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柔らかい風が肌を撫で、暖かい陽が身体を包む。ふわりと香る花の香りに、鳥のさえずり。桜の花びらが舞う、4月。

わたしは今日、雄英高校ヒーロー科へ入学する。

雄英高校と言えば、数多のトップヒーローを輩出してきた伝統ある国立高校だ。「雄英を卒業すれば将来就職には困らない」なんてことも言われていて、全国から入学希望者が多数集まり、毎年一般入試倍率は300倍を超える。更に今年は偏差値が79を登り、ヒーロー育成だけでなく勉学にも力を入れていることで有名で、雄英高校の門はほんの一握りの選ばれた人間しかくぐることを許されていない。

そしてそんな雄英高校の制服を着て歩いているということは、その人が「選ばれしもの」であることを示している。グレーのジャケットはどこを歩いていても目立っていて、街中ですれ違った人ほとんどが振り返る。そんな不特定多数の視線に晒されながら歩いているおかげか、まだ学校にすら着いていないというのにも関わらず、もう既に疲れてきている。だから少し猫背で歩いてしまっているのは許してほしい。

さて、雄英高校に入学する者は「雄英高校に入学することを望み、なおかつ雄英高校に選ばれたものだけ」だという話をしたが、もちろん例外はある。それは「入学を望んでなかったが、雄英高校に選ばれてしまった者」の存在だ。

実を言うと、わたし自身がその後者である。

わたしは今まで雄英高校に進学することなど全く考えたこともなく、ヒーローを志したことは一度もない。本当にまったくもって場違いなのだ。そんな雄英高校に、わたしがなぜ入学することになったのか。はっきり言わせてもらおう。「コネ」である。

わたしの祖母は昔から雄英高校で養護教員をしており、ベテランの教師や教頭などとは小さい頃からの知り合いだ。ゆえにわたしの「個性」の事や「経歴」などの事を大人たちは余すことなく把握していて、「ヒーロー免許を取らせないなんて勿体ない」という話になったそうなのだ。

当然最初は強く断ったが、祖母に「いいから行きなさい」と半強制的に入学準備を進められ、昔から祖母には頭が上がらないわたしには断る術など見つからず。更には校長に「いい条件」を提示してもらい了承。そんなこんなで「特別推薦入学」という形で入学が決定したのだ。正直「勿体ない」なんて理由で今まで前例のなかった「特別推薦」を使ってもいいものなのか?とも思ったけれど、まぁわたしにも得があったので良しとする。

とはいえ、雄英ヒーロー科という夢を長年目指して見事その席を勝ち取ったはずのクラスメイト達に比べてコネ入学をしたわたし。「ズルをしている」という自覚があるぶん後ろめたさがあり、視線を避けるようにササっと教室に入室。着席してからは大人しくするように心掛けていた。

どうせ今日は入学式とガイダンスだけなんだし、それが終われば帰れるんだから。この後ろめたさもそう長くは続かないはずだ。そんなことを思っていた、のに。


「個性把握テスト…?」


教室に現れた教師かどうかも怪しい黒づくめの男は担任の「相澤消太」と名乗り、その相澤先生の指示通り、わたしたちはグラウンドに集合する。混乱もそのまま皆で顔を見合わせあっていると、相澤先生は突然「これから個性把握テストを行う」と言い放った。

入学式は?ガイダンスは?そんなわたしの心の声を代弁してくれた誰かがいたが、相澤先生の主張によると、ヒーローになるならそんな悠長な行事に出る時間はないんだそうだ。

「個性把握テスト」とは、中学の時まで毎年測定していた、個性使用禁止の「体力テスト」を「個性あり」で行うことなのだそう。ソフトボール投げや50メートル走などの合計8種目を個性ありで行うことで、自分の個性の最大限を知る。そこからヒーローの素地を形成しよう、という意図が込められているらしい。実際デモンストレーションでボール投げを行った「爆破」の個性の男の子はボールに爆風を乗せ「705.2m」という規格外の数値を出してみせた。

なるほど…今まで個性を思いっきりぶっ放したことがある人なんて中々いないだろうし、このヒーロー科に入学したというタイミングで自分の最大限の力を知るのは今後の糧になるだろう。面白い授業を考えるものだ。そんな風に感心していると。

「面白そう…か」

ぽつり。低い声で呟いた相澤先生の言葉に胸がどきりと鳴った。一瞬わたしの心の声が相澤先生に届いてしまったのか?と思ったが、どうやら早速個性を使えることに興奮した数人の生徒が大声で「面白そう」と言ったことに対してだった。しかし、その声がさっきよりも何トーンも低くなり、相澤先生の醸し出しているどす黒いオーラに背筋が凍っていく。何だか「悪いことが起きそう」。そんな風に思っていると。


「よし、トータル成績最下位の者は見込みなしと判断し、除籍処分としよう」


…やっぱり、起きたよ悪いこと。
周囲には悲鳴にも似た驚愕の声が響く。「理不尽だ」という声に相澤先生が「世界は理不尽に満ち溢れている。それを覆すのがヒーロー」と尤もらしいことを言って全員を黙らせた。


Plus Ultra更に向こうへさ、全力で乗り越えてこい」


相澤先生はこの状況を楽しんでいるようにも見える顔をして、雄英高校の校訓を使いながら生徒たちのやる気を上手く突いて本気を引き出させようとしていた。それに乗せられたのか、続々と勇ましい顔をして50メートル走のトラックに向かっていくクラスメイト達。…血気盛んだなぁ。ヒーロー志望って基本こうなのかな?そんなことを考えながら、わたしは周りと同じほどには熱量を上げることはできず、渋々といったように後をついていくだけだった。

「特別推薦」という特殊な入学経路だからこそ、正直足元は盤石だと思って疑わなかった。なんなら、わたしの入学は校長が決めたことだし、わたしの今後の進退を一教師なんかが決められるのか?と今でも疑っている。

もしも本当に相澤先生がわたしを除籍出来る権利を持っているのだとしても、わたしは正直ヒーロー志望でもないし、雄英に思い入れもない。除籍になったところでわたし自身に困ることなんて一つもない。それどころか、除籍になればこのプレッシャーから解放されるのかと考えれば、わたしが最下位になったほうがいいのでは?とも思う。

なにより、個性が身体能力に干渉しないタイプのわたしが。どうやったってこのテストで成績を残せるわけがないんだから。

半ば投げやりになりながらも、50メートル走から始まり、握力や立ち幅跳び、反復横跳びなどの競技を終える。運動神経はいい方だったおかげで個性なしでも何とか通常の平均くらいは出せていた。頭の中で何となく平均を計算してみると、おそらくわたしは今21名中20位くらい。現状わたしより下にいる緑色くんが何か一つでも好成績を収めたら逆転されて最下位になるだろう。そんなことを考えているとボール投げで早速「705.3m」というトップに食い込むんじゃないかというほどの大記録が生まれる。…あーあ、わたしが最下位か。

あとは長座体前屈や上体起こし、持久走くらいか…まぁ、どれも記録を生み出すのは無理だろうけど。
そんなことを考えながら、次の競技を実施する場所まで歩いている最中、少し自嘲気味に笑うと。

「苗字名前」
「…?」

目の前に黒い影が現れる。どうやらその影の正体は相澤先生のようで、先生はわたしの行く手をふさぐように目の前に立っている。また恐ろしいオーラを醸し出しながら、わたしの事を高いところから見下ろしていて、今度は一体何なんだ。何を言われるんだ。そんな風に身構えていると。


「…お前、今日はもう帰っていいぞ」


突然雰囲気が一変し、気怠げに頭を掻きながらそう言った相澤先生。彼の口から思ってもいない言葉が飛び出してきて、思わず素っ頓狂な声で「え」と短く返した。帰っていい…とは?この時点での除籍宣告?いや、もしそうだとすれば、この人ならはっきりと「お前除籍な」って言いそうなものだし…なら「別にこの先の競技やらなくていいよ」ってこと?最下位なのに?さっき最下位だった緑色くんには何か発破かけてそうな感じだったのに。わたしには指導はしたくないよってこと?そんなことを回らない頭でぐるぐると考えていると。

「お前、確か【特別推薦】だったろ。…俺は差別は嫌いなんだが、上の連中にお前は除籍にしないように言われてんだよ。まぁ、大人の事情ってやつだな」

相澤先生は生気のない目でそんなことを淡々と言い放つ。「特別推薦」「除籍にしない」そんな単語が聞こえてきて、思わずピクリと眉が動いた。他の人だったら手放しで喜ぶような内容だったけど、何故だかわたしには相澤先生の言葉が癇に障って不愉快になりつつあった。それはわたしが「除籍になっても別にいい」と思っていたからとかではなく、この言葉には何らかの別の意図が含まれているような気がしたのだ。

その予想はどうやら当たっていたようで、その後も相澤先生はだらだらと話し続ける。大事にされてるみたいで羨ましいなぁ。箱入りってやつか?将来もこれで安泰ってわけだ。やっぱり世の中持つべきものはコネだね、コネ。そんな言葉たちが並べられ、それはチクチクと鋭さをもってわたしの至るところを刺してくる。

「…何が言いたいんですか?」

回りくどい奴だ。言いたいことがあるならハッキリ言えばいいのに。こんな風に色んな人が見ている中で「箱入り」とか「コネ」とか言わなくてもいいだろう。わたしと相澤先生の会話を聞きながらざわざわとクラスメイト達が耳打ちをしている中、沸々と溢れ出そうな感情を抑えようと出来るだけ冷静に返したが、語気は硬さをもって相澤先生に投げられた。

相澤先生はため息をつくと、自分は非合理的なことが嫌いだし時間を無駄にするのも好きじゃない。現状「やる気」のないわたしを指導するのは時間の無駄だし非合理的だ。でも除籍にするわけにもいけないから、帰宅して目につかないところにいてくれと、これまた感情の灯っていないような声で淡々と続けた。更には「校長もお前に推薦出すのは選択ミスだったんじゃないか」と言い放つ始末。


「自分の力で何も掴めないような箱入りお嬢様が、誰かを”救おう”なんて…思い上がりもいいとこだ」


去り際にわたしを一瞥しながらそう言い放ち、持久走を実施する400mトラックに向かって歩いて行った相澤先生。わたし達の様子を見ていたクラスメイトは気まずそうな顔をしながらおずおずと相澤先生の後を静かに追っていく。

確かに、相澤先生の言うことは一理ある。わたし自身も「コネ」がズルであることは自覚しているし、純粋にヒーローを志す人達の中にわたしのようなヒーローに対してやる気のない人間がいて、それを指導しないといけない苛立ちも当然あるんだろう。ヒーローを育成したい相澤先生からしたら時間の無駄だし非合理的。そんなことはわかっている。でも。

「…ムカつく」

帰っていいとは言われたが、強制でも命令でもない。わたしの意思で決めていいなら、わたしは帰らない。みんなの向かっているトラックへ後を追うように歩き出す。相澤先生はチラリとわたしを見たが、特に止める気はないようだ。スタート位置に経ち、苛立ちを沸々と募らせる。

「箱入り」も「コネ」も言われてまぁまぁ腹立ったが、残念ながらそこに関しては相澤先生が正しいと思う。現状特別推薦入学として雄英に来た以上、他人からのわたしの評価なんてそんなものだ。だから、その言葉を相澤先生以外の誰かに言われたとしても、甘んじて受け入れよう。
ただ、あの言葉たちの中にはわたしが絶対許したくない言葉が一つだけあった。

「よーい…」端末を持ちながらスタートを掛ける相澤先生。わたしは準備のために膝とひじを曲げる。

「スタート」

ピッ、という電子音のあと、わたしは走り出した。持久走という競技はスピードを競うものではなく、個人の持久力を図る目的の競技だ。だから必ずしもスピードを意識する必要はなく、大抵の人なら無理のない範囲で走り切れるようペースを配分するだろう。実際他の人達は最初は軽く走り出した。…が、わたしはそんなクラスメイト達を抜き去り、トラックを全力疾走する。

「はぁ!?ペース早くね!?」
「あれじゃバテるだろ!!」

皆を追い抜きはるか先を走るわたしの背中に、誰かの上げた驚きに満ち溢れた声が聞こえる。更にはわたしが目の前を通った時「ゴール後に立ってられなかった奴は無効な」と相澤先生が声をあげる。ヤケを起こしている…と言われれば半分はそうなんだろう。腹立たしさと意地で気力を底上げしている気は否めない。

だがしかし、相澤先生に自分の力じゃ何も掴めない箱入りお嬢様と呼ばれ、あまつさえ「お前じゃ誰も救えない」と評されたのは絶対に許せなかった。

わたしは今まで数々の事を「自分の力で捥ぎ取ってきた」し、これからはたくさんの人を「救ってみせる」。そんな意思をもってこの日本という地に立っている。今までのわたしという人間の生き方も碌に知らないような奴なんかにわたしをそんな風に言う資格はない。そんなことを考えながら、わたしは1200mという長距離をさっき走った50m走と同じスピードで、一切ペースを落とさず走り切った。

「…2分46秒」
「はっ、はぁっ、はっ…」

滴り落ちる汗を拭いながら、血の味がする喉を開き、一生懸命呼吸する。心臓は破裂しそうだし、頭はくらくらしている。正直吐きそうだ。それでも倒れないように足を踏ん張り、歯を食いしばりながら顔を上げた。

「……おい、喋れるか」

相澤先生はそう言いながらわたしを見下ろしていた。そんなペースで走ったらバテる?ゴール後立っていられないだろうって?更には、最悪立っては居られても喋ることはできないだろうって?どいつもこいつもふざけやがって。舐めんなよ。


「…はっ、当たり前でしょ。”医者”は体力が資本なんだから」


こんなんでバテるような鍛え方わたし、してないから。
息切れしながらもそう答えると、相澤先生の口端がニヤリと上がった。