Rising Sun

「……ん……」

 目が覚めると、あたりはひんやりとした朝の空気に包まれていた。
 ついこの間までの暑さがうそのようだ。いつのまにか、すっかり秋。
 時刻を確認すると五時だった。近頃やたらと早く目覚めてしまう。身体は疲れているというのに。
 これは老化の始まりだろうか、と思いかけ、いや違う、とかぶりを振った。
 眠りが浅く目覚めが早いのは、未だ戻らぬひとを待ち続けているからだ。

***

「オールマイトだ!」
「オールマイトが来た!」

 あがった声に、避難所の特大モニターを見上げた。
 そこに繰り広げられていたのは、オールマイトという傑物の死闘。

「私が与えられてきたもの、すべてをぶつける!」

 それは漆黒のアーマーと人工知能が組み込まれたスーパーマシンによる、オールマイトの最期のワルツ。
 個性のかわりにテクノロジーで武装して、己の反射神経を頼りにその人は戦っていた。ただの一撃で、科学技術の粋を極めた装甲を破壊できる敵と。

「私は過去一度たりとも、負ける気で戦ったことはない!」

 それは長年に渡り、人々を救け象徴として立ち続けた柱としての矜持の叫び。

 だが、敵はあまりにも強大だった。

『マント損壊。左上腕骨、鎖骨粉砕』

 流れてくるスーパーマシンからの音声に、モニターの前にいた人々からうめきにも近い声があがる。
 だが我々の心配をよそに、オールマイトは立ち上がり、敵を煽り、そして高らかに笑う。どんな危機が訪れようと。魔王と呼ばれる巨悪が相手であろうとも。

「……ナチュラルボーン・ヒーロー」

 その場にいた全員がオールマイトの勝利を祈る中、ぽつりと漏らされた声は、一体誰のものだったのか。
 そう。その言葉通り、彼はどこまでもヒーローだった。最期まで。

***

 オールマイトの最後の戦いを思い出し、大きくため息をついた。個性と臓器の一部を失い、全身ボロボロになりながら、戦い抜いた平和の象徴。
 いや、あの日ボロボロになるまで戦ったのは、オールマイトだけではない。生徒たちを含めたヒーローが、警察が、公安が、皆が命を賭して戦った。その結果として巨悪は倒され、ふたたび世に平和が訪れた。

 そのために払った代償は大きかったが、街の復興は徐々に進んでいる。
 あのひとが人生を、生命をかけて守り続けた市井の人たちの暮らしが、そこかしこに息づいていた。

 先月、わたしも自分の店を出したところだ。以前から話をいただいていた、雄英学校長根津の持ち物件。
 幸いにも戦禍に遭わずほとんどそのまま使うことができたその物件は、一階が店舗、二階が住居になっている。もともと洋食屋だった物件なので、ビルトインオーブンなど必要な機材が揃っていた。おかげで開店作業は、三茶の店を出したときに比べると、ずいぶんと楽なものだった。

 店は月火休みで、水木金はディナーのみ。そのかわり土日はランチとディナーの両方をやる。本当は毎日ランチをやりたいところだが、コック一人ではこれが精一杯だ。

 雄英の先生たちも、たまに顔を出してくれている。先週はエリちゃんを伴い、相澤先生とプレゼント・マイクが店を訪れてくれた。

「おりょうり、おいしかったです」
「それならよかったわ。デザートまで楽しんでいってね」
「はい」

 寮にいたころと変わらぬかわいさに口元が緩む。と、少女の向かい側に座っていたマイクに声をかけられた。

「そういえば、あれ以来どーヨ?」
「そうですねえ……最近五時頃目が覚めちゃって。老化現象でしょうかね」

 体調のことを聞かれたと思ったので軽口のつもりでそう答えたら、気の毒そうな顔をされてしまった。

「……あのさ……もしかして未だに何の連絡もねえかもしんねえけど、あのひと自立歩行がまだできねえんだよ。車椅子で授業してんだ。だから……治ったらとか思ってんじゃねえかな、きっと」

 主語がなかったが、誰のことを指しているのかすぐにわかった。つまりたずねられたのは、体調ではなく八木との関係。
 なんのことはない。わたしと彼とが微妙な関係であったということも含めて、こちらの気持ちは皆に筒抜けだったというわけだ。

 マイクの思いやりはありがたかったが、どう返すべきか少し迷った。気の利いた返しが思い浮かばなかったので、結局わたしはあたりさわりなく「そうなんですか」とだけこたえ、曖昧に笑んだ。

「……すみません、食後の珈琲を早めに出していただいてもいいですか?」

 助け船のつもりだったのだろう、相澤が横から声をかけてきた。このひとはそう口数は多くないけれど、必要なところで的確な言葉をくれることが多い。頭の良い、心の優しい人だと思う。

「かしこまりました。すぐご用意いたします。では、引き続きお食事楽しまれてくださいね」

 頭を下げて厨房へと戻った。
 お運びの女の子に珈琲を出すように告げ、わたしはひとつ、息を着く。大きく、そして深く。

***

 強大な敵は倒されたというのに、あのひとはまだ、わたしの前に姿を現さない。
 いっそ自分から行ってしまおうかとも思ったが、今、彼がどこに住んでいるかわからなかった。家事代行サービスの頃の連絡は会社の端末を通してのものだったので、私的な連絡先も知らない。まさかこんな私的なことで、雄英を訪れるわけにもいかない。

 結局わたしは、八木からの連絡を待つことしかできないのだ。

 それに、優しいマイクは気を使ってああ言ってくれたが、車椅子だろうがなんだろうが、平和な世が来て半年近くも経つというのになんの音沙汰もないというのは、その気がないということだろう。
 八木の気持ちが変わっていたとて、なんらおかしいことはない。もともと女性にはもてるひとだ。その気になれば女優だろうがモデルだろうが、やんごとなきご身分のご令嬢だろうが、よりどりみどり。
 あえてこんな気の強い女を選ぶこともないだろう。
 それならば、わたしにできることは、あの高潔なひとが安らかで幸福な人生を送れるよう、心の底から願うことだけ。

「もう起きるか……」

 大きくため息をついてから、そう独りごちた。今日は日曜なのでランチもある。いつまでも布団の中でダラダラしていても仕方ない。うっかり二度寝して、寝過ごしたりしたら大惨事だ。
 もそもそと起き上がり、軽く身支度を調えて外に出た。

 店の前には、ブラックボードを支えるためのフレームがついた寄せ植えの鉢が置いてある。朝起きたら、まずそれに水をやるのがわたしの日課だ。
 ひんやりとそよぐ風が心地よくて、思わず天を仰いだ。秋の空は高い。そろそろ日が昇るのだろう。空が見事なグラデーションを描いている。高い位置は薄紫、山の稜線近くは淡い白、地上に交わるあたりはオレンジがかった金色。
 魔法のように、美しい空。

 するとその時、はるか向こうの黄金色の光の中から、ひとつの影が生じた。
 細長いそれは、人影だ。

 逆光で顔は見えないけれど、わたしにはそれが誰であるのかすぐにわかった。どうして、という言葉とともに、持っていたじょうろが手から滑り落ちる。

 細長いシルエットがじわりと滲んだ。見間違いかと、瞳の上に張った膜を無視してひとつふたつまばたきをした。だがその姿は消えることなく、どんどんこちらに近づいてくる。
 わたしは落としたじょうろを拾うことも、ましてや彼に駆け寄ることもできず、ただその場に立ち尽くした。
 八木がわたしの元にたどり着くまで。

「どうして……?」
「自力で歩けるようになったから」
「いや、そうじゃなくて」

 と、口にして、以前もこんなやりとりをしたなと思い出した。
 あれはこのひとが巨悪と戦う決意をし、わたしに会いに来てくれた日のことだ。彼も覚えがあるのだろう。少し照れくさそうに口をへの字にまげてから、次に、柔らかく笑んだ。

「君にどうしても会いたくて、来てしまった」
「こんな時間に?」

 うん、と、八木が申し訳なさそうに眉毛を下げる。

「昨日の診察で、やっと車椅子なしでの外出許可がおりたんだ。だから朝一で君に会いに来た。……その……マイクから、君が最近早起きだって聞いたから……。もしかしたらこの時間でも会えるかなと思って」
「そんな……わたしが寝てたら、ずっと待つことになっちゃうじゃないですか」

 この優しい人が、こんな朝早くにインターホンを押すとは思えない。

「でもさ、会えたじゃないか」
「……そうですけど……。そんなに早く会いたかったのなら、どうして電話のひとつもくれなかったんです?」

 自分でもかわいげがないとは思う。けれど、音信不通のまま待ち続けた数ヶ月は、わたしにとって短いものでは決してなかった。理由があるなら、それを聞きたい。
 すると彼はまた申し訳なさそうな顔をして、ごめん、と黄金色の頭を下げた。

「怖かったんだ」

 あまりにも意外すぎる言葉に、返す言葉がでてこない。
 いったいなにを恐れたというのだろう。個性をなくした身体で、魔王と称された最恐かつ最強のヴィランと対峙したこのひとが。

「電話口で、もう会えないって言われるのが怖かったんだ……」
「なぜ?」
「なぜって……君が私のことなんてすっかり忘れてしまって、新しい恋をしているかもしれないと思ったからだよ。なにせ君は魅力的だから」

 このひとは一体なにを言っているのだろう。魅力という点において、わたしなどあなたの足下にもおよばないのに。

「なにせ、私は君に待たないでくれと言ってしまった。君もそれに同意したろう? だから、とにかく不安だったんだ」

 秋の爽風が、わたしのカーディガンの裾と、八木の金色の前髪を揺らす。

「……でも、もし君が新たな恋をしていたとしても、直接会って話だけでも聞いてもらいたいと思ってさ。……ただ……その……ちょっと言いにくいんだけど」

 と、再び彼は眉を下げた。
 しゅんとした表情が叱られている大型犬みたいで、なんだかかわいい。

「私は持てる財力すべてを、エルクレスとバトルアーマーに費やした。つまり、今の私はほぼ一文無しだ。CHENELをはじめ、スポンサー契約している企業もいくつかあるけど、今年の契約金はすでにエルクレス開発につぎ込んじゃったから……」
「資産全部ですか?」

 あまりに驚いたので、頓狂な声が出てしまった。八木が「……うん」と申し訳なさそうにつぶやく。
 それにしても蓄えをすべて戦闘のためのアイテムに費やすなんて、さすが平和の象徴、やることがあまりにも大胆だ。
 わたしの表情を見て誤解したのか、八木がわたわたと両手を振った。

「で……でもね。雄英教師としてお給料は出るし、新たにいくつかスポンサー契約がとれてはいるんだ。だからまとまった額も入るは入るんだよ。……といっても、その大半が税金で消えちゃうんだけど……」

 たしかに税金は前年の年収に応じて徴収されるから、彼の言うとおりなのだろう。かといって、今、そこまで話さなくてもいいのに、とひそかに思った。
 このひとは普段はあんなにスマートなのに、ここ一番でこういう浮世離れしたところを出してくるから困ってしまう。

「……なんか、めちゃくちゃ現実的な話ですね……」

 返す言葉に窮してそう答えると、彼は、うん、と小さくうなずいた。

「ムードもロマンもなくてごめんね。でもこの話を先にしておくべきだと思ったんだ。黙っているのは誠意に欠けるだろ? ……つまり、今の私にはこの身一つしかない、ってことだ。その身も全身ボルトだらけで、胃袋もなければ肺も片方ない」

 まっすぐにこちらを見つめる、晴れ渡った空の色をした青い瞳。それがとても、きれいだと思った。

「そんな私が言っていいことではないかもしれない。年齢だって二十あまり離れてる。それでも伝えたいと思ったんだ。君が好きだと。……みづき、私のはじめての恋人になってはもらえないだろうか」

 さすがにもう遅いかな、と首をかしげた表情は、以前に比べると、ずっと穏やかだった。
 何より、目元の影が薄い。最終決戦と呼ばれるあの戦いにでるまでの彼は、笑っているときも常に眉間に力が入っていたから。

「あの……なにか言ってくれない?」
「あなた、前より表情が穏やかになった」

 不安そうにたずねてきた八木に、あえて敬語をつかわずそういらえた。それに気づいたのだろう。彼は濃い金色の眉を軽くあげた。

「前のあなたも素敵だったけど、今のあなたはもっとすてき」

 わたしは八木の手を取った。大きくてごつごつとして骨張った、傷だらけの、人々を守り続けた尊い手。
 彼の手はわたしの両手を片手で包めてしまうけれど、わたしは両手を使っても彼の片手は包みきれない。
 それでもわたしのちっぽけな手は、彼のおなかを満たすことはできるのだ。

「それから経済的なお話だけど、ぜんぜん気にしなくていいわ。あなたがお金持ちだから好きになったわけじゃないし」
「うん。それはわかってるよ」

 と、彼が微笑む。わたしもそれに、笑みを返した。

「わたしにはコックとしての腕とこの店がある。経済的にあなたによりかかるつもりは毛頭ないの」
「うん。君の腕がいいのも知ってる」
「だから……。ねえ、悪いんだけど、少しかがんでもらえる?」
「これくらいかい?」

 自分の頭がわたしの頭より十五センチほど上の位置に来るまで、彼が身体を屈めた。

「もうちょっと。わたしの目と同じくらいの高さまで」

 OK、と、八木がその長身をまた屈めた。
 目の前に、晴れ渡った空の色をした瞳がある。秀でた額も、通った鼻筋も、真っ白な歯を有する大きめのお口も。

「なんか照れるね」

 至近距離で見つめ合いながら、八木が少し困ったように笑った。でもそう言いたくなるのもわかる。だって、わたしも少し、照れくさい。

「俊典」
「うん」

 あえて敬称をつけずにそう呼ぶと、彼はとても嬉しそうな顔をした。

「大好きよ」
「うん。私もだ」

 その言葉が終わったと同時に、私は彼にキスをした。少し乾いた、けれど弾力のある唇に、触れるだけのキス。
 すぐに唇を離し、八木を見上げる。と、彼は驚いたように大きく目を見開いて、次に眉を寄せた。それは決して、非難の表情ではない。
 八木の青い瞳には、大粒の涙が浮かんでいた。眉を寄せたのは、それを落とすまいとするがゆえ。瞳に張った水膜を維持するために懸命に目を見開いている、彼が愛しい。

「私もだ……私も……みづき、君のことが大好きだ」

 かすれた低音と共に、こぼれた一筋。
 存外に涙もろい英雄を、わたしは抱きしめる。彼は背が高いから、平均的な身長のわたしが抱きつける場所は腰のあたりだ。
 年齢差だけでなく、体格の差もあるわたしたち。

 金色の頭髪の向こうで、マジックアワーが薄れていくのが見えた。先ほどまでグラデーションを描いていた空に、彼の瞳と同じ色が広がってゆく。

「みづき」

 わたしの名を呼びながら、八木がこちらにむかって屈み込んだ。彼の前髪が頬にかかる。長い指がそれをやさしくかき分けて、わたしの頬を包み込む。

 たがいの唇がまた触れあった。触れては離れ、また離れては触れる、やさしいキス。それを数回繰り返し、彼はわたしを片手で抱き上げて、もう片方の手を髪の中に差し入れた。
 そして次にかわしたのは、先ほどまでのものとは違う、情熱的で深いくちづけ。

 閉じたまぶたの向こうに、秋の陽光を、たしかに感じた。
 美しいけれどやや薄暗いマジックアワーのように、互いに想い合いながら触れることすら出来ないさみしい狭間の時間は過ぎた。そしてこれから、まばゆいばかりの日が昇る。
 オールマイトというヒーロー……いや、八木俊典という名の一人の男性と、わたしの上に。

2024.10.2

2024年12月に発行されたヒロアカ42巻128Pのグラントリノ&リカバリーガールと一緒にいる車椅子のオールマイトですが、あれ本誌の時は車椅子ではなく自分の足でしゃがんでおりました。ちゃんと確認して書いたんですが、コミックスで修正入ったんですね。
ということで、この話の最終話はグラントリノとリカバリーガールのシーンのあと……ということにしておいてください。

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月とうさぎ