つり目の生活
me

▽2021/04/19(Mon)

moの方にも書きましたが、先日ついにタトゥーを入れまして、私もついに温泉に入れない身体になりました

可愛いだけで入れる訳じゃない、タトゥーは人生における覚悟のものだ。少なくとも、私にとっては

高いお金を払って、痛みを伴い、この日本で生きていくにはあまりにも不利な人生を自ら選び、歩むことになる。

私の実家、家族は週に一度、金曜日にいつも皆で近くの温泉に行っていた。
それは今でも変わらず、私が帰省する度に曜日は違っても皆でいつもの決まった温泉に行く。

それがもう、できない。

皆で温泉に行くことは、家族のコミュニケーションツールでもあった。

元々、親や祖母の背中を流してあげるなんてことは無かったけど、その機会は確実に失われた。
なぜなら、我が家は旅館や個室風呂に行くことはないからだ。

お金を沢山稼げるようになったら、それも可能性としてあるかもしれないけど、まず遠出が厳しい。
母親は実家の車以外乗れないし、乗れてもあまりの遠出はできない。
公共の乗り物は一切乗れず、外食もできない。
そういう精神疾患を持っている

祖母も、遠出は身体に負担がかかるため、もう出来ないと思う。
だから、仮に私がお金を使った親孝行をしようと思っても、それらの条件を満たしてあげられることははい

だから、近場の温泉に行くのが唯一の家族の行事みたいなものだった。

それすらも捨てて、自らMRIや保険に入れないリスクを負い、まして公務員には一生この先なれない(なるつもりは毛頭ないけど)ような、自分からとんでもないリスクを背負いたかったのには、理由がある。

親は正常ではないが、倫理観は正常だと思う。

人を傷付けてはいけません、挨拶はしっかりしなさい、世の中の悪には怒りを持ち、正義感が強く、そしてお人好しなくらい優しい。
私も小さい頃から、親からの教育はそういった「至極真っ当なもの」を受けてきた。

いつからだろうか、いつからその道から外れたのか

気質が、両親どちらのものでもないものを持って生まれたとしか言いようがないほど、私は性格は両親には似なかった。

勿論、自分のことをサイコパスのような倫理観が明らかにおかしい人間だとまでは思わないし、人並みに良心は持ち合わせているつもりだ。

だけど、思えば幼少期の頃から、ニュースで事件が起こる度に「○○さんが刺され、死亡しました」という報道が流れる度に、何故か少しだけ高揚する自分が居た。

逆に、「一命を取り留め」という言葉を聞くと、ほんの少しガッカリする自分が居たことを覚えている。
今はそんなことは無いのだが、何も知らない子供の頃の考えだからこそ、異常だと思うのだ。

本来、親からの教育方針を考えれば、助かって良かったと安堵するのが普通なはず。
でも、自分は親からの教育をきちんと受けていたにも関わらず、自然とそう思っていたことがもう異常だったのかもしれない。

幼稚園児の頃、飼っていたインコを壁に投げつけて殺してしまったことがある

母親を取られたくない、その一心で。

幼稚園の頃、私は母と二人暮しで、父親とは別居生活を送っていた。
母は潔癖症で、私と一緒にベッドで寝てくれることをしなかった。
私がどれだけ寂しさで泣き叫んでも、絶対に寝てくれることは無かった。
そしてたまに父親の元に行く私に対してもヒステリーを起こし、面倒なことになったりもした

歪んだかも知れない思い当たる節としては、そこくらいなものかもしれない。
父親は英才教育をしようと、幼稚園児の私に毎週末会うと同時に小学校3年生がやる問題集を課題として課してきた。
やらないと怒り、間違っていても怒っていた。
結果として、私は別に秀才でもなんでもなく、ほんの少しだけ周りよりは頭がいい程度のものにしかならなかった。
苦痛だと思っていることに関しては、一切頭に入れることを許さなかったからだと思う

まぁ、幼少期の話は話すと長くなるので置いておく。

だが、どこか歪んだ家庭環境の中育ち、それでも倫理観は真っ当な教育を受け、決して弱音を吐くことを許されない環境下で、私自身もいつ歪んだのか分からない。
いくつかの命を大なり小なり奪っては、奪う度に背筋に嫌な汗をかくような、心臓をジワジワと握り潰されるかのような、正しく「肝が冷える」感覚を味わう。
味わう度に自分自身、自己嫌悪に陥る理由は、殺したことに対する罪悪感ではなく、「親か先生に怒られる」というあくまで自己中心的な考えしか浮かばず、あれだけ親から、そして学校からも道徳やら倫理やらを学んだ癖に、自分には何一つその教育が行き届いていなかったことであった。

今だに、もし私が誰かを殺めてしまったとしても、あの感覚が来ると同時に咄嗟に思うのは「捕まったらどうしよう」という気持ちしかないのだということは容易に想像がつく。

26年間、夢の中でさえ一度も殺したことに対する罪悪感は無かった。
ただただ、自分が誰かに怒られる、責められる、捕まるなどそういったことだけ。

これは厨二病的なあれでも何でもなく、明らかに欠損している自分の倫理観を嘆いているだけだ。
否、嘆くことすらできていない、事実を述べているだけだ。

だから、私は多くの人達から感情を学んで、自分には一生身につかないであろうその部分を、どうにか持ち合わせている「フリ」ができるように努めた。

誰かが傷ついていたら、同情するフリができるように。
ニュースで誰かが事件に巻き込まれて、「死亡」という文字が出てきたら、胸が痛むようなフリができるように。

私はよく人から「優しい」と言われる。
でもそれは決してそうではなく、そうした方が都合がいいからそういう風に見えるように計算して動いているだけで、根っからどうでもいいことばかりで、常に誰かの支えになっている自分を評価してくれる目上の「誰か」にどう映るかを意識して動いてきただけの結果であって、私は決して「優しい」訳では無い。

別に咎めないから、寧ろお金をやるから殺せと言われれば簡単に殺してしまう



そのまま、26年間生きてきた。


夫を捨てることにも、何ら罪悪感は無かった。
罪悪感よりも、訴えられたり自殺されたりして、その原因が私にあることが分かった時に、遺族から恨まれるのが嫌だっただけだ。
訴訟になるかも知れないのが嫌だっただけだ。

虎さんは非常に愛情深い人だ。
彼の家庭環境も決して良いとは言えないが、それでもきちんと育った良い子だと思う。
一人でちゃんと学んできたのだと思うし、与える愛情というのは非常に深く、今まで出逢ってきた人間の中で一番真っ当で、愛情深い人だと思う。
でも彼は、私以外の人や物に関しては執着は薄く、とてもあっさりと見限ることもする。
然しながら、私に対してだけは異常なまでの執着心を見せる。

そんな愛情深い人間と一緒に居たら、私も少しはまともになるかもしれないと思ったが、結局変わることは無かった。

夜から昼に変わっても、「普通」の社会に生きてみても、結局私の倫理が戻ってくることは無い。

タトゥーを彫る日の前日、夢の中に元夫が出てきた。
私を求めて、襲いかかってくる夫を突き飛ばし、その瞬間元夫は転倒し頭を柱にぶつけて意識が朦朧としているようだった。
それでも泣きながら私を求めてくる。
俺が悪かった、犬も全部捨てるから俺の所に戻ってきてくれと弱々しく訴えかけてくる。

普通なら、ここで多少なりとも胸が痛むのだろう。


私はそのまま、元夫の髪を掴んで、壁に何度も打ち付けた。
死んだかどうかは分からなかった。
ただ、不快感を拭いたいだけで、なぜ自分がそこまでするのか分からなかったが、兎にも角にも目障りだったのだろう。

気持ちが悪い。

それだけだった。


大量に出血して、ピクリとも動かない、まるで置物のようにゴロリと転がった元夫の姿を見て、初めて「殺したかも知れない」という事実に戦慄した。

だが、それでも感じたのは罪悪感などではなく、捕まったらどうしよう、ということだけだった。

彫る前日になんという夢を見たのだろう、とも思ったが、それもタトゥーを彫る理由にもなった。

結局私は、どう足掻いても、どれだけ健全な昼職の大手企業に勤める社員になろうとも、どれだけペットを愛し恋人を愛し、日光の下で優雅に散歩をしようとも、自分の本質は黒い夜側であることには変わりがないんだということを、認めざるを得なかった。

夜に憧れているだけの昼側だったら良かった。
本質さえ真っ当なら、憧れる時期が過ぎれば、歳を重ねればいつかはその真っ当さが正しいことであり、正常であることの幸せを感じられる日が必ず来る。
私だって本当は、本物の優しさで人に触れられるような、死ぬ頃には沢山の家族に見舞われて、本当に良い人だったと慕われて死ねるような、胸を張って天国に行けるような側の人間でありたかった。

自分のドス黒さと歪んでいる部分は、矯正は不可能だ。
訓練を積んで、一時は洗脳に近いものであったり、マインドコントロールでどうにかなるものもあるかもしれない。
けど本質は変わらない。

だったら、もう夜は夜だと受け入れて、その覚悟を持って自分として生きることを誓うために彫った、というのが大きい理由だ。
もう一つの理由は、moの方に書いてあるのでそちらも是非読んでみてください。
上記のものとはまた別の理由ですゆえ、

足掻いて、上を見て、乞うものが温かく柔らかい陽射しだったら良かったのにと心底思う。

嫌われ者のまま、生きていくしかないのだと思うととても辛い。哀しい

だからこそ、一人でも生きていけるように、私は仕事人間であり続けるし、趣味も貫くし、男に寄生したりなんかしない。
恋人が私を捨てない限り、私はずっと彼を愛し続けるし、ずっと傍に居るけど、それでも怖いと思うのは

自分の中身の醜さを自覚しているからだ。

陽だまりの人間で居たかった。
大人になれば自然と治っていくものだと思っていたのに

恋人に、「私はその気持ちは理解できない」とよく言うことが多いのは、これらが理由でもある

考えて分かるものなら、まだ正常なんだろう。
考えても元々その倫理観を持ち合わせていない私からしたら、全く「理解できない」ものなのだ。
だから、その都度恋人に教えて貰っては「いけないこと」というまるで歴史でも学ぶように、その概念を「理解」するのではなく「記憶」することしかできない。
「これをしたら怒られるからやらない」だけで、「こうしたらこんな気持ちになるだろうから、相手の気持ちを汲んでしない」ということではない。

だから一つ一つ学んでいくしかない。
記憶していくしかない。

最近ではようやく、行き着く気持ちのパターンが分かってきたので、先回りしてこれは恐らくやったら怒られるだろうな、という予測が立てられるようになったが、それでも何故これをされたら嫌なのか、という気持ちまでは理解が及ぶことは無い。

本当に、何も知らない、考えない状態だと、二人で飼ったペットなのに、彼が可愛がっていることに対して嫉妬して、私はモルを殺しかねない。
ただ、それをしたら間違いなく怒られる、というか多分別れられるからしないというようなイメージを持っていただけると分かってもらいやすいかも知れない。
そして決してそれに対して私は「我慢」をしている訳では無い。
殺したいとも思わないし、勿論可愛い大事な家族だ。

それでも、動物に関しては、昔大量に飼っていて、何匹も死に際を見てきているからか、余計悲しさという感情が麻痺をしてしまっている。
だから、私は元旦那の犬が嫌いで嫌いで、普通に恐らくあれは虐待だというような行為も平気でしていたし、何も思わなかった。
死んだら良かったのに、とさえ思っていた時期もあるくらいだ。

それを少しでも矯正したいから、色々と頭を使うようにはしていたけど、結局本質は変わることは無い。

それを受け入れるために、タトゥーを入れた。


(勿論、虎さんのこともモルモットのことも大切な家族だと思っているので私はこの人達を傷付けることはしない)

欠損している部分があっても、それでも何とか生きていく、私は私として誰かを傷付けないように、一生懸命考えて生きていくという覚悟。

一つずつ学んでいくしかないという、自分への諦観と絶望と今の私の家族に対する愛を絶対のものとする覚悟。

それらを込めて、彫ったものであり、これから彫るものもそれに付随する。


何かが足りていませんが、これからもどうぞ宜しく







prevnext