つり目の生活me
▽2021/12/01(Wed)
気付けば12月に入っていた
ついこの間27歳になったかと思えば、もう年が明けて少し過ぎれば28になるのか。
30が一刻と近付いている、
私はこのまま二十代を終えるのだろうか?
コロナも少しずつ収まってきている。
飲食店も少しずつまた活力を取り戻しつつある
そろそろ自分の中の基軸を固めなければならないと思う反面、そうすることで自分の柔軟性が無くなってしまったらどうしよう、とも思う
不安なのだ。何もかも
最近は関西の同期とほぼ毎日連絡を取っている。
一つ年上の男の子だが、毎日彼女との惚気を聞かされているような気がする。
それからお互いに仕事の愚痴などを話す。
最初こそ仕事の話しかしなかったのだが、今では趣味や思想の共有などもできる、非常に有難い存在だ。
キャラクターとして気持ち悪さ全開の男だが、なかなかどうして気が合うのだ。
互いに異性として認知することはなく、
ただただ何となく、何とはなしに連絡を取る。
一種の捌け口でもあり、気の置けない仲間でもあり、愛称に「兄」をつけて私は呼んでいるので、
兄のようにも思っている節もあるのかもしれない。
私は一人っ子なので、元より兄が欲しかった。
毎日くだらない話から互いの恋人の話、愚痴や相談、過去の話、趣味の話、酒の話などをする。
コミュニケーションが取れるということ、会話ができるということは、私にとっては救いだ。
会話をするということは、自分の内部を、思考を共有するということだ。
与えられることもあれば、与えることもある。
人としての成長、だなんて私のキャラではないけれど、言葉としてはそれが一番正しいものになる
言葉を交わし重ねるだけでも、誰かの肉を食らうことと同義だ。
そう考えている
だからこそ、虎さんとももっと会話がしたいのだけれど、バーテンダーという職業柄、仕事で話す分家では話すことは珍しい。
自分の会話がつまらないのも原因なのかもしれないが、それでももう少し共有ができないだろうかと思うことが多々ある。
ただでさえ、時間のすれ違いでほとんど起きている姿は見られないのに。
まるで一人暮らしをしている気分だ。
家事は二倍なのが皮肉だが
最近は仕事に楽しさを全く見出せずにいる。
そういった不満も不安も本来ならパートナーに吐き出したいものだ。
たまに言葉を投げかけたりするものの、適当な相槌で一蹴されてしまっては、話す気にもならないというものだ。
ふと、自分の人生とは何なのだろうかと振り返ってみるも、まともな人生ではなかったなと思う。
今、死んだとて後悔は残るのだろうか。
一つ思い当たる節としては、家族を遺して死ねないということくらいだ。
友人も恋人も、その場では悲しんでくれるかもしれないが、いずれは私のことなど忘れてそれぞれ幸せな道を歩んでいくのだろう。
それでいいと思う、
忘れられるのもまた致し方のないことだと
その同期を大事にしようと思ったのは、自分が工場地帯の夜景を見に行った際に、
LINEで連絡を取り合っていたのだが、何となく自分の理想の感性の共有ができた気がして、
その場の景色もとてつもなく美しかったのだが、何よりその時感じた「感覚」を自分なりに共有できたことが嬉しかったのだ。
冷たい風の中で、たった独りで眺める景色は痛々しい程に綺麗だったが、
その時の空間と匂いから冴え渡る感性の鋭利さは、誰とも分かち合えることはないと思っていた。
ただただ、その共有を 素の心で触れたものを他人に渡す時、
決して理解はされないと思っていつも渡すのだ。
だが、彼はそれをすんなりと受け入れ、そして他の要素も与えてくれた。
関西ではこういう景色が見れると、写真を送って。
それがたまらなく美しかった、という話。
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