番外編:誕生日の朝

 窓の外から微かに雨の音がする。寝ぼけ眼を擦りながら時計を眺めると、時刻は午前七時。平日なら慌てて飛び起きるところだが、さいわいにして、今日はふたりともが休みだ。

 ともあれ、先に目覚めてしまったからといって隣で眠る人を起こす必要はないだろう。本日の主役を――誕生日に限らず世間での『オールマイト』は常に主役みたいなものだけれど――起こさぬよう、細心の注意を払って起き上がった。

 その時だった。
 大きな手が伸びてきて、くるりとひっくり返された。声を上げる間もなく、ふたたびわたしはベッドの中へ。
 自分の意思に反して身体を反転させられたというのに、痛みはおろかほんの少しの衝撃すらも与えられなかったのは、さすがオールマイトというべきか。

「起きてたの?」
「いや、今まさに目覚めたところ」

 柔らかく笑んだ俊典が、わたしを長い腕の中に閉じ込める。

「ねえ、わたし起きようと思ったとこだったんだけど」
「もう少しこうしていようよ。ね。これは誕生日のお願いの、ふたつめ」
「せっかくのお願いなのに、こんなことに使っていいの?」
「前も言ったけど、君とゆっくり過ごすことはね、私にとって『こんなこと』じゃないんだよ」

 とても幸せな時間なんだ、と耳元でささやいて、本日誕生日の彼は微笑んだ。



 一緒に暮らしてはじめて迎える誕生日に何が欲しいかとたずねたら、「私のお願いを三つ叶えてくれないか」と彼は言った。

「もちろん、法に触れるようなこととか、本気で君が嫌がりそうなお願いはしないつもりだよ。もし私の提案がお気に召さなければ、その場で拒否してくれていい。どうだろう?」
「まあ、いいけど」
「ありがとう。じゃあ一つ目は今から頼んでもいい?」
「なあに?」
「誕生日の日は、私と一日一緒に過ごしてくれる?」
「え? そんなのでいいの?」

 なにせつきあってはじめて迎える誕生日だ。
 しかも今年の六月十日は、うちの店の休業日と重なっている。だから最初から、互いの都合が合えば、一日を彼のために費やそうと思ってはいた。

「あのね、君と過ごすことは、私にとって至福の時なんだ……私も休みをもらったよ。健康上の理由もないのに有休を取るなんてはじめてだから、ワクワクしてる」

 健康上の理由なく有休をとるのがはじめてと聞いた瞬間、胸の奥が締め付けられた。いやこのひとは、ほとんど休みなく世界を救い続けてきた。胃袋と片方の肺がない、満身創痍の状態で。個性を失った身体でもなお魔王の前に立ちはだかったあの日のオールマイトの勇姿は、今も瞳に焼き付いている。

「じゃあ、どこかおでかけする?」

 胸によぎったなんともいえない感情をごまかすようにそうたずねると、いや、と、俊典は少し照れくさそうに微笑した。

「一日、家でゆっくりしたいんだ……君と」
「……まあ……あなたがそれでいいなら、わたしは構わないけど」

 なにせ彼のお願いは三つある。残りのふたつはもう少しお誕生日っぽいものにするつもりかもしれない。



 ――と、あの時はそう思ったのだけれど。

 紳士的な俊典のことだ。そう無茶なお願いはしないだろうと踏んではいたが、二つ目が「ベッドの上で仲良く過ごす」だなんて、そんなものでほんとうにいいのだろうか?
 なにせ今日は俊典と特別な関係になってからはじめて迎える彼の誕生日だ。だから「お願い事を叶える」ほかにもちょっとしたプレゼントを用意はしている。けれど。

 考えていたことが顔に出たのだろう。俊典が困ったように眉を下げ、そうだなあ、と呟いた。

「本当はもうちょっとあとにしようと思ってたんだけど、最後のお願いもいましちゃおうかな。いいかい?」
「……いいよ」

 なんだろう。ベッドの上でそんなことを言われると、十八歳未満お断りのあれやこれやを想像してしまいそうになる。
 だが俊典はわたしを抱きしめたまま動かない。
 目の前に、彼の薄いが広い胸板がある。

「あのね……」

 と、そこで俊典が言葉を切った。
 こんな意味深な雰囲気を出されると、なんだか緊張してしまう。と、目の前の胸が大きく上下に揺れていることに気がついた。彼の心臓の音が、大きく聞こえる。
 そして俊典は深く大きく息を吐き、再び口唇をひらいた。

「私と結婚してくれない?」

 え、と呟いたまま言葉をなくしてしまったわたしに、彼は続ける。

「……結婚して欲しいんだ。本当は一緒に住む時に伝えるつもりだったんだけど、なかなか言い出せなくてね。せっかくだからこの機会に、と思って」
「……それは、お誕生日のお願いのひとつ?」
「うん……実はこれが今回の肝。どうかな……。六月の花嫁にならない? 式場もドレスも私がなんとかするから」

 いま結婚を決めて、今月中に式を挙げられる会場なんてあるのだろうか、と思いかけ、心のなかでかぶりを振った。なにせ彼はオールマイトだ。できると言ったら絶対なんとかするだろう。

「ちなみに、このお願いにも拒否権はあるの?」
「……もちろんだよ。そうなったら哀しいけどね」
「悪いけど……」

 目の前の広い胸板が、ぎくりとこわばった。

「さっきと同じ言葉を、ちゃんとわたしの目を見て、もう一度言っていただける?」
「もちろんだ!」

 満面の笑みを浮かべて勢いよく起き上がった俊典が、わたしを見つめた。わたしもまた、ゆっくりと起き上がり、彼を見上げる

「私と結婚してください」
「もちろん。わたしでよければよろこんで」
「もー、悪いけどなんて言うから、断られるかと思っちゃったじゃないか」
「ごめんなさい」

 素直に謝ると、「ゆるさないぞ」というはしゃいだ声と共に、もう一度抱きしめられた。

「そうと決まったら、さっそく指輪を買いに行こうよ。それに式場も決めなくちゃ」
「今日は家でゆっくりしたいんじゃなかったの?」

 気が変わったのさ、と、いらずらっぽく笑った俊典がわたしの髪にキスをする。しょうがないひと、と、わたしも彼の顎にキスを返した。
 きっとこれから先も、わたしたちはずっとこんなふうなんだろう。それがとても嬉しくて。

 窓の外から聞こえる微かな雨音すらも軽やかに感じる、そんな彼の誕生日の朝。

2025.6.10

2025年 オールマイト誕+10周年リクエスト

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