つり目の生活
me

▽2021/10/08(Fri)

多忙な日々が続いている、

仕事がとにもかくにも忙しく、死にかけております
最近は本当に疲れる日々が続く

虎さんとは、時間が無いながらも平穏に過ごしている。のは、つい最近のことで、
ついこの間まで少しギクシャクしていた

私達は今や生活リズムが真逆ゆえに話す時間はとても短い。
そして元々口数が多い方ではない虎さんと、なかなか踏み込んだ話ができることは少ない。

そして少し衝突をして、仲直りした今では平穏な時間が続いている

お互い今が一番仕事が忙しいのだと思う。

そして全く仕事の話をしなかった虎さんが、ようやく話してくれた詳細を聞いていなかったら。
私は恐らく別れの道を選んでいたのだろうなと思った。

彼は彼なりに仕事に疲弊している私を気遣って、あえて話をしなかったらしい。
今、どれだけ彼の会社が忙しくなっているのかということ、人事やシフトなど大変なことになっているのかということ。

何も聞かなければ、ただとんでもない出不精で、面倒くさがりで、どこにも連れて行く意思もない、ただ愛情が薄れてしまったのだろうなとしか思えなかったからだ。
また、たまに見られる明らかに面倒そうな対応だったりとか、そういった端々に、無いではあろうなと思いつつも浮気の可能性などを感じていたから。

だからこそ、しっかりと話してほしかった。

そんなすれ違いも解消し、今では平和に暮らしている。

いつか仕事が落ち着いたら。
そしてその分私達は将来も見通して、一緒の方向を向いていけたら。

旅行も行きたい気持ちはとてもあるけど、今はそれを想うだけでもいいのかもしれない。


風の匂いを早く、感じられる世の中になってほしいね






▽2021/09/13(Mon)

最近本当に忙しくて、全然こちらに来れませんでした

今も忙しいけど、弱い私が息を吐くために必要な場所はここで。
明日は一人だって言うのに、夜更かしをしている

虎さんとは相変わらず仲良くやっているけど、それでも不安になってしまう。いつか捨てられる時が来るのではないか、最近の変化は私を捨てるための変化なのではないかとか、本当に嫌なことばかり考えてしまって自己嫌悪。
彼は変わらず愛してくれているのは知っているのに、頭では分かっていても心がついて行かない

辛い。一人になることに対して、もう耐えられる気がしないから。

きっと彼はそんなことはしない、それも分かっているのに、何故不安になるのか自分でも分からない。

そしてそれを当たったところでどうにもならないことは分かっているので、彼にそれをぶつけることはしないけど
現状の気持ちを「知る」ことだけをして欲しいと思って、手紙を書く。

申し訳ない事だと思っている






▽2021/08/19(Thu)

八月ももう中旬、

今年は夏の匂いも、蝉の声もずっとずっと少なかった。
去年よりも更に少なく感じた。
でも、時間としては去年よりも多く有意義な時間を仕えていたはずなのに

焦がれるような性欲が無くなった。
恋人に対して愛が薄れたとかそういう訳ではなく、何となく私の中で潤いが枯渇してしまったような気がして

勿論、セックスはするし、今でも愛おしいことには変わりはないけれど、
それでもどこか酷く静かな自分が居る。

秋の匂いに触れられたなら、もう少し透明感は湧き出るのだろうか?

これからしばらくはちゃんとお弁当を作ろう。
そして、彼と旅行に出掛けたい

あわよくば今年の秋が良かったけれど、年を越してしまうだろうかなあ、

丁度いい季節に、夏の終わりを感じる寂寥感に憂いながら、睫毛の長い彼の横顔を温泉から見ていたい。

少しだけ良い旅館に泊まって、貸切の温泉を二人で楽しみながら。
二人で温泉はまだ入ったことがないから、
秋の夜長に湯船からお湯を溢れさせて、揺れていたい、

愛おしい恋人と、これから枯れゆく傷心に、仄かな灯りで染めてみたい。






▽2021/07/20(Tue)

今日、親父から一通の連絡があった。

「残念ながら癌でした。ステージ4、手術はもうあちこちに転移していて無理だそうだ。余命は何もしなければ半年、抗がん剤治療をすれば一年らしい」


嗚呼、やっぱり。
でもまさか末期だとは思ってなかった。
その疑いがある、と言われて、検査するギリギリまではしこりだけかも知れないし、と医者からも言われていた。

癌だったとしても、まだ初期で切除すれば助かるだろうと

そう楽観的に捉えていた私がバカだった


職場で情けなくも泣き崩れ、シフトは大幅に変えてもらった。


先輩から、「私のお母さんの友人もステージ4って言われて余命一年って言われてたけど、もう三年生きてるし大丈夫だよ」と言ってもらえて、涙を流すことで落ち着いたこともあった。

それでも吐いたし、現実を思いの外すぐに受け入れてしまったために、涙が溢れた。
容易に想像できてしまったから

残された実家の家族のことがすぐに浮かぶ。そしてその悲しみと焦燥に少し落ち着けば、次に想像されたのが親父の部屋だ。


どんなに待っても、何日待っても、もういつかは二度と主の帰ってこない部屋を思った。
それが何より一番辛いことだった
そう遠くない日に、あの仏壇に親父の遺影が並ぶ日が来るのだろうか。
だったらいっそ、写真なんて立てないでほしい

どこか仕事に行っているのだと
それかまだ病院に行ってるだけだと、そう思いたい。

私は親不孝な娘だったと思う


孫の顔も見せてやれず、仕送りもせず
ただただ迷惑をかけただけの出来損ないの娘だった

せめて、残された時間は少しでも顔を見ていたいと思う


あまりの衝撃に、忘れていた世界を見る目と感性が皮肉にも蘇ったことが苦しい。
私が失ったものが返ってきた代償はでかすぎる。
こんなもの、二度と失っても構わないから、どうかこんな別れの予告など夢であってほしい。

私の何を犠牲にしたら、親父の健康は返ってくるのだろうか


勿論、奇跡を信じたい。それでももし、本当に一年だったとしたら
まして、半年になってしまったら。
それこそ、もっと容態が急変して、もう僅かだったら

私は何をするのが正解なのだろう


今日、酷く嫌な夢を見た。
恋人といつの間にか別れていて、私は寂しさを紛らわせるために別の人と付き合うも、いざ引っ越しが決まったら、その恋人にも捨てられる夢。そして、虎さんのことは忘れていて、その場しのぎで付き合った人とも振られてから思い出す、それでもずっと虎さんへの想いだけが残っていて、本人をようやく思い出して連絡をするも、なかなか修復ができないという恐ろしい夢だった。

虎さんと一緒に眠れない、屋根が違う苦しさをまた味わうことになるとは。


もしかしたら、その別れの夢は、親父のことを示唆していたのかな、別の形で現れた予知夢だったのかなとも思う。

酷く、嫌な予感がする夢だった。
隣で眠る虎さんに安堵したほどだった

私の中である意味で親父は絶対の存在だった。
そんな親父が居なくなることが考えられない、考えたくもない。
しかし、その癌について調べれば調べるほど、ステージ4の情報は絶望的なものばかりで、望みを持っては砕かれていく。

愛の定義を見失い、砕かれて、それから存在の絶対さえ失うのか。
正気でいられる気がしない。

本人の前では、涙を見せたくはない。


だから、会いたいのに会うのが怖い

支える側が涙してしまっては、本人をますます弱気にさせるだけだ

せめて親父の前では気丈に振る舞っていたい。
母はどんな態度で接しているのだろう
祖母は?

主を無くしたあの家はどうなってしまうのだろう

親父は検査の時にはもう既に分かっていたのだろうか。
必要以上に私に自分が死んだ後の話をするのだから、考えすぎだと笑ってやっていたけど、もう気付いていたのだろうか。

どんな顔をして会えばいい

何を話せばいいのだろう


せめて、休みの日は少しでも実家に帰って顔を見せてやりたい。
近いうちに、虎さんも連れて








▽2021/06/11(Fri)

静かに、凪いでいる。

ような、気がするのは、気がするだけなのだろうか。
どんどん精神的に摩耗する、特別忙しい訳でもなく、特に辛いことがあった訳でもない。
けれど、何故かどんどん己がすり減っていくような気がして。
たまに、疲れた、とこぼすことがある

何かしらのアレルギーのように、社会への鬱憤が溜まる
それは、誰かに認められたいだとか、そういうのも超えて、ただただ静かに在りたいというような

自然が足りない。
湖ではなく、やはり川が見たい。

土手道を歩くような


自然に触れなさすぎて、私が死んでいく。
やはり田舎暮らしが上京した所で、英気を養う場所は違っているのか?

恋人は神奈川出身で、私も一応は新宿生まれだが、育ちは田舎だったので、恋人は特に自然には何も思わないのかも知れない。
私は空気も何もかも自然に囲まれて育った分、今が少し辛い

都会に住んでいる今、たまに仕事帰りいつもの駅で散歩を1時間半ほど。
そうでもしないと、毒気が抜けていかない

柔らかな、それでいて鋭い瑞々しい感性など死んでしまった。
誰か私に透明感をください、






▽2021/05/14(Fri)

人の肉、について
皆さんどう思うだろうか

私は素直に美味しそうだと思う。
性的欲求のようなものもあるけど、物理的に美味しそうだと思う。
寝ている恋人の首筋は、ひどく美味しそうで、メスを入れたいと思うことがある。
ほんの一部、肉を切り取って喰んでみたいと

思えば、幼少期の頃、母親の二の腕を美味しそうだと思っていた。それは空腹時であれば涎を垂らしてしまうくらいものもので、母にはよく「死んだら肉をくわせてくれ」とお願いをしては気味悪がられたのを覚えている。
「やめてよ、もう」と笑いながら言う母親に、本気なんだけどなあ、と今でも思う。
思えば、あの頃から既に人間を「肉」として認識していたからこそ、殺人がいけない理由を道徳的観念から理解ができなかったのではないだろうかと思う。

後から分かったことであるが、もし、人肉を食べたとして、筋肉の部分は不味いらしいという情報を得た。
しかし、その情報を得る前から、本能的に筋肉の部分は不味いのだろうな、と感じていた。
私がいつだって美味しそうだと思うのは、脂肪の部分の柔らかいところ。
でも何故か、腹の肉は美味しそうだと思わなかったし、太っている人間は美味しそうだと思わなかった。
かといって、痩せている人間には興味がなく、中肉中背の、使わなくなった筋肉が脂肪へと変化したその丁度いい柔らかそうな四肢の部分や、首筋などにひどく食欲をそそられる。
腹部に興味がなかったのは、自然と内臓部分に近いから臭味があるのではないかということを、自然と感じ取っていたからだろう。
そういった意味では、私には天賦の才能があったのではないかと思える。

人身事故を目の当たりにしたことがある。


砕け散った人体というのは、凄惨なものだ。
だけど、それ以上に視覚からの情報よりも匂いのほうが凄まじかった。
得も言えぬ生臭さといったら言葉にし難く、ただただ絶句するようなものであった。
しかし、たまたま散った腕の肉からは、さほど匂いはしなかったように思えるし、気のせいかもしれない。
それでも、血の匂いはとても濃く、そして私はショックを受けたというよりは、「やはり人間も肉なのだ」という自分の認識が合っていたことに安堵していた。
その日は曇りで、私は学生だった。
鉄の塊が人肉を砕く、ぶつかる時の衝撃音は、今でも耳に残っている。
バン!という単純な音ではなく、バゴン、と一瞬静寂さえも感じられるような、鈍く低い音だった。
あ、と思った時には、その人はもう既に人でなく、ただの人の形をした肉の塊だと思った。
「人」から「肉」へ変わりゆくのは一瞬なのだと思った。
ならば、人が人たらしめているものは何だろうか?

衝撃的なものを見たり、感じたりする時、どうしてスローモーションのように感じるのだろう。
そしてその瞬間を脳が認識に追いついた瞬間に、現実の速さに戻る。


恋人の顔はとてもとても美しいのだ。
それはもうこのブログを立ち上げて何度も書き続けているが、この人も死んだらただの肉の塊になってしまうのだろうか。
それとも、作品として静かにそこに在るのだろうか。
もしも私よりも先に死んでしまったら、死に化粧は私が施したい。

最後のキスを、静かに落として、肉の一部を食したい。
余計な加工はしたくない。
恋人の肉に限っては、焼くのも煮込むのもだめだ。
生で血も一緒に啜らないと気が済まない。
死んだらどうでもいい、と以前の恋人の言葉を信じて、亡骸は是非丁重に私の好き勝手に触れさせて欲しい。
骨までも全て私の管理下に置いておきたい。

死は文学であり美学でもあると思う。
哲学とはまた違う所に、私の中では居るのだ。
文学の中の美しさ、とも言うべきかもしれない。

恋人の首筋に、ひどく欲情して、そして食欲をそそられる。
そんな、お話。







▽2021/05/14(Fri)

お久しぶりです、

初夏の匂いがするようになった最近。仄かに頬を撫でる生温い風。家の窓を開けて、風の匂いを嗅ぐ。最早、何気なく感じられる世界は無くなってしまったね

最近、週一で隣町の公園周りを歩く。公園とは言っても、健全な公園なんかではなく、場所の名前を言えば誰もが知る池ありの広い広い公園だ。
店で酒が提供できなくなった現代、行き場を無くした大人達が缶チューハイを何缶も持ち込んで路上飲酒する。
マスクを着けずにランニングする人も居れば、もうマスクをずり下げて酒を飲む人達、ベンチには沢山のカップル、自粛って何?というような俗っぽさが、今の私には残念ながらたまらなく安心する。

会社の先輩と、ひょんなことから旅行の話になった。おすすめを教えてもらい、墨が入った私達でも入れるような温泉などを教えてもらうと、それはやっぱり箱根などにあるという

旅館や温泉などの画像を調べて、二人して「行きてえ〜〜〜」と絶叫する。勿論、私は恋人と、先輩は未来の彼女とだ

良くも悪くも、他人に期待をしなくなった。そして自分に対しても


会社の人間として、色々新人にはこう言わなきやいけない、がある。そしてちらと素の部分が見えれば、それは全て建前であるということが分かる
垣間見えるその人のサガを覗いては、こういう人でもこうなのだと自分が生きていい理由を見つける。

そして私は自分に期待をしすぎていたのかも知れないと思う。

仕事はできるに越したことはないし、やる気はないわけではないから、自分のためにも仕事には精を出すけれど、昔みたいに「こうあるべき」という強迫観念みたいなものがなくなって、今は怒られても失敗しても、前ほど精神的ダメージを受けることは無くなった。

妥協ともまた違う、何かの縛りが無くなったように思う

自分語りはこれまでにして、今日は2つ以上投稿できるといい。
次に書く文は、ただただ綺麗なものであるように







▽2021/04/19(Mon)

moの方にも書きましたが、先日ついにタトゥーを入れまして、私もついに温泉に入れない身体になりました

可愛いだけで入れる訳じゃない、タトゥーは人生における覚悟のものだ。少なくとも、私にとっては

高いお金を払って、痛みを伴い、この日本で生きていくにはあまりにも不利な人生を自ら選び、歩むことになる。

私の実家、家族は週に一度、金曜日にいつも皆で近くの温泉に行っていた。
それは今でも変わらず、私が帰省する度に曜日は違っても皆でいつもの決まった温泉に行く。

それがもう、できない。

皆で温泉に行くことは、家族のコミュニケーションツールでもあった。

元々、親や祖母の背中を流してあげるなんてことは無かったけど、その機会は確実に失われた。
なぜなら、我が家は旅館や個室風呂に行くことはないからだ。

お金を沢山稼げるようになったら、それも可能性としてあるかもしれないけど、まず遠出が厳しい。
母親は実家の車以外乗れないし、乗れてもあまりの遠出はできない。
公共の乗り物は一切乗れず、外食もできない。
そういう精神疾患を持っている

祖母も、遠出は身体に負担がかかるため、もう出来ないと思う。
だから、仮に私がお金を使った親孝行をしようと思っても、それらの条件を満たしてあげられることははい

だから、近場の温泉に行くのが唯一の家族の行事みたいなものだった。

それすらも捨てて、自らMRIや保険に入れないリスクを負い、まして公務員には一生この先なれない(なるつもりは毛頭ないけど)ような、自分からとんでもないリスクを背負いたかったのには、理由がある。

親は正常ではないが、倫理観は正常だと思う。

人を傷付けてはいけません、挨拶はしっかりしなさい、世の中の悪には怒りを持ち、正義感が強く、そしてお人好しなくらい優しい。
私も小さい頃から、親からの教育はそういった「至極真っ当なもの」を受けてきた。

いつからだろうか、いつからその道から外れたのか

気質が、両親どちらのものでもないものを持って生まれたとしか言いようがないほど、私は性格は両親には似なかった。

勿論、自分のことをサイコパスのような倫理観が明らかにおかしい人間だとまでは思わないし、人並みに良心は持ち合わせているつもりだ。

だけど、思えば幼少期の頃から、ニュースで事件が起こる度に「○○さんが刺され、死亡しました」という報道が流れる度に、何故か少しだけ高揚する自分が居た。

逆に、「一命を取り留め」という言葉を聞くと、ほんの少しガッカリする自分が居たことを覚えている。
今はそんなことは無いのだが、何も知らない子供の頃の考えだからこそ、異常だと思うのだ。

本来、親からの教育方針を考えれば、助かって良かったと安堵するのが普通なはず。
でも、自分は親からの教育をきちんと受けていたにも関わらず、自然とそう思っていたことがもう異常だったのかもしれない。

幼稚園児の頃、飼っていたインコを壁に投げつけて殺してしまったことがある

母親を取られたくない、その一心で。

幼稚園の頃、私は母と二人暮しで、父親とは別居生活を送っていた。
母は潔癖症で、私と一緒にベッドで寝てくれることをしなかった。
私がどれだけ寂しさで泣き叫んでも、絶対に寝てくれることは無かった。
そしてたまに父親の元に行く私に対してもヒステリーを起こし、面倒なことになったりもした

歪んだかも知れない思い当たる節としては、そこくらいなものかもしれない。
父親は英才教育をしようと、幼稚園児の私に毎週末会うと同時に小学校3年生がやる問題集を課題として課してきた。
やらないと怒り、間違っていても怒っていた。
結果として、私は別に秀才でもなんでもなく、ほんの少しだけ周りよりは頭がいい程度のものにしかならなかった。
苦痛だと思っていることに関しては、一切頭に入れることを許さなかったからだと思う

まぁ、幼少期の話は話すと長くなるので置いておく。

だが、どこか歪んだ家庭環境の中育ち、それでも倫理観は真っ当な教育を受け、決して弱音を吐くことを許されない環境下で、私自身もいつ歪んだのか分からない。
いくつかの命を大なり小なり奪っては、奪う度に背筋に嫌な汗をかくような、心臓をジワジワと握り潰されるかのような、正しく「肝が冷える」感覚を味わう。
味わう度に自分自身、自己嫌悪に陥る理由は、殺したことに対する罪悪感ではなく、「親か先生に怒られる」というあくまで自己中心的な考えしか浮かばず、あれだけ親から、そして学校からも道徳やら倫理やらを学んだ癖に、自分には何一つその教育が行き届いていなかったことであった。

今だに、もし私が誰かを殺めてしまったとしても、あの感覚が来ると同時に咄嗟に思うのは「捕まったらどうしよう」という気持ちしかないのだということは容易に想像がつく。

26年間、夢の中でさえ一度も殺したことに対する罪悪感は無かった。
ただただ、自分が誰かに怒られる、責められる、捕まるなどそういったことだけ。

これは厨二病的なあれでも何でもなく、明らかに欠損している自分の倫理観を嘆いているだけだ。
否、嘆くことすらできていない、事実を述べているだけだ。

だから、私は多くの人達から感情を学んで、自分には一生身につかないであろうその部分を、どうにか持ち合わせている「フリ」ができるように努めた。

誰かが傷ついていたら、同情するフリができるように。
ニュースで誰かが事件に巻き込まれて、「死亡」という文字が出てきたら、胸が痛むようなフリができるように。

私はよく人から「優しい」と言われる。
でもそれは決してそうではなく、そうした方が都合がいいからそういう風に見えるように計算して動いているだけで、根っからどうでもいいことばかりで、常に誰かの支えになっている自分を評価してくれる目上の「誰か」にどう映るかを意識して動いてきただけの結果であって、私は決して「優しい」訳では無い。

別に咎めないから、寧ろお金をやるから殺せと言われれば簡単に殺してしまう



そのまま、26年間生きてきた。


夫を捨てることにも、何ら罪悪感は無かった。
罪悪感よりも、訴えられたり自殺されたりして、その原因が私にあることが分かった時に、遺族から恨まれるのが嫌だっただけだ。
訴訟になるかも知れないのが嫌だっただけだ。

虎さんは非常に愛情深い人だ。
彼の家庭環境も決して良いとは言えないが、それでもきちんと育った良い子だと思う。
一人でちゃんと学んできたのだと思うし、与える愛情というのは非常に深く、今まで出逢ってきた人間の中で一番真っ当で、愛情深い人だと思う。
でも彼は、私以外の人や物に関しては執着は薄く、とてもあっさりと見限ることもする。
然しながら、私に対してだけは異常なまでの執着心を見せる。

そんな愛情深い人間と一緒に居たら、私も少しはまともになるかもしれないと思ったが、結局変わることは無かった。

夜から昼に変わっても、「普通」の社会に生きてみても、結局私の倫理が戻ってくることは無い。

タトゥーを彫る日の前日、夢の中に元夫が出てきた。
私を求めて、襲いかかってくる夫を突き飛ばし、その瞬間元夫は転倒し頭を柱にぶつけて意識が朦朧としているようだった。
それでも泣きながら私を求めてくる。
俺が悪かった、犬も全部捨てるから俺の所に戻ってきてくれと弱々しく訴えかけてくる。

普通なら、ここで多少なりとも胸が痛むのだろう。


私はそのまま、元夫の髪を掴んで、壁に何度も打ち付けた。
死んだかどうかは分からなかった。
ただ、不快感を拭いたいだけで、なぜ自分がそこまでするのか分からなかったが、兎にも角にも目障りだったのだろう。

気持ちが悪い。

それだけだった。


大量に出血して、ピクリとも動かない、まるで置物のようにゴロリと転がった元夫の姿を見て、初めて「殺したかも知れない」という事実に戦慄した。

だが、それでも感じたのは罪悪感などではなく、捕まったらどうしよう、ということだけだった。

彫る前日になんという夢を見たのだろう、とも思ったが、それもタトゥーを彫る理由にもなった。

結局私は、どう足掻いても、どれだけ健全な昼職の大手企業に勤める社員になろうとも、どれだけペットを愛し恋人を愛し、日光の下で優雅に散歩をしようとも、自分の本質は黒い夜側であることには変わりがないんだということを、認めざるを得なかった。

夜に憧れているだけの昼側だったら良かった。
本質さえ真っ当なら、憧れる時期が過ぎれば、歳を重ねればいつかはその真っ当さが正しいことであり、正常であることの幸せを感じられる日が必ず来る。
私だって本当は、本物の優しさで人に触れられるような、死ぬ頃には沢山の家族に見舞われて、本当に良い人だったと慕われて死ねるような、胸を張って天国に行けるような側の人間でありたかった。

自分のドス黒さと歪んでいる部分は、矯正は不可能だ。
訓練を積んで、一時は洗脳に近いものであったり、マインドコントロールでどうにかなるものもあるかもしれない。
けど本質は変わらない。

だったら、もう夜は夜だと受け入れて、その覚悟を持って自分として生きることを誓うために彫った、というのが大きい理由だ。
もう一つの理由は、moの方に書いてあるのでそちらも是非読んでみてください。
上記のものとはまた別の理由ですゆえ、

足掻いて、上を見て、乞うものが温かく柔らかい陽射しだったら良かったのにと心底思う。

嫌われ者のまま、生きていくしかないのだと思うととても辛い。哀しい

だからこそ、一人でも生きていけるように、私は仕事人間であり続けるし、趣味も貫くし、男に寄生したりなんかしない。
恋人が私を捨てない限り、私はずっと彼を愛し続けるし、ずっと傍に居るけど、それでも怖いと思うのは

自分の中身の醜さを自覚しているからだ。

陽だまりの人間で居たかった。
大人になれば自然と治っていくものだと思っていたのに

恋人に、「私はその気持ちは理解できない」とよく言うことが多いのは、これらが理由でもある

考えて分かるものなら、まだ正常なんだろう。
考えても元々その倫理観を持ち合わせていない私からしたら、全く「理解できない」ものなのだ。
だから、その都度恋人に教えて貰っては「いけないこと」というまるで歴史でも学ぶように、その概念を「理解」するのではなく「記憶」することしかできない。
「これをしたら怒られるからやらない」だけで、「こうしたらこんな気持ちになるだろうから、相手の気持ちを汲んでしない」ということではない。

だから一つ一つ学んでいくしかない。
記憶していくしかない。

最近ではようやく、行き着く気持ちのパターンが分かってきたので、先回りしてこれは恐らくやったら怒られるだろうな、という予測が立てられるようになったが、それでも何故これをされたら嫌なのか、という気持ちまでは理解が及ぶことは無い。

本当に、何も知らない、考えない状態だと、二人で飼ったペットなのに、彼が可愛がっていることに対して嫉妬して、私はモルを殺しかねない。
ただ、それをしたら間違いなく怒られる、というか多分別れられるからしないというようなイメージを持っていただけると分かってもらいやすいかも知れない。
そして決してそれに対して私は「我慢」をしている訳では無い。
殺したいとも思わないし、勿論可愛い大事な家族だ。

それでも、動物に関しては、昔大量に飼っていて、何匹も死に際を見てきているからか、余計悲しさという感情が麻痺をしてしまっている。
だから、私は元旦那の犬が嫌いで嫌いで、普通に恐らくあれは虐待だというような行為も平気でしていたし、何も思わなかった。
死んだら良かったのに、とさえ思っていた時期もあるくらいだ。

それを少しでも矯正したいから、色々と頭を使うようにはしていたけど、結局本質は変わることは無い。

それを受け入れるために、タトゥーを入れた。


(勿論、虎さんのこともモルモットのことも大切な家族だと思っているので私はこの人達を傷付けることはしない)

欠損している部分があっても、それでも何とか生きていく、私は私として誰かを傷付けないように、一生懸命考えて生きていくという覚悟。

一つずつ学んでいくしかないという、自分への諦観と絶望と今の私の家族に対する愛を絶対のものとする覚悟。

それらを込めて、彫ったものであり、これから彫るものもそれに付随する。


何かが足りていませんが、これからもどうぞ宜しく







▽2021/04/12(Mon)

この間の休みの日、ふと絵を描いてみたら昔より感覚が掴めていて、上手く描けるようになっていた。
いつの間にか、狂っていたはずのデッサンはできるようになっていたし、線画も思ったより綺麗に描けるようになっていた。一度成功を認識すると継続したくなるのが人というものらしく、今は私は創作がしたいと思っている。もしかしたら何か、動き出しているのかもしれないこのこれからを、私は運命のままに従って生きつつ、自分の力と魅力を発揮しようと思ってやまない。今もほら、この文章は何も考えずに勝手に手が打った言葉で、その割にリズミカルにできている。そうなのだ、私は慎重に何かを進めるより、突発的に衝動的に動いた方が成功する。いつだってそうだ、

だから、これから先は感覚を信じようと思う。今日も仕事で失敗したけど、諦めていない限り、楽しめている限り、そして自分に余裕がある限り、大丈夫。凪いでいられる

近々、報告できることもあると思うので、もう少し此処を覗いてくれると嬉しいな、

星が見えない夜だけど、星屑の煌めきは静かに息を履いている。






▽2021/04/10(Sat)

一度吐いた情欲は、止め難い。
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