小春日和

 十一月とは思えぬほどあたたかい、まるで春のような穏やかな昼下がり。
 秋の空は高く澄み切っていて本当に爽やかだ。大きく広がる青空と、そこに浮かんだ白い雲。
 こんな日はぽかぽかとしたお日様の恵みを感じながら、緑の中を散策したい。たとえ整えられた都会の庭園であっても、緑であることには変わりない。

 それなのに、どうして君は眉間に皺を寄せてパソコンに向かっているんだい?
 休む時には休もうぜ、ベイビー。
 勤勉なのはいいけれど、オンとオフの区別をつけられないのが、我ら日本人の悪い癖だ。

「よく言うわね、一番のワーカホリックが」

 冷たい声に、うっ、と私は低くうなった。それを言われると返す言葉もない。
 私が休暇をとるのは本当に久しぶりだ。三週間ぶり? いや、もっとか。
 「休日はあったのだが、出動要請がかかってパアになった」そう表現するのが正しい。けれど私を待っている人がいるのだ。休んでなんぞいられない。

「なに? 君のそれは、また明日までに仕上げなきゃいけないっていう書類かい?」
「ええ、だから静かにしていてくれると本当に助かるわ」
「……わかった……」

 それにしても、何も予定のない休日っていうのは、実に暇なもんだ。
 ゆっくり寝ていればいいとも思うのだが、体力に余裕がある休日なんてめったにないんだ。寝ているなんてもったいない。
 シアタールームに引っ込んでひとり映画でも観ようかとも思ったが、なんだかそれも味気ない。

 せっかく二人でいるんだからさ、仕事なんか後回しにしてこっちに来いよ。

 なんて、そんなことを言ったが最後、どんなことになるかわからない。
 二人でゆっくり過ごせないのはいったい誰のせいなのよと、怒られるのがオチだろう。
 実のところ、私は柊依を怒らせるのが一番怖い。
 何十人のヴィランに囲まれようと平気だが、柊依に睨まれるとどうにも弱い。泣かれるのにはもっと弱いが。

 仕方ないので、柊依が作業しているその真後ろに寝そべって、ラグの上をごろごろと転がってみた。

 柊依がちらりとこちらを見やる。眉間に深く刻まれた皺。
 ああ、きっとうるさいと思っているんだろうなあ。
 聞こえないようにごくごく小さなため息をついて、私は遠慮がちに手近にあった雑誌をひらいた。

***

 カチ、カチ、カチ、と、時計が秒針を刻む音。
 その上を遁走曲のように追いかけるのは、柊依がキーボードをたたく音。
 なんとなく耐えきれなくなって、声を漏らした。

「なあ。USAシネマで面白そうなヒーロー映画がやってるんだけど、それが終わったら一緒に観にいかないか?」

 当然のように、返事はなかった。わかってはいたものの、すこしさみしい。

 なんだよ、ちょっとくらい話しかけてもいいじゃないか。
 知ってるかい? うさぎはさみしいと死んじゃうんだぜ。私もそうかもしれないよ?

 あんまり冷たくあしらわれると、こっちだってムキになる。

「ねえ、柊依。庭園の木々が色づいていたよ、ちょっとでいいから見に行かないか」
「あれ、柊依。君、香水変えた? 似た系列の香りだけど、今のほうが重みがあるね」
「ああ、柊依。君は本当に可愛いね」

 立て続けの声掛けに、柊依の眉間にはどんどん深い皺が刻まれていく。せっかくの美人が台無しだ。
 しかし、私はいったい何をやっているんだろう。まるで子供だ。
 集中したい仕事の最中に話しかけられたら、迷惑だろうとわかっているのに。

「いい? 俊典」

 とうとう柊依が私の方に向き直った。

「私はヒーロー映画には興味がないし、今は庭園の木々を愛でる余裕もないし、夏向けのフレッシュなトワレから秋冬向きの温かみのある香りに買えたのは先月の話だし、ついでに言うと眉間に皺を寄せた女なんか、ぜんぜん、まったく、本当に、可愛くないと思うわ。だからね、お願いだから少し黙っていてちょうだい。この書類だけはどうしても今日中に仕上げないといけないの」

 そう畳みかけるように言われて、思わず私はうな垂れた。
 キャビネットのガラスに、しょげている自分の姿がうつっている。

 おいおい、なんて情けない姿だ。まるでご主人様に怒られた大型犬のようじゃあないか。

 まいったな、と心の中で呟いてから、ぐいと大きく伸びをした。
 気分転換にコーヒーでも淹れようか。

 キッチンに向かい、エスプレッソ用の深煎りの豆に手を伸ばしかけ、待てよと別の缶を手に取った。
 ライオンが描かれたこの缶の中身は、柊依の好きなバニラマカダミア。ハワイ産のコナに香りをつけた、フレーバーコーヒーだ。

 ハンドドリップで丁寧にコーヒーを淹れながら、ふふっと笑みをこぼした。
 そういえば、前にもこれと似たようなことがあったっけ。
 あれはたしか、バレンタインの頃だった。
 柊依はあの日も今日のように仕事をしていて、今日のようにいらいらしていた。
 前日、私が彼女を抱きつぶしてしまったからだ。
 思い返せば、昨夜も似たような感じだった。額に汗がじわりと浮かぶ。

 言い訳するわけじゃないけど、どうしても、己の獣性を抑えきれない夜がある。
 無論、誰かれかまわずというわけでもないし、合意のないまま行為に及ぶこともない。
 ただ、そういう夜は、行為が過ぎてしまうのだ。
 昨夜の己がしでかしたベッド上での蛮行を振り返ると、赤面するしかない。

 ああ、柊依。
 私はどれだけ君に甘え、そして助けられていることだろう。心の底からそう思う。

 ヒーローであることを何よりも重要視している私は、ヒーローとしては一流でも、恋人としては三流以下だ。

 『俊典』であることよりも『オールマイト』であろうとする私を、柊依は許し、認め、受け入れてくれる。たまに形ばかりのお叱りを受けることもあるけれど、根っこの部分では、柊依は私を誰より理解してくれている。そんな風に感じてしまうのは、男特有の甘えなのかもしれないけれど。

 最後の一滴が落ちる寸前でドリッパーをサーバーからはずし、マグカップに薫り高い液体を注いだ。
 私はそのままブラックで。柊依の方には砂糖とミルクを少しだけ。
 淹れたコーヒーを、音を立てないように気遣いながら、柊依の邪魔にならないスペースに置く。

「ありがとう」

 柊依の声に、私はうん、とだけ答える。
 コーヒーを一口含んで、おいしい、にっこり笑う柊依。
 ああ、そうなんだ。私はこの笑顔が見たかったんだよ。

 室内に広がるバニラのコーヒーの香りと、途切れないキーボードをたたく音。
 書類の進みも順調なようだ。

 その書類が片付いたら、今日は外に食事に行こうか。
 お日様は沈んでしまっても、この時期の街はイルミネーションが綺麗だよ。

 それはいつも通りの、なんてことない日常だ。けれどそこに潜む幸せが、男を支えることもある。
 だから今夜は、たくさんの電飾で彩られた街の中を、ふたりで歩こう。

2015.11.19
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