幼子が母親にすがりつく姿にも似て。
 わたしとつながるその瞬間が、傷だらけの英雄が、すべてをさらけ出せるとき。

 だからいいの。
 本当は最初から、怒ってなんかいなかった。
 わたしにはあなたはもっと甘えていい、もっと弱くたっていい。

 でもそんなこと、絶対言ってはあげないけれど。

 だからわたしは、静かに彼をじっと見つめた。
 俊典はばつが悪そうな顔をしながら、汗をだらだらかいている。

 ねえ、わたしのかわいいひと。
 このコーヒーを飲み終えたら、お散歩にでもいきましょうか。

 だって今日は、とてもうららかな、冬日和。

2015.2.17
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