金風吹きて 前編

原作初登場時の一年ほど前…ファットが28歳の時のお話となります


「企画営業課の湧水小夜です。これから、どうぞよろしくおねがいします」
「ここらでヒーローさせてもろとります、ファットガムいいます。どうぞよろしゅう」

 金がかった琥珀色の目をやわらかく細めて、そのおおきなひとは笑った。オレンジイエローに光り輝く秋の夕日が差し込む部屋で。

「湧水さん言うたか、そんな硬うならんでも大丈夫やで」

 小夜の勤め先は国内で三本の指に入る大手サポート会社、ウィクトーリア。――余談だがウィクトーリアとはローマ神話の勝利の女神。ヒーローに勝利をもたらすサポートを、というキャッチコピーを掲げて、成長を遂げてきた会社である。
 そのウィクトーリア社は、クライアントに対して必ずひとつのチームを作成することで知られている。メンバーはデザイナー、パタンナー、開発担当、そして小夜の所属する企画営業の社員などで構成される。大抵においてクライアントであるヒーローとの連絡係を務めるのは、小夜のつとめる企画営業課の社員だ。
 そしてこの秋から、小夜はファットガム事務所の担当になった。今回の訪問は挨拶伺いだ。前任者の前野と共にやってきた。

「サポート会社のひとには俺らもお世話になるんや。仲良うしましょ」

 小夜が差し出した名刺を受け取りながら、ファットガムがまた大きく笑った。どこもかしこもおおきいひとだ。手も足も身体も頭も目と口も、そして笑顔も。
 どこか愛嬌があるように見えるのは、この邪気のない笑みと本人の人柄のせいだろう。人によっては荒々しく聞こえてしまう大阪弁も、このひとの口から出ると、あたたかみがあってしかもかわいい。
 意外だった。女子校育ちで体格のいい男性が苦手な自分が、こんなにおおきな人をかわいいと思ってしまうなんて。かつてはゴリゴリの武闘派だったと聞いていたから、もっと怖い人かと思っていたのに。

 腰を大きく折り曲げて優しく語りかけてくれる姿に、小夜は社内でのやりとりを思い出した。

「実はわたし、大きい男の人が苦手なんです」と漏らした小夜に、担当チームの全員が、口を揃えてこう言ったのだ。
「ファットは一般人にはめっちゃ優しいから心配ないで」と。
「それにめっちゃイケメンやし」と言っていたのは小夜と同い年のデザイナーだ。イケメンの定義は人によって様々なので、あえて言及はしないけれど、ファットガムがかわいいことは確かだ。
 チームのメンバーが言っていたことは、おおむね真実だったと言えるだろう。

「しかしなんやな。新人さんちゅうのは、ういういしくてええな」
「新人言うても、こいつは一年ようけ大学に通っとるんで、年は二十四なんですわ」

 前任者の前野がしたり顔でファットガムに告げる。
 よけいなことをと思ったが、それはもちろん、言葉はおろか顔にも出さない。

「年はいっとりますがお嬢育ちらしゅうて、少しばかりボーッとしとるんですわ。そちらで厳しく鍛えたってください」
「ほお。ええとこの子ぉかい」
「なんでも実家が大っきな病院やそうで。両親も兄弟もみんな医者やったな」
「はい」
「そのうえ、小学校から大学までエスカレーター式の女子校出身なんですわ。お茶とお花の師範資格も持っとるらしゅうて。あ、日舞もやったか?」

 ああもう、と小夜は内心でため息をつきながら、うなずいた。
 年齢のこともそうだが、前野がよけいなことを言うのには閉口だった。小夜の実家がどうであろうが、茶花の資格免状を持っていようが、仕事には関係ないだろうに。
 そしてこういうとき、相手の返す言葉はたいてい決まっている。

「ほう、そらすごいな」
「いえ、たいしたことは……。お茶とお花と日舞は中高で必修だったんです。全員が師範免状を取って高校を卒業しますから、お嬢様とか、そういうものでは……」
「普通の学校では、授業でそういうのはやらへんよ」

 にか、と笑いながらファットガムは言った。
 ファットガムは本当によく笑う。黄色くて、大きくて、ひまわりの花が咲くような笑いかた。
 だがその時、ファットガムがふと考えこむような顔をした。

「……お茶とかお花が必修て、もしかして姫百合女学院ちゃう?」
「はい。そうです」
「ガチのお嬢様校やん。しかも私立の女子大にはめずらしゅう、理系の学部も充実しとるとこやんなぁ」
「はい」
「そういやうちのガッコから、姫百合のサポート学科に進んだ子ォもいたわ」

 姫百合かぁ、と小さくつぶやいて、ファットガムが口角をあげた。その笑みは先ほどまでとはやや違う、どこかばつの悪そうなものだった。

「まあ、それはともかく、この後はいつもの感じでええん?」

 と、ファットが前野に向き直る。

「もちろんですわ。よろしゅうたのんます」
「ん」
「よろしくおねがいします」

 前野にならい、小夜も頭をさげた。
 なんでも、ファットガム事務所では、サポート会社の担当が変わると交流と称して必ず食事を共にするらしい。接待のようなものなので支払いはウィクトーリア社がおこなうのが当然なのだが、この所長はそういうつもりはないらしく、最初の交流だけは事務所側が持つという不思議なことになっている。
 いつもの、というのは、その交流会のことだろう。

「ほなら、私はお先に失礼しますわ」

 ぺこりと頭を下げて、前野が退室した。
 お仕事とはいえ男の人とふたりきりというのはなんだか少し緊張するな、と小夜は思った。そしてそういう緊張というのは、たいてい相手にも伝わっているものである。
 なにか話題を、と思考を巡らせていると、ファットが切り口を作ってくれた。

「君、ガッコ出て半年ちゅうこっちゃけど、今までは誰の担当やったん?」
「ミッドナイトさんのサポートチームに。営業社員のアシスタントとして入っておりました」
「ああ、ミッナイねえさん。そういや最近、コスを新しくしてはったな」
「はい。わたしも少しですが、携わらせていただきました」
「あの新しいコスはええな」

 にこにこしながらファットが言った。
 十八禁ヒーローの異名を持つミッドナイトのコスチュームは、その個性の特性上、薄手で身体のラインがはっきりわかるセクシーなものだ。若い男性からみれば、たしかに魅力的だろう。
 けれど……と小夜が眉をひそめた時、ファットガムが続けた。

「新しい素材、あれ、透けへんやろ」

 はっとした。彼が言わんとしたことがわかったからだ。

「でもって、破りやすいのに破けへんと聞いとるで。前のんは破れやすいちゅうとったからなあ。ちいとばかり透けてもうてたし。ねえさんはああいう人やから表面的には平気な顔してはったけど、透けてるとこ写真撮られたりすんのはやっぱり抵抗あったはずや……改善されて良かったで。ええもん作られはったな」
「ありがとうございます」

 ファットガムの言うとおり、ミッドナイトの新コスチュームは破きやすいのに破れない。外からの衝撃には強い、が、ミッドナイト本人の手なら簡単に破れる特殊素材でできているからだ。彼女の爪に含まれるわずかな個性因子に反応し、一定の方向からひっぱれば簡単に破れる。しかも薄手でありながら、透けにくい。
 ウィクトーリア社がミッドナイトのために開発した新素材だ。

「ところで話聞いとる思うけど、うちは新しい営業さんが来たら、一度は一緒に飯食いにいくことにしとんねん。串カツ屋予約してあるんやけど、君、アレルギーとか大丈夫かいな?」

 ファットガムは語りながら、大きな手を分厚い胸の前で広げた。こうしたちょっとした動きにすらも、おかしみがあってかわいい。

「はい。何でも食べられます」
「ああ。そら良かったわ。ただ食事会ちゅうても、いま相棒たちが出払っとってな。ひとりは近場やけど潜入捜査中で、もひとりは東海方面に長期の調査に出とる。せやから今日は俺とインターン生の子との三人になってまうけど、ええ?」
「え、俺もですか?」

 と、部屋の隅から声があがり、小夜は腰を抜かさんばかりに驚いた。慌てて視線を転じると、東側の角に、一人の少年が立っている。
 いつからそこにいたのだろう。もしかしてはじめからいたのだろうか。あまりにも静かすぎて、気がつかなかった。
 けれどよく見ると、少年は白いマントが映える大変きれいな顔立ちをしていた。肩と腕のプロテクターに使われているのは、三、四年前に開発された非常によく伸びる素材のものだ。この子はどんな個性を持っているんだろう、と思いかけ、小夜は内心で苦笑した。彼の人となりや容姿より個性が気になってしまうなんて、仕事熱心にもほどがある。

「せや。環もおいで。うまいもん食わせたるから、明日に活かしや」

 と、環くんというインターン生に語りかけてから、ファットがこちらに向き直り、人差し指を大きな口元に当てた。

「環は雄英の二年生なんや。これはナイショなんやけど、優秀な子ぉでな。将来有望なんや。未来のナンバーワンやで」
「いじるのはやめろ……それは……パワハラだ……」

 震えながら両手で顔を覆ってしまった環に、ファットガムが「おまえ、そのメンタルほんまなんとかせなあかんで」と諭す。そうして山のような大男は、再び小夜に振り返った。

「ほんならいこか」

 黄色い大輪の花がひらくように、彼が笑った。

***

「そんなに大きゅうない店なんやけど、めっちゃうまいんや。平太っつうじいさんがやっとってな」

 ファットの話に相づちを打ちながら、小夜は歩を進めた。
 この界隈は、いくつもの有名な商店街やアーケードが連なる。すぐ近くには川があり、川と橋を見守るように設置されているのは、オールマイトの大看板だ。
 ここらいったいは巨大な繁華街であり、同時に観光地でもあった。江洲羽商店街は、その中にあるこぢんまりした古い商店街だ。

「ファット。ちょっと寄ってきや〜」
「また今度なぁ」
「ファット! 新作食べてってぇな」
「んー。明日なぁ」

 次々とかかる声に、ファットガムが明るく応える。
 地域性もあるのだろうが、街をゆくだけで地元の人にここまで気軽に声をかけられるヒーローは、あまりいないだろう。これはそれだけファットガムが地域に密着し、信頼を得ているという証拠でもある。
 人が集まる街というのは、総じて犯罪も多いものだから。

 そう小夜が心の中で呟いた瞬間、それは起こった。

 突如鳴り渡った、地響きと人々の悲鳴。
 商店街のメインストリートとも言えるひとつ向こうのブロックで、砂塵が上がる。

「敵同士のケンカだ!」

 転瞬、隣を歩いていたふたりのヒーロー――といっても一人はまだ卵だが――の表情が一変した。

「環、行くで」
「はい!」

 とたん、環の背に鴨の翼が生えた。驚く小夜の目の前で彼が天高く飛翔する。それを追うように、巨体を揺らしてファットガムも大地を蹴って駆けだした。彼らが向かった先は、もちろん、一つ向こうのブロックだ。
 小夜も慌ててその後を追った。

 目的のブロックに小夜がたどり着いたとき、すでに捕り物は終了していた。敵が二人ファットの身体に沈められ、もうひとりは環に抑え込まれている。
 さすがだなあと、息をついた。捕り物を見逃してしまったのは残念だけれど、事件が迅速に解決することは良いことだ。
 と、その時、小夜は道のすみに老婦人が座り込んでいることに気がついた。

「どうされました?」
「……敵の攻撃に巻き込まれてしもて……」

 はっとした。流血こそしていないものの、老婦人の足は片方があらぬ方向に折れ曲がっている。骨折しているのは火を見るよりも明らかだ。

「痛みはありますか?」
「そないは……けど、足に力が入らへんの」
「……すみませんが、処置のため衣服を切らせていただきますね」
「あなた、看護師さんやの?」
「……そうではありませんが、ほんの少しだけ心得があります」

 手持ちの救急キットからはさみを取り出し、ズボンの布地を開いた。患部を確認し、良かった、と小夜は内心でつぶやく。開放骨折だったらどうしようと思っていたところだ。
 すこしほっとしながら、キットから伸縮性の副え木を取り出し、長さを調節して折れている足に当てた。

「……このまま固定しはるの?」
「はい。骨折している部分が湾曲している場合は、無理に戻さない方がいいんです。骨折端が神経や血管を傷つけてしまうことがありますから。このまま固定しますので、医療施設についてからきちんと処置してもらってくださいね」

 小夜は耳を澄ませた。近づいてくるサイレンの音。おそらく、すぐに救急車がくるはずだ。
 ところが、当てた副え木を三角巾で固定したものの、老婦人の顔から不安は消えない。どうしたらいいのだろう、少しでも安心させてあげられたらいいのだけれど。

「大丈夫やで」

 と、いいタイミングで明るい声が響いた。

「ファット!」
「おう、ファットさんや。敵はみぃんな捕まえたし、もうじき救急車も到着するよって、おばあちゃんも安心しとってな」

 おおきな笑顔でファットが告げた瞬間、老女の顔からくもりが消えた。
 ああ、と小夜は思った。
 よく笑うひとだと思っていたけれど、ファットは意識してそれを行っているのかもしれない。笑顔には人を安心させる作用があるから。それがヒーローであれば、なおさらに。
 そういえば、オールマイトもよく笑う。「もう大丈夫、私が来た」という言葉とあの笑顔に救われた人間が、いったいどれだけいるだろう。

 老女が救急車で搬送されるのを見送って、ファットガムがちいさく呟いた。

「ああ、きれいなスーツが汚れてもうたな」

 慌てて自分の足元を見下ろした。手当したときに擦ったのだろう、確かにパンツの膝部分が汚れ、すり切れてしまっている。

「大丈夫です。スーツは換えがききますが、人の命はそうはいきませんから」

 微笑みながらそう答えると、ファットが目を丸くした。文字通り、ゴールデンアンバー……金がかった琥珀色の瞳をまんまるにして。

「あの……なにか?」
「……お育ちが良くて、かわいいばっかりのお嬢さんや思とったけど、ちゃうねんな」
「はい?」
「君、なんかええな。うん、大変よろしい」
「ありがとうございます」

 クライアントに褒めてもらえるのはいいことだ。嬉しく思いながら笑みを浮かべた小夜の上を、金色の秋風が通り抜けていった。

2021.3.22
- 1 -
start / next

戻る
月とうさぎ