オールマイトは国立雄英高校の職員室で、昨夜の出来事を思いだしながら頭を抱えていた。
「ね、お願いだからそんなに怒らないでくれよ」
「怒るにきまってるじゃない。もうこんな時間だよ。レストランも閉まっちゃったよ!」
「だから悪かったって何度も……」
「そう、何度もなんだよね。こういうの、これが初めてじゃないんだよ。だから私も本日は閉店。チョコレートはあげません」
きっぱり言われて返事に詰まった。
果穂の言うとおり、イベントデートの大遅刻はこれが初めてではない。バレンタインだけでなく、クリスマスイブにも待ち合わせの時間に大幅に遅れた。
イブの失態はクリスマスの当日に埋め合わせをし、なんとかご機嫌を取ることができたが、今回はそうはいかないだろう。
日曜だと言うのに出勤したという一点だけでも、果穂はぶつぶつ言っていたのだ。それなのに帰宅途中に見かけた事件に首を突っ込み、事後処理の手伝いをするうちにこんな時間になってしまった。
「ごめんよ」
「だめ。絶対許さない」
「そんなこと言わないで。そうだ! 今度、前に君が言ってたイケメンシェフのレストランに行こう。三ツ星だって話じゃないか」
「行かない。そんなことじゃ誤魔化されないもん。それにイケメンシェフのところに行ったら行ったで、俊典さんはヤキモチ妬いて機嫌が悪くなると思うよ」
あ……うん。ソウダネ。確かにヤキモチ妬くだろうね……とオールマイトは心の中で呟いた。
どうしようかと少し考えて、果穂を背後から包むように抱きしめた。
「許してくれよ、ハニー」
「だめ!」
「……じゃあさ、君が行きたいところ、どこでも連れて行くよ、これでどうだい?」
ね、と甘えるような声を出して、可愛いサイズの耳たぶに口づけた。少しくすぐったそうに果穂が、ん、と甘い声を出す。
うん、悪くない感触だ。もう一息。
「あとはそうだな、お風呂を薔薇の花でいっぱいにして一緒に入ろうか」
「そういうのいらない」
「ア……そう……」
「……それより、してほしいことがあるんだけど」
「なんだい? なんでも聞くよ」
「次のオフ。わたしとデートして」
エッ? そんなんでいいのかい?と言いそうになったのを必死でこらえる。余計なことは言わずにおくにしくはない。
「いいよ。どこに行きたい? 久しぶりにドライブでもする?」
「どこにもいかない。薔薇のお風呂も高級ジュエリーもいらない。お金をかけないで、おうちで胸がきゅんきゅんするようなことをしてほしいの」
「むねが……きゅんきゅん?」
「そう、胸キュンおうちデート」
ナニソレ不可解。
胸キュンおうちデートっていったいなんだ?
おうちでしてほしいこと、なんて言われたら、おじさんにはエッチな事しか思いつかない。
……でも、それは絶対違うよな、お願いプリーズ。誰か助けて……
以来、オールマイトの脳内で「胸キュン」というセンテンスがぐるぐると回り続けている。オールマイトが今、自分のデスクの上で頭を抱えているのはそういうわけだ。
そこに背後から柔らかい声がかけられた。
「どうしたんです?」
「ああ、ミッドナイトか……なんでもないよ」
「なんでもないって顔じゃありませんね……さっきから溜息すごいですよ」
「え……そんなひどかった?」
「ええ。もしかして、彼女と喧嘩でもしましたか」
「すごい、良くわかったね」
「だって、オールマイトさん、昨日出勤してたじゃないですか。日曜の……しかもバレンタインに出勤するなんて、彼女さんカワイソーって思ってたんですよね」
「うん、そのうえ約束の時間に間に合わなくてさ……大遅刻。やっぱりまずいかな」
「それは甚だまずいでしょうね。高級レストランでのお食事とか、高級ジュエリーとか買ってあげないと許してもらえないかもしれませんよー」
「そういうものを求めてくれれば話は簡単なんだけど、お金をかけないで……胸がきゅんきゅんするようなおうちデートをしてほしいそうなんだよ」
「欲がなくて可愛いひとですね」
「確かに可愛いんだけど、どうしたらいいかわからなくて困ってるよ」
でしょうね、とミッドナイトが破顔した。
ニヤニヤしながら話を聞いていたプレゼントマイクも参入してくる。
「おうちで胸キュンなんて言われても、ベッドでサービスするくらいしか思いつきませんよねェ」
「だよね。私もそう思うんだけど、違うような気もするんだよ」
「呆れた……男ってどうしてそうなの?……」
「エッ? やっぱり違うの? じゃあ君にはわかるのかい?」
「わかりますよ。女の子の気持ちは女の子にしかわかりませんからね」
女の子!? どこに?……とつっこんだプレゼントマイクの顎に、ミッドナイトのアッパーカットがヒットする。
馬鹿だな、女性に対して容姿と年齢のことを言及するものじゃないんだよ。
オールマイトは心の中でそう呟いて、ミッドナイトがプレゼントマイクを殴り終えるのを静かに待った。
「若い女の子が胸キュンするようなシチュエーションはいくつかあります」
ミッドナイトの声に、オールマイトはうん、と静かに頷いた。
***
やっと迎えたオフは、バレンタインからちょうど一週間後の日曜日。大荒れだった先週に比べると、とても穏やかな休日だ。
恥ずかしそうに自宅を訪れた果穂を、室内に招き入れた。
ミッドナイトの言に従い、自宅を綺麗に整えて、若い女性ウケしそうなラブロマンス映画を用意したけれど、この選択は大丈夫だろうか。
ランチも助言にしたがって、凝らない男の手料理にした。果穂が好きなカルボナーラに、パプリカのサラダ。アスパラとジャガイモのスープもつけてみる。飲み物はいつものカプチーノだ。
「俊典さん、ごちそうさま。美味しかった」
「それは良かった」
満面の笑みを浮かべた果穂にオールマイトも安堵の笑みを返す。うん、雰囲気は悪くない。
「休みの日限定だけど、一緒に住めばこれくらいなら作ってあげられるよ」
「そういうけじめのないのは好きじゃないの」
「つれないね。でもそんな思い通りにさせてくれないところも好きだよ」
そう言って、果穂の頭を軽くポンポンと叩いてみた。
そっと撫でたほうが良かっただろうか、とオールマイトは心配しながら果穂の顔を覗き込む。
すると可愛い娘は頬を染めて、うふっと笑った。
うわ、ホントだ。ミッドナイト、君さすがだよ。
オールマイトが心の中で喜びの声をあげる。
ミッドナイトが言っていた女性が喜ぶシチュエーションは数個。
『頭ぽんぽん』『顎クイ』『耳つぶ』『バックハグ』『お姫様抱っこ』……それからもう一つ。
けれどこれらの行為は、オールマイトはけっこうしてきたことだ。
意識してしてきたわけではないけれど、耳元でささやく『耳つぶ』とやらと、後ろから抱きしめる『バックハグ』は習慣のようになっている。
だから大した効果はないんじゃないかと半信半疑でいたのに、女性のアドバイスは聞いてみるものだ。
好感触だったので、後ろから果穂をすっぽり覆うように優しく抱きしめて、耳元で「愛しているよ」と囁いた。
ふふ、と、またくすぐったそうに微笑まれた。これはますますいい感じだとオールマイトがほくそ笑む。
「これで私を許してくれるかい? お姫さま」
「んー、どうしようかな」
じらすようにそっぽを向いた果穂の顎をそっと掴んで上を向かせた。
すぐ唇は落としてやらない。じっと瞳を覗き込むと、果穂は恥ずかしそうに目を逸らす。
「果穂」
名を呼び、もう一度その瞳に自分の姿が映ったことを確かめて、オールマイトはさくらんぼのような唇に自分のそれをそっとあわせた。
んん……と小さく身じろぎをした果穂の髪を、あいている方の手でさらりと梳いた。
そっと唇を開放すると、眼の端を赤く染めて果穂がぽつりとつぶやいた。
「とりあえず、チョコはあげる……」
「中、見てもいい?」
こくりと頷く果穂の前で、リボンをほどいて小さな箱をあげた。
中に入っていたのは四角いブラウニーだ。美味しそうだが、店で売っているものに比べると、大きさが均等でなく、形も少しいびつに見える。
「もしかして、私のために手作りしてくれたのかい?」
「うん……14日に用意していたのはフォンダンショコラだったんだけど、日持ちしないから昨日作り直したの。もしもの時のために、今度は日持ちするケーキにしたよ」
それを聞かされたオールマイトの胸がずきりと痛んだ。
もしもの時、ということは、果穂は今日もすっぽかされる可能性を考えていたということだ。
せっかく作ったフォンダンショコラをひとりで食べ、日持ちするよう気遣ってブラウニーを作り直す果穂の姿を想像して、胸が締め付けられた。
果穂はどんな気持ちだったのだろう。
しかも先週の日曜は、春の嵐が吹き荒れていた。そのため事後処理に時間がかかったのだが、果穂はそんな中でひとりオールマイトを待っていたのだ。
「果穂、14日は悪かった。本当に」
「うん。……でも、まだ許してないよ」
「え? まじで?」
全身からどっと汗が噴き出した。何がまずかったのだろう。
「おうちデートじゃ胸キュンしなかったかい?」
「だって……全部やってもらったことのあるものばっかり」
「え……」
ミッドナイトが教えてくれたシチュエーションで、一つだけオールマイトが果穂にしたことがないものがある。
二メートル二十センチの男がそれをしたら、相手に恐怖しか与えないのではないかと思っていたからだ。
「わたしが一番してほしかったのは、これ」
果穂がオールマイトの体を押して、壁際へと追いやった。女性の力で押されたところで本来ならばびくともしないはずなのだが、そこは合わせてやるのが男の優しさ。
とん、と可愛い右手がオールマイトの足の付け根の隣に置かれ、ととん、と左手が右側の腰のあたりに置かれた。
「え? ……なに? これなに?」
「壁ドン!」
ふん!と鼻息荒く果穂が答える。
おいおいおいおい、なんだこのかわいい生き物は。やばすぎだろう。
懸命に背伸びして、こちらを見上げてくる果穂のかわいさたるやどうだ。上目遣いの破壊力がハンパない。
壁ドンに女性は胸がきゅんとするのかもしれないが、男は下半身にこう……ぐっとくる。
「……なるほど、壁ドンも悪くないね」
果穂の両脇に手を差し込んでくるりと身体を反転させ、そっと壁に押し付けた。首をかしげて見上げてくる彼女を包み込むようにして、できるだけ優しい仕草で壁に手をつく。
「こうかい?」
うん……と果穂が頬を染める。
「やだ、すごいドキドキする……」
「怖くない?」
「怖くないよ……俊典さんが優しいの知ってるから」
右手を壁についたまま、左手で果穂の顎をそっと優しく持ち上げた。
「ねえ、チョコレートのかわりに、いま君を食べちゃっていいかい?」
「んんっ……」
応えが来る前にまた唇を重ねて、かわいい舌をからめとる。何度も褥を共にしているのに、呼び方も「マイト」から本名の「俊典」になったというのに、未だにキスひとつで震える果穂が愛しくてたまらない。
さんざんに若い恋人の口腔内を堪能して、オールマイトが静かに笑った。
「ね、いいだろう?」
「だめ」
「え、ナンデ?」
オールマイトは苦笑する。
果穂はいつまでも初心だけれど、こういうところがけっこうはっきりしている。手に入れられそうに見えて、そう簡単には落ちてくれない。
「ブラウニーを先にして」
たしかにそうだ、このケーキは美味しくいただかないと罪になる。
「そうだね、君の手作りケーキを先に頂くよ。一緒に食べよう」
「その後に、わたしをたくさん愛してね」
「もちろんだ。たっぷりとね」
そう耳元でささやくと、果穂は白いデイジーの花のようにふわりと笑った。
2016.2.23
※サイト一周年のリクエスト企画で書かせていただいたお話
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