魔法の手

ファットガムとたこ焼き



 春の夕日を全身に受けながら、江洲羽の街を独り歩く。この街は道行く人たちの表情もあかるく賑やかで、かつ食べ物もおいしい。

 だが、たのしいはずの都会の街並みをゆきながら、わたしの心は暗かった。それは本日付で発令されたひとつの辞令に由来する。 本当だったら、わたしはこの春、現在の営業企画部から希望の部署に異動になるはずだった。サポート会社の華形、開発事業部に。
 もともと、サポートアイテムの開発に携わりたいと思って入った会社だ。だからその打診を受けた時、どれほど嬉しかったか。

 けれど本日付けで開発事業部に異動したのは、わたしではなかった。華形部署に異動を決めたのは、仕事ができないわけではないが目立ってできるわけでもない、わたしより一年遅く入社した男性社員。

 なぜ、と、悔しさよりも不思議な気持ちが先にたった。それでも上の決めたことだからと、自分に言い聞かせていたとき、余計な一言を耳に入れた者がいた。
 彼は大手バンクの重役の甥なのだ、と。
 そうか、と胸の奥で自嘲した。

 わたし個人のちいさな頑張りなど、大人の事情の前にはひとたまりもない。そういうことか。
 これでも一応、小さくはあるがそれなりに志を持って入社し、自分なりに努力してきたというのに。

 本当は、ヒーローになりたかった。
 けれど、わたしの個性は弱かった。個性名は小湧水。指先からごく少量の水がチロチロと湧き出るといった、つまらない個性だ。
 なのでわたしはヒーローになる夢を早々にあきらめ、大学のサポート学科を出て大手のサポート会社に入社した。ひとつでも多くのサポートアイテムを開発して、ヒーローたちの力になりたかったからだ。

 当然、開発事業部に入ることを希望したが、配属されたのは営業企画部。つまり、現在わたしがいる部署。
 もちろん、営業企画部も悪くはない。やりがいがあるし、なにより「彼」と知り合ったのも、企画に配属されたのがきっかけだ。急に身体がしぼんでもぶかぶかにならない、伸縮自在なコスチュームは、わたしが当時所属していたグループのもの。

 だから、希望した部署でなくても、世の中を救おうとするヒーローの手助けができて嬉しかった。誇らしかった。
 それなのに。

 企業の中ですら、ちっぽけな個性持ちのちっぽけな努力は、生まれつき個性や環境に恵まれた人間の前では、まったく無意味なものになる。
 努力に対してあからさまな見返りを求めていたわけではないが、内々にでも決まったと言われていたことが取り消されてしまったことが、やはりかなしく、悔しかった。
 作り笑顔で何も知らない後輩にお祝いの言葉をのべ、自席についた瞬間、「彼」に会いたいと強く思った。

 そうだ、会おう。

 昨夜「彼」から来たLIMEメッセージによると、手こずっていた事件がやっと解決したらしい。そのため、今日は一日オフということだった。だからきっと、連絡すれば会えるはず。

 終業してすぐ、「彼」に連絡を入れた。

『今日、会社の帰りにそっち行っていい?』
『ええで。待っとるわ』

 二つ返事でオーケーしてくれたわたしの彼の名前は、豊満太志郎。またの名をファットガム。
 大きくてまんまるな、彼曰くファニーでキュートなファットさんは、この街では誰もがよく知るヒーローだ。

 と、その時、ポケットの中の携帯端末がぶるりと震えた。取り出して、画面を確認。

『駅についたら連絡し。迎えに行っちゃるわ』

 太志郎からのメッセージだった。
 あいかわらず優しいな、と思いながら、『もうすぐ着くから大丈夫』と返して、歩を進める。

 そう、もうすぐ着くから。その角を曲がればすぐに。
 つきあたった角を右に曲がって再び大通りに出たとたん、見えてきた太志郎の事務所。たこ焼きを持ったファットガムをイメージしたデザインの、かわいいビルだ。
 通りに面した事務所玄関ではなく、裏手にまわって外階段を昇り、自宅のほうのインターフォンを押した。

「おう。来たか」

 扉を開けてくれたのは、まるくてかわいいファットさん……ではなく、背の高いイケメンだった。

「たいしろ……それ」
「おう。昨日の任務でな。こっちの俺もエエ男やろ」 
「うん、まあ……確かにカッコいいけど……」

 太志郎の個性は脂肪吸着。
 大きな身体に敵を沈めて捕獲するのが、「沈ませ屋さん」のファットガムの戦闘スタイルだ。だが実のところ、その身体に沈めるのは、敵だけではない。
 彼は敵から受けた攻撃をその肉体に沈め、蓄積させることもできる。そしてため込んだ衝撃を己の攻撃に乗せて、一気に放出するのだ。太志郎の拳に乗せられた彼自身の攻撃力と、ため込んでおいた衝撃を合わせたそれは、想像を絶する力となって敵を襲う。

 敵の衝撃を体内に沈めて抑え込む際、太志郎の身体は大量のエネルギーを必要とする……つまり、脂肪が燃焼する。そのためあまりに大きな衝撃を身体に蓄積させると、彼は痩せてしまう。

 普段、ファットガムがそこまでするようなことはあまりない。ということは、今回の敵はそれだけ強敵だったということだ。
 それならばできるだけ家でゆっくり休み、一日も早くウエイトを戻したいことだろう。

 なのに太志郎はこうして、いつものようにわたしを受け入れてくれる。
 希望の部署に入れなかっただけでうじうじしていた甘ったれた自分が、恥ずかしくなった。しかも、わたしは選ばれなかったことを、実力以外のせいにした。わたしのかわりに選ばれた後輩にコネクションがあったのは確かだが、他にもなにか光るものがあったのかもしれないのに。

 本当につよいひとはやさしいのだと、誰かが言った。心優しいからこそ、強くなれるのだと。太志郎に会うまで、それは違うと思っていた。けれどそれは、あながち間違いではないかもしれない。太志郎といると、心の底からそう思う。

「太志郎……」

いつもよりも一回りどころか三回りも四回りも細くなった腰に抱きついて、だいすき、と呟いた。

「なんや。自分、今日は甘えん坊やな」
「ん。疲れてるとこ、ごめん」
「そんなの気にせんでええ。俺とおまえの仲やないか。それより、急にどないしたん?」
「ン……仕事でちょっとね」
「ああ、わかった」

 太志郎がにやりと笑う。お肉が取れた太志郎は顔の造りの良さが際立つので、こういう笑い方をされると、ちょっとどきっとしてしまう。

「おまえ、俺の豊満なボディに癒やされに来たんやな」
「まあ……そうだけど……言い方もうちょっとオブラートに包んで」
「そんなとこも好きやろ?」

 耳元での低いささやきに、ぞくりとした。この姿でいるときの太志郎からは、男の色気が匂い立つ。

「エエで、ゆっくりかわいがっちゃる」

 太志郎はどちらかといえば童顔で、普段はかわいさを前面に押し出しているけれど、ベッドの上では大人の男だ。それを思い出させられ、かっと顔に朱がのぼった。

「……ばか」
「まあ、あがれや」

 と、彼はわたしをひょいと肩に担いだ。シュッとしても、太志郎はやっぱり力持ち。

「太志郎、靴、靴」
「ああ」

 呟きと共に、大きな手がわたしの靴を脱がせる。こともなく。

「しっかし小さい足やなぁ」
「太志郎のとくらべたら、そりゃ小さいわよ」
「そらそやな」

 と、太志郎がにかりと笑う。その時、ぐうう、とお腹が鳴った。

「なんやおまえ、色気ないなァ。このまま抱いたろかと思うてたのに」
「ばか」

 なんてこと言うのよ、と、大きな背中をぽかぽかと叩いた。

 わたしがそうしている際にも、太志郎の足はずんずんと家の奥へと突き進んでゆく。わたしの攻撃なんて、ちっとも効いていないにちがいない。

 廊下の突き当たりが、太志郎の家のリビングダイニング。
 大きな手が扉を開いた。目の前に広がるのは、オレンジイエローのラグが敷かれた見慣れたお部屋。大きなテレビと大きなソファと、そして大きな大きなクッションと。
 いつ来ても、カラフルでかわいい部屋だと思う。

「おまえ、夕飯食うとらんのか」
「うん……。会社から直行したから。それに、そんな気分じゃなかったし」
「そうか」

 と、太志郎眉を下げ、そして笑った。
 いま、変なはげましの言葉など聞きたくはなかった。同情の目で見られるのも嫌だった。
 意外なようだが、こういうとき、太志郎は特に何も言わない。言わないけれど、黙ってわたしを受け入れてくれる。

 無言の肯定、無言の理解。

 太志郎が「頼れる兄貴」と一部の男性たちから言われているのも、妙に納得してしまう。太志郎はいつもその大きな身体だけでなく大きな心で、わたしを包み込んでくれる。
 ああそうか。それを知っているからわたしはここに来たんだ。考えるまでもなく、自然に彼を頼っていたことに、今さらながらに気がついた。

「ちょお待っとき」

 太志郎がわたしを大きなクッションの上におろした。もふっと包み込まれる感じがたまらないこのクッションは、ファットガムの公式グッズ、「ファットさん等身大クッション」だ。

「そこで、もう一人のファットさんに抱かれとき」

 そう言い残し、台所へと消えた太志郎。
 少しして、彼はトレイと卓上プレートを手にしてやってきた。トレイの上には、青のり、ソース、かつおぶし、ねぎ、ぽん酢、マヨネーズ、塩。
 なんとなく、意図を察してしまった。

「こういうときは、これや」

 そう言い残し、彼は再びキッチンへ。
 そして次に戻ってきた太志郎は、びっくりするくらい大きなボールを手にしていた。そうして彼は卓上プレートのふたを明ける。現れた鉄板には、小さな丸い穴がたくさん。
 これは、やっぱり、いわゆるアレだ。

「ファットさん特製、たこ焼きパーティーの始まりやで」

 満面の笑みと共に告げられた予想通りの言葉に、わたしも大きく笑った。なにしろ、太志郎のつくるたこ焼きは、とてもとても美味しいから。
 いつの間にか電源が入っていたプレートの上に、太志郎が生地をたっぷりと流し込む。じゅうじゅうという音と共にたちのぼる、いい香り。

「ほわぁ、しあわせ……」

 わたしの声に笑みで応えながら、太志郎は見事な手際でたこ焼きを焼いていく。大きな手が魔法みたいに動いて、鉄板から溢れんばかりの生地をくるくると丸めていくのは圧巻だった。

「ホレ、焼けたで」

 舟形の皿に盛り付けられたたこ焼きは、みるからに美味しそう。いや、これはぜったい美味しいはずだ。

「まずはオーソドックスにソースで食べてんか」

 ソースとマヨネーズ、そして青のり。

「仕上げはコレや」

 大きな手が花かつおをつかんで、たこ焼きの上にぶわっとかけた。熱に鰹節がゆらゆらと踊る。

「美味しそう」
「ウマそうやなくてウマいんや。ほれ、あっついうちに食え」
「うん」

 たこ焼きをつまんで、口の中に放り込む。

「はふっ」
「ヤケドせんよう気ぃつけや」

 表面かりっとしているのに、中はふわトロ。たこも大きいのにやわらかい。

「おいしい」
「せやろ」
「太志郎の作るたこ焼きが、一番美味しい」
「まあな、ファットさんこだわりのレシピで作っとるからな」

 それだけじゃない。以前彼が用意した生地でわたしが焼いた時には、こんなに美味しくはならなかった。こんなにも美味しいのはきっと、太志郎が焼いてくれるから。
 だってほら、太志郎の手は、魔法の手。

「さあどんどん焼いていくで。俺も早よ体もどさなあかん」
「うん」

 太志郎がまたタネを流し込む。さっきと同じように、お出汁が熱されるいい匂いが広がった。魔法の手がぱらぱらっと紅しょうがとたこを投げ入れる。続いてネギと揚げ玉を。
 焼きながら、大皿にのせた大量の自分のたこ焼きをたいらげていくのだから器用なものだ。

「太志郎」
「あん?」

 できあがったたこ焼きにネギをのせ、さっとぽん酢を回しかけて太志郎が答える。

「世界で一番、太志郎が好きよ」
「知っとるわ」

 だが、図太い言葉とは裏腹に、彼の笑顔はやわらかだった。いつものひまわりの花が開くような笑い方ではなく、すこし照れているような、はにかんでいるような、そんな笑み。

「うふ」
「なんや」
「太志郎、かわいい」
「やめぇや」

 いーっ、と、形の良い歯をむき出しにして、太志郎が照れる。
 いつもの笑い顔もいいけれど、こういう表情もすき。わたしは太志郎のぜんぶが大好き。
 イケメンでもふっくらしていても、どちらの彼も、わたしを包み込んでくれるような優しいところはかわらない。
 太志郎はいつもこうして、わたしに元気を与えてくれる。
 おネギがたくさんのったたこ焼きを頬張りながら、思う。

 食後の片付けはわたしがしよう。そしてお風呂上がりには、彼の疲れた身体をマッサージ。身体に早くお肉が戻ってきますようにと願いを込めて。

「さあ、三回目あがったで」

 大きな手が魔法のように動いて、舟形のお皿がまたしても目の前に差し出された。

初出:2021.3.20

プロヒーロー夢本「My Sweetie〜プロヒーローと軽食を〜」より再録したネームレスのファットガム夢です。夢主の口調など違っているところもあるのですが、このシリーズの元となったお話なのでこちらに掲載しました

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