つり目の生活
me

▽2023/08/17(Thu)

また久々になってしまったけど、ご報告があります

2023年8月13日、虎さんと無事入籍いたしました。

今後はもう旦那だと思うと、まだ実感わかないけど
ただ彼の戸籍謄本を提出できていないから、私の名義変更もしばらくできないのだけど

結婚指輪を失くした私×戸籍謄本取ってきてない彼、お似合いかもしれません

そんな訳で、無事夫婦になりました。








▽2023/06/08(Thu)

また、数ヶ月ぶりです
なかなかここに来れないな、仕事が忙しくて。
でもせっかくもう数年も続けているので、ここを潰したりは考えていない。
もし、まだ見てくれる人が居るのなら、たまに遊びに来てね

最後に何を書いたんだっけ、と思ったら親父が死んだことを書いたのが最後だった
もう半年経つのだね、月日が流れるのはあっという間だ

半年経って、少しは傷が癒えたかと思えば決してそうではなく、
あの頃の私は父が死んだということを認識しているようでできてなかった
と言うか、受け入れたら心が壊れてしまうと本能的に分かってたのかもしれない。
だから、あくまで理性的に、頭で認識だけしていて、受け入れてはいなかったのかもしれないと最近になって思う。
それくらい、この頃ようやく「もう二度と親父に会うことはできない」と受け入れつつあって、それがどうしようもなく寂しく感じることがある。

たまに、涙を流してしまう


そしてつい最近、親友を一人失くした。


今までの人生で最も心からぶちまけられる、心底信用していた奴だった。
素の自分で居られたし、あいつとは結構遊んだな。
旅もしたし、飲みにも行ったり、本当に楽しい時間を過ごさせてもらった。

でも最後、奴は上司にパワハラを受けて心を病んでいった。
そのせいで毎日電話で愚痴を吐かれ続けられたり、当たりが強くなったりもして
うんざりしてしまった私は、最終的に奴を見捨ててしまった。

喧嘩別れで結局彼は5月末で退職したらしい。

Twitterのアカウントも、LINEも、インスタも何もかも消えてしまった。
もう彼の生存確認をする術は無く、謝ることもできない。

今まで、最後に謝らなかったことで、せっかく大人になってから得たかけがえの無い親友を自分の意地で失ってしまったことに後悔をしていたが
最近はもう、失ったことにも慣れてあれは夢だったのではないか、と思うようになった。

大切な時間を、楽しかった思い出を「夢」として捨ててしまうのは勿体ないとも思うが、もうそう思うしかないのだ。

過去は美化される。
あの時間は鮮明に思い出せるし、美しく思い描いたとは思えないが、それでも確かに思えば後半の時間はただただ自分も辛く、ダメな方向に共依存していたこともあった。

きっと彼は新天地でも、まだパワハラや私とのことで受けた精神的な傷は癒えていないのだろう。
その状態で再会したとして、私が誠心誠意謝ってもまた同じような共倒れになってしまう。

きっと今は、会うべきではないのだろう。

縁があればまた巡り会うこともあるだろう、
それを気長に待つことにした。

今日は久々に昔住んでいた西川口に降り立ってみた。
夕暮れ時に合わせて、あの頃の街並みを歩いた。
昔住んでいたマンションを眺めたり、当時通っていた道を歩いたり。
5年振りに歩いたあの街は、何一つ変わってなかったな

コロナが落ち着いて、マスクを外して風の匂いを堪能する。
夕飯の匂い、夏の始まりの空気の匂い、誰かの家の風呂の匂い。

全てがあの頃のままで、郷愁に胸が詰まる。

あの頃使っていたスーパー、公園。
弓道場から、道着を着た人達が弓を射る。高校時代を思い出す

そして眩しいくらいの明るさを放つ、照明塔。
グラウンドを照らし、夜でもその明かりで賑わうテニスを楽しむ親子達。
子供を迎えに行く母親がちらほら、沢山の車が停まっている。

ああ、この光景、虎さんをこの人だと決めたあの日、あの葛西臨海公園で歩いたあの道の光景に似てるんだ。

そう思いながら、今まで思ったこともないことを頭に浮かべた。
「子どもが欲しいかもしれない」

最近本当に仕事に追われていて、すっかり心がすり減って、心療内科を受診しようかと思ったくらい疲れていた。

でも、この街を散歩して、正しく心が洗われた。
まだ、街を歩いて綺麗だと、まるで恋のように切なさを感じられる感受性は生きていたのだなと

そしてこの街に住んでいた時によく通っていたカフェに足を運んだ。

いつも頼んでいた定食を頼み、アイスキャラメルオレも頼んだ。
あの頃と変わらず、お父さんとお母さんが仲良く経営していた。
そして、変わらない味。
思わず泣きそうになった。

最後に紅茶のシフォンケーキを頼んで、お会計をした時、
それまで忙しくて素っ気なく感じたお母さんが「あら、さっきまで席でよく見えなかったけど、凄い美人さんなのね。また来てね」と言ってくれた。

そう、これなんだよな。
お母さんが、少しの隙間時間に話しかけてくれるこのカフェのアットホーム加減に、私は惹かれて来ていたんだった。

思わず、五年前よくここに来ていたんです、久々にこの街に降りたので、また来ようと思って……と話してしまった。

二人とも、そうなの!と喜んでくれて、「また来てね」と温かく見送ってくれた。
また来ます、と笑顔で返して、ホクホク顔で店を出る私

沢山の情緒を持ち帰り、電車に揺られて帰宅した。

また明日から仕事が始まる。
でも、いつもよりスッキリした気持ちで出勤できる。

明日もまた、頑張ろう。
また、この街に来よう。

そう思った夏が始まる少し前の、一日。







▽2023/01/05(Thu)

お久しぶりです。
年が明けたね、

1日の2時に、父が亡くなった。
そのことをmoにて連ねてみたので、良かったら読んでください。

ここに来る誰かは、きっと殆どの人が私のことを知らない
初めての人が多いと思う

そんな貴方のほんの少し、日常の片隅の隅でいいから、私の父のことを知っておいてくれたら

そこら辺に生きてる人間の、心情の欠片を
冬の冷たさに触れつつ 少しだけ私にも触れてみてください

今年も何とか生きます。
皆も一緒に生きましょう、






▽2022/09/26(Mon)

半年近く空いてしまった

時たまここのHPに今だに拍手をくれる人が居て、有難いと思う
ここを覚えてくれている人達、遊びに来てくれた人達
本当にありがとう

つらつらと書き綴っていた例の仕事の件ですが、
無事昇格もして、役職者になってしまった。
早めの昇格ということもあり、
身に余るなあとも思う

今月から初めてなる役職者として、
全然追いついていないです。
自覚だけ少し出てきたかな……というくらい。

自信も成果も出ていません。笑

虎さんこと恋人とも安定した関係が続く。
そして私は28になってしまったし、、

父親も、まだ何とか生きている。

最近は、本当に仕事でピリピリしてしまうことが多くて、
その度に友人に八つ当たりしてしまうのだけど

申し訳ないな、と思いつつ
毎日を必死に生きています。

透明感のある文章なんて、今は書ける気もしない。
けど、結局の所全ては人で、これに気づくのにどれだけの時間がかかったことだろう

それでも、やっぱり人間臭さよりも美しさを求めてしまうのはどうしてなのだろう。
何かを諦めきれていないのだと思う

感性を刺激するのは、どうしても いつだって恋人の存在で
私は一人でも美しさを追い求めることもできる

ただ、その鋭さの中に見出だせるものは長くてもまだ若いうちだけということも
分かってはいるのだけど

秋に入り、少しずつ空気が変わりつつある。

マスク生活になって3年ほど経つけれど、それでも昔に比べると
匂いに敏感になったなと思う。
これも慣れなのだろうか

シンプルでありたいと思うと同時に、
ドツボにはまるのも一瞬で、それを抜け出すたびに
少しは成長できているのかと思うけど

最近は少し、迷いと苦痛に苛まれることも多くある。

小説を書きたいと思うけど、残念ながら話も書き方も出し方も
覚えてないんだよなあ。

話すことでのアウトプットはしていたけど、文章として吐き出すのは久しぶりかもしれない。
やっぱり書くことが好きなのだと思う、

毎日PCを扱うから、こうして自分のためだけに文章を書く気力と体力が
残されているかは不明だけど、とりあえずまた書き始めてみようかしらん

読書の秋だしね(活字は全然読めてない)」

こうして書く文章が、いつか100円でもいいから誰かに売れてくれたらいいなとか、
考えてしまうのこと自体浅はかなのは知ってるし、
多分ほとんどの人が知らない、ただ年数だけが蓄積されていっているこのブログを、
たまに書くだけで十分なのも知っている。

それでもいつか、自分が感じた一瞬の煌めきなどが、
誰かに拾ってもらえないかと考えている、

まだ、諦めきれていないんだろうね。色々と

煙草を吸いながら、煙を肺に入れて


物思いに耽るのは悪くない

深夜だからこそ書ける文章を、深夜だからこそ読んでほしい
どうせ、朝になったら今の気持ちも感じ方もまた変わっているし消えてしまう。

夜だけに訪れる、一瞬の感性の鋭さを、何とか保ちつつ

今日も息をしている。








▽2022/03/21(Mon)

ただ、物思いに耽る、そんなこともある

25日まで仕事は休み。
ただただ家の中で過ごしているけれど、ずっと家の中に居ると考える時間も増えてくる、

煙草を吸いながら、同期とLINEをする。
どうでもいい会話、他愛もない話、それが救いになることもある

ずっとこんな仕事早く辞めたい、と思っていた。
去年の秋頃、親父と北海道に行った時にああもう戻りたくないな、と思っていたし、
多分今回の長期休みでまた仕事辞めたい、って思うんだろうなと思っていたけど

すっかり染ったなと思うのは、広告に流れてきたジュエリーがこれだと多分多少はつくな、と思った瞬間だった

ああ、私はもうこの仕事一年やってのけたんだ、と思ったし、この仕事続けられたんだなと思った

改めて休み明け頑張ろうと思ったけど、自分の感性も殺したくない。
そんなジレンマ。

尖った文章なんて、最近じゃ本当に時たまにしかもう書けないけど、私の人生も結構面白いことあったんだなと思う。

でもここ最近は本当に安定してる。
悪く言えば、停滞。刺激が無い

一年単位で大きなことが起こり続けてる自分にとっては、こんなに安定した一年無いなと思ったし、

ちょっとつまらなく感じている自分も居る。

ああ、私。つまらない大人になったなぁ、なんて
そもそも自分が面白いと思っていた時は、大抵狂気の沙汰で壊れていた時だ

その時に寄ってきていた男達は、皆どこか狂っていたり歪んでいたり、壊れていたし、
私は多分そういう面でしか魅力を映せていないんだなと今では思う。

普通になりたいと思っていたはずなのに、その普通になると案外つまらないもんなんだな、と思う。

でもきっと、今の私があの頃の私に戻るような体力と気力はもう、無いんだろう

歳を重ねるってこういうことなんだなぁ、とふと思う。
十代の頃の思い出が、この休みの間何度も蘇ってきて、胸が締め付けられるような

また小説なんかを書きたいな、とふと思うのです






▽2022/03/17(Thu)

ああ、
不謹慎なのは分かっているけれど。

大きな地震、皆様は大丈夫でしたか?
私は無事です。本棚が危うく倒壊しそうになって、必死に支えていたけど、とりあえず無事に居ます

久方振りにこんな大きな揺れを感じて、東北が震源地のこんな大きな地震、まるで3.11のようだ、と思った。

彼は仕事で、私は今体調不良で会社を休んでいる。
一人と一匹の家の中、揺れが落ち着いてからテレビをつけた。
どのチャンネルでも地震のニュースで、震度六強、東北はもっと強いのかと思うと心がざわつく。
そして、津波注意報が出る。
日本地図が画面に浮かび、来るかもしれない所にラインが引かれている。
3.11の時はこれがほぼ全輪郭になっていたことをふと思い出す。

そして、ふと思い出してしまった。


不謹慎なのは分かっているの。
予め謝っておきますね。


2011年、3月11日。
あの日私はまだ16歳で、三年生の先輩達の卒業式だった。

その一ヶ月前、私は処女を喪失していた。

小中とずっと一緒で、高校は違うけど電車は一緒だった幼馴染が居た。
いつからか、私は幼馴染が好きで、バレンタインを渡そうと思っていた。
けど、そのバレンタインも渡せることなく、失恋した。
そしてその当時流行っていた個人ブログで知り合った男に連絡をして、「私の処女を奪ってください」とお願いをした。

私の初体験は、制服に手錠だった。

男の人に触られるのも、大人のキスも、痛みも、終わったあとに抱かれるのも、全部初めてだった。

その後2回程会って、なかなか生理とかが重なって会えなくて、
ようやく次に会える、と思っていた矢先。

あの3.11が来た。

当時はガラケーの3Gで、安否確認を何度もあの人に送ったけれど全然返って来なくて、何度もメールの問い合わせをしたっけ

地震が起きた瞬間、帰宅部だった私はとっとと帰宅して、カバンを床に下ろしたその瞬間だった。

立てないくらいの揺れと、物が落ちる音、聞いたこともないような地鳴りのような音。
力をどう入れたらいいのか分からない足に鞭打って、私は家の玄関を蹴り飛ばす勢いで開けて、ベランダから世界が揺れているのを見た。

ようやく落ち着いた時には、電気はもう止まっていて、テレビもつかなかった。

夜になって、ロウソクに火をつけて母と祖母と三人で寒いねって話しながら、どうなってしまったんだろうか、と話した。

携帯のワンセグで辛うじて入るニュースを聴きながら、私達は今東北で何が起こってるかを知った。
それでも、こっちもいつ充電ができるか分からないから、携帯の電池は温存させて、理科で作った手作りの手巻き式ラジオを稼働させた。
まさか本当にこんな物が役に立つなんて、あの時は思ってもなかったけど。
これが本当によく役立ってくれた。
電気も着くようになっていたし、ハンドルさえ回せば電池が切れることは無かったから。

断水は数時間で解消されたけど、結局日付を跨ぐまで電気は止まってしまったままだった。

0時を超えて、突然バチンとブレーカーが上がった音がした。
いそいでコタツとテレビをつけて、私達はようやく鮮明なニュースを見ることが出来た。

そして時は同じくして、大量のメールが返ってきた。あの人からの、大丈夫、そっちは大丈夫?と言うたった一通のメールと、それ以外の人からの安否確認。
その時の私は、あの人からのメール以外どうでもよかった。
無事でよかった、ただそれだけを思っていたことを今でも覚えている。

それから、私の住む地域は計画停電とかがあって、ちょっと不便な生活を強いられた。
けど、東北の方達に比べたら随分と恵まれたもので、文句なんて言えないよな、と思いながら過ごしていた。
次に学校に登校して、帰る時に見た夕焼けの景色がやけに鮮やかだった。

3.11以降、私があの人と会うことは無かった。

気付けば夏になっていて、その時私にはこれから四年半付き合うことになる彼氏が出来た。
彼氏にはあの人の存在のことを隠したり話したり、よく分からない説明をして濁していた。

けど、丁度その時、あの人から久々に会わない?というメールが届いた。
私がそれまでずっと待ち続けていたメールで、
それまで全然送ってくれなかったくせに。

元々、好きにならないでね、と言われていたし、当時処女だったから抱かれた男を好きになる、なんていうよくある話。
一方的な片想いだと分かっていたし、都合のいい女でいいやと高校生ながらにして悟っていたから、期待なんてしていなかった。
それでも、たった二回しか会ってないのに、あの人の家の香りが染み付いた制服はしばらく洗えなかったし、あの空間は今でも鮮明に覚えている。

とあるマンションの一室、交通費を貰って、私は制服を脱がされたり脱がされなかったりして、勉強を教えて貰いながらコタツの中で始まるイタズラ。

ブレザーの上着を脱いで、セーターとシャツの中に手をくぐらせて、少しずつ触れられていくくすぐったさとか、焦れったい感じ。

必死にシャーペンを握りながら我慢して、目の前の問題を一問ずつ解いていく。
そのうち我慢できなくなって、崩れ落ちるのをあの人は楽しそうに見て笑っていた。

そんなことも、全部覚えているくらい、好きだった。


それでも、その彼氏のために、彼氏が出来たからもう会わない。連絡先も消すね、ごめん。今までありがとうと伝えて、残念だけど、頑張れ!と言われて、私の初めての人との関係は終わった。

教えてもらった音楽も、歴史も、色んな私がただ生きてるだけだったら絶対知り得なかったことも、全部あの人が教えてくれたもので、それはもうあれから12年経った今でも生きている。

10個上だったあの人は、今年もう38になるのね。

今でもどこかで元気にしているのだろうか。

本当に不謹慎だけど、3.11を思い出す度に、同時にあの頃の私とあの人を思い出してしまう。
人の歴史って何かのワンパーツで色々と蘇ってしまうから厄介だね。

そんなお話






▽2022/01/02(Sun)

明けましておめでとうございます
昨年は色んな方からメッセージ頂けて嬉しかったです、
今年も宜しくお願いいたします

去年も色々なことがあった
虎さんと何度もぶつかって、それから私は色々と見方が変わって、考え方も変わった。
今でも愛おしい存在であると、思う

それでも昔の煌めきはもう持てないと思った


けど、それでもいいんです。
生活なのだなと思うから
結局、相手がどうであれ誰であれ、私は誰とも深い共有はできなくて
できたとしても、できすぎても
それは共有から理解を求めるようになり、いずれは依存へと変わり、
また相手に求めすぎて、結局相手も自分も疲れて自分からその関係性を破壊してしまう。

それの繰り返しだと気付くのに、何年かかったのだろう

自分一人だけの生活なら、綺麗なものを追い求めて
何かしら変わっていくのだと思う

それでも、今は虎さんとの生活を自分で選んでいるのだから、
それでいいのだとも、思う。

そのことも含め、moに書きます
久々の更新、宜しければどうぞ






▽2021/12/18(Sat)

ぽつりぽつりと、何だかんだ呟いている。
よく見ていたサイトさん達は、9月以降音沙汰が無くなってしまったものが多い。
そうだよね、現実世界は忙しい。
こんなブログなんて、ただの思い出した時だけの捌け口だ、

数日、虎さんが帰って来なかったり、帰って来たけど予定よりも圧倒的に遅い(終電で帰る→1時には帰る→結局深夜2時30分頃)という事件が立て続けに起きて、
割と真面目に詰めたという。

その後14日には私の仕事終わり彼と飲みに行ったのだが、二人ともベロベロに酔っ払って、
私が面倒臭いモードを発動させて結局プラマイゼロ。

それから少し、思ったことがある。

どれだけ、何があろうとも
私はこの人から離れることはないのだろうな。

もう昔のような情景の美しさに恋をしたり、苦しさに切なさを見出したりすることは無いけれど
まるで初恋のように煌めいたものを見ることはなくなったけれど
それでも何となく、完全に家族とはまた違う、大切な人として私は彼のパートナーで在り続けるし、彼もまた同じなのだろう。
俺から別れを切り出すことは無い、と断言する彼の言葉はいつも確信めいていて、
ただの口だけでは無いのは今まででもう分かっている。

私達はお互い、何度もぶつかり合って、何度もお互いの失態や羞恥を晒して、本当にどうしようもないことは沢山あったけれど
それでも浮気をしたり、所謂クズな事は一切せずに
お互いに何となく一緒に居続けている。

その分、例えば他のカップルに比べて外食やデートなどは大分少ないけれど、
家を共にするのが当たり前、という概念は消えたことがない。

派手な喧嘩もあまり無いけれど、輝かしい今時の二十代カップルがするようなデートもない。
それでも、私達は飽きることなく一緒に居る。

彼も、私と一緒に居るのが当たり前なのだと言う。
私はそうは思ったことは無いけれど、それでも多分そうなのだと思う。

そして今日、ついに半年間待ち続けた左腕上腕に大きな梟を入れる。
彼の名前の一部が入ったものを。

自分以外の他人の名前を身体に刻むことがどういうことか、それがどんなリスクを生むのか
嫌というほど調べてきて、その上で入れるのだ。
仮に別れが来たとしても、彼と一緒に居たことは一切の後悔が無いし、
何があったとしても私は美しい人と時間を共にしたことを、生涯忘れることは無いだろう。

少なくとも燃えるような青春の一部であったことには変わりないし、時間を返せと思うことも無い。
本当に、既に二年半の今までで沢山のものを貰ってきた。
それは物理的な物ではなく、生きることに対する財産で、私は大分変わったと思う。

感謝を込めて、今日は彫ってくる。
終わったら褒めて欲しい






▽2021/12/01(Wed)

気付けば12月に入っていた

ついこの間27歳になったかと思えば、もう年が明けて少し過ぎれば28になるのか。
30が一刻と近付いている、
私はこのまま二十代を終えるのだろうか?

コロナも少しずつ収まってきている。
飲食店も少しずつまた活力を取り戻しつつある

そろそろ自分の中の基軸を固めなければならないと思う反面、そうすることで自分の柔軟性が無くなってしまったらどうしよう、とも思う
不安なのだ。何もかも

最近は関西の同期とほぼ毎日連絡を取っている。
一つ年上の男の子だが、毎日彼女との惚気を聞かされているような気がする。
それからお互いに仕事の愚痴などを話す。
最初こそ仕事の話しかしなかったのだが、今では趣味や思想の共有などもできる、非常に有難い存在だ。
キャラクターとして気持ち悪さ全開の男だが、なかなかどうして気が合うのだ。
互いに異性として認知することはなく、
ただただ何となく、何とはなしに連絡を取る。
一種の捌け口でもあり、気の置けない仲間でもあり、愛称に「兄」をつけて私は呼んでいるので、
兄のようにも思っている節もあるのかもしれない。
私は一人っ子なので、元より兄が欲しかった。

毎日くだらない話から互いの恋人の話、愚痴や相談、過去の話、趣味の話、酒の話などをする。
コミュニケーションが取れるということ、会話ができるということは、私にとっては救いだ。
会話をするということは、自分の内部を、思考を共有するということだ。
与えられることもあれば、与えることもある。
人としての成長、だなんて私のキャラではないけれど、言葉としてはそれが一番正しいものになる

言葉を交わし重ねるだけでも、誰かの肉を食らうことと同義だ。
そう考えている

だからこそ、虎さんとももっと会話がしたいのだけれど、バーテンダーという職業柄、仕事で話す分家では話すことは珍しい。
自分の会話がつまらないのも原因なのかもしれないが、それでももう少し共有ができないだろうかと思うことが多々ある。
ただでさえ、時間のすれ違いでほとんど起きている姿は見られないのに。
まるで一人暮らしをしている気分だ。
家事は二倍なのが皮肉だが

最近は仕事に楽しさを全く見出せずにいる。
そういった不満も不安も本来ならパートナーに吐き出したいものだ。
たまに言葉を投げかけたりするものの、適当な相槌で一蹴されてしまっては、話す気にもならないというものだ。

ふと、自分の人生とは何なのだろうかと振り返ってみるも、まともな人生ではなかったなと思う。
今、死んだとて後悔は残るのだろうか。

一つ思い当たる節としては、家族を遺して死ねないということくらいだ。
友人も恋人も、その場では悲しんでくれるかもしれないが、いずれは私のことなど忘れてそれぞれ幸せな道を歩んでいくのだろう。
それでいいと思う、
忘れられるのもまた致し方のないことだと

その同期を大事にしようと思ったのは、自分が工場地帯の夜景を見に行った際に、
LINEで連絡を取り合っていたのだが、何となく自分の理想の感性の共有ができた気がして、
その場の景色もとてつもなく美しかったのだが、何よりその時感じた「感覚」を自分なりに共有できたことが嬉しかったのだ。
冷たい風の中で、たった独りで眺める景色は痛々しい程に綺麗だったが、
その時の空間と匂いから冴え渡る感性の鋭利さは、誰とも分かち合えることはないと思っていた。

ただただ、その共有を 素の心で触れたものを他人に渡す時、
決して理解はされないと思っていつも渡すのだ。

だが、彼はそれをすんなりと受け入れ、そして他の要素も与えてくれた。
関西ではこういう景色が見れると、写真を送って。

それがたまらなく美しかった、という話。






▽2021/10/21(Thu)

今年の秋の逢瀬もまた随分と短いようで

冬、少し来るのが早いのでは?
真っ白い景色に今年はなるのが早そうだ、ともう厚手のコートを出して訝しむ。
そして明日で早くも今月は仕事納めだ。
23日から、長い休みが始まる

25日からしばらく家を空ける。
実家にまず帰って、26日から30日まで北海道に行く。
父親と最後の旅行になるのではないかと思う

家を空けるのが、たまらなく不安、と同時に、「寂しい」よりも家のことをただただ「案じる」自分に少し苦笑いをする。
感覚が親なのよ、、、

彼はちゃんと家のことはできるだろうか、モルモルの世話もお願いしますねと言って出ていく様は本当に昔の家の話かと思ってしまう 笑

最後共に過ごす休みの日は、密に過ごそう。






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