くるみは端末を手に何かの記事──あるいは電子版の書籍かもしれない──を読み、私は自分が表紙を飾った女性向けファッション誌──抱かれたい男特集号だ──を眺める。
ローテーブルの上には二人分の飲み物。私側に置いてあるのはくるみが丁寧に淹れてくれたデカフェのコーヒーで、くるみの前に置いてあるのは、私が作ったカシスソーダだ。
――秋の夜長。月光に薄揺れ、鈴虫草に鳴き、人、地に在る。すべて世は事も無し。
などという春の朝のぱくりじみた――いやオマージュと呼ぶべきか――自作の一節をうそぶきながら、コーヒーに手を伸ばしかけた、その時だった。
くるみのてのひらが、私のそれに触れた。指先から手首、手首から指先へ、上下するややひんやりとした、けれど優しい手。
これはあちらのお誘いだろうか、それとも無意識の行為だろうか。と、血流が良くなり始めた己自身を自覚しながら考えた。くるみはときたまこうして私の手に戯れたがる時がある。だからこの行為が前者なのか後者であるのか、どうにも判断がつきにくい。
ともかくも様子を見ようと、雑誌の文字をふたたび拾う。
抱かれたい男特集の記事を過ぎ、女流作家のコラムを目で追い、都会に新しくできたハイブランドショップの大型店舗の写真を眺める。――けれど、私の指を弄ぶやわらかなタッチに気を取られ、内容などひとつも頭に入るはずもなく。
なんたることだ、これではまるでティーンの少年のようじゃないか、と己の青さと若さに大きなため息をついた。
「どうかした?」
隣から軽やかな声があがる。
どうもこうもないんだよ。君の戯れのおかげでこちらはすっかり臨戦態勢だ。この昂ぶりをいったいどうしてくれるんだい?――と、心の中で軽く応えて、だが表面上はしずかに微笑んだ。
「さあ、どうしたと思う?」
不思議そうにこちらを見上げる彼女の肩を抱きしめて、身体ごとソファの上にそっと横たえる。先ほどの戯れはやはり無意識だったのだろう、くるみの目が驚いたように見開かれる。だがそれは、すぐに合意を示す笑みの形へと変わった。ほんの少し、恥ずかしそうな。
「わかんない」
「そうかい」
応える声に、甘えが滲んだ。だから私も同じように甘えを含んだ声で応じる。
「大丈夫、すぐにわかるよ」
私は唇をくるみのそれに近づける。くるみはそっと目を閉じる。
秋の夜長。月光に薄揺れ、鈴虫草に鳴き、人、地に在る。
すべて世は事も無し。
2023.9.24
引退した年の秋のお話なので本当はもっと前に収録すべきですが今はここに置いときます