02

わざとらしく音を鳴らしながら廊下を歩く。すれ違った生徒たちが不思議そうに振り返るが、わたしはそんなことお構いなしにズンズンと進み、ある場所だけを目指していた。

到着した場所は「保健室」。
横スライド式のドアを力強くガラッと開ける。


「おばあちゃん!なんなんあの先生!ムカつくんだけど!」
「おや、もう終わったのかね」


今日1日で溜まった膨大な鬱憤を晴らそうと保健室にいるであろうおばあちゃんに大声でそう言うと、おばあちゃんはお構いなしに「ガイダンスが早く終わった」ことに驚いているようだった。「まぁ、イレイザーのクラスなら仕方ないさね」とおばあちゃんがぽつりと言ったその名前がわたしの琴線に触れる。

「それ!イレイザー!ほんとにムカつく…!誰が”箱入りお嬢様”だってのよ…!」
「またアンタは…どうせ余計なことしたか何もしなかったかのどっちかだろう」
「っ、…ちゃんとやったもん!」
「ハイハイ」

震える拳を掲げ恨みつらみを呟くとおばあちゃんは、わたしには興味のない事には一切の関心を示さない「悪い癖」があるからどうせ今日もそんなところだろうと痛めなところを突いてくるので何も言えなくなる。

あの持久走のあと。個性把握テストが終了し順位表が発表されると、その中に自分の名前をすぐさま見つける。最下位ではなく21人中20位であることを確認し柄にもなくホッと安心すると、相澤先生は飄々とした顔をしながら「ちなみに除籍はウソな」と言い放った。

わたし達の最大限を引き出す「合理的虚偽」だったのだと弁明すると、クラスメイト達からは怒りに近い叫びが聞こえた。最も、中には「嘘に決まっている」と最初から分かっていたという人もいたのだが。

もちろん合理的虚偽だろうがそうでなかろうが、冷静に考えればそもそもわたしが除籍されるような心配は全くなかったのだけれど、あの相澤先生の煽りに踊らされてしまってわたしが本気をだしたのは言うまでもない。冷静さを欠いて相澤先生の思い通りになってしまった悔しさに、怒りの矛先をどこに向ければいいのか分からなくなってしまっているのだ。

「ま、アンタも色々見つめなおす良い機会なんだ。しっかりおやり」
「…まぁ、入学した以上はやるけどさ……」

椅子に座りながら浮かんだ足をぶらぶら揺らす。わかってるよ、おばあちゃんが言いたいこと。ヒーローになれって言ってるんじゃなくて「ヒーローから色々学べ」って言いたいんでしょ。”自覚”があるから、そこに関しては反論しない。でも、あのやり方は癪なんだもん。むくれながらそんなことを考えていると。


「失礼…します、」


ドアの方から遠慮がちな声が聞こえてきて、おばあちゃんと同時に振り向く。そこに立っていたのはさっきの個性把握テストで最下位を取っていた男の子。名前は確か…

「えと…みどり……、みどりいろ君」
「緑谷出久…です、」

確か「みどり」は合ってたはず、と彼の名前を思い出そうとするが結局出てこず。複雑そうな顔をして自己紹介をした緑谷にそうそうそれだ、と言いながら「よろしく」とだけ声をかけた。おばあちゃんは「今日はどうしたんだい」と緑谷に来室の用件を聞いていて、緑谷はきまずそうな顔をしながらおずおずと右手の人差し指をそっと取り出した。

「うっわ、痛そう」
「個性を使ったボール投げで負傷してしまって…」
「うーん…筋肉損傷に骨折もしてるね」
「個性ってあの超パワーみたいなやつ?」
「う…うん……」

緑谷の右手人差し指は赤黒く変色していて、普通だったらありえない部分が歪んでいる。おばあちゃんの見立て通り、筋肉損傷と骨折でほぼ間違いないだろう。どうやら聞くところによると、緑谷の個性はオールマイト並みの超パワーを持っているがその分リスクが大きいようで、個性を使用するとこんな風に身体に損傷を受けるらしい。この人差し指はあの大記録を出したボール投げで指先だけに力を凝縮させ個性を発動したことで、こんな状態になっているようだ。

難儀な個性だな。そんな風に思っていると、緑谷は「えっと、苗字さんは…」と話し出す。あれ、わたしの名前知ってたの?と思っていると、何故保健室にいるのかと問われる。特に怪我をしている様子もなかったし、具合でも悪いの?と。よく見てるな。

「これ、わたしのおばあちゃん」
「え」
「あと、わたし医者」
「…えっ?」

おばあちゃんを指差しながらそう言うと固まり、わたしの持っている医師免許を見せると目をまん丸くさせる。緑谷って小動物みたい。モルモット的な。面白い。

「…っあ!だから”特別推薦”…!」
「うわ、やめてよそれ傷抉られるんですけど」
「え、ごご…ごめんッそんなつもりじゃ…」
「あはは冗談、別にいいって」

緑谷をからかって遊んでいると、おばあちゃんが「治癒するよ」と言って緑谷にキスをする。おばあちゃんがクラスメイトにキスしてる絵面、めっちゃ面白いな。人差し指が治った緑谷はその速さに感動しながら、襲ってきた疲労感に背中を曲げている。

おばあちゃんの「治癒」という個性は、その人の治癒力を活性化させる。怪我も病気も治してしまう万能個性だ。しかしその反面、リスクも当然あり、大きな怪我が続くと体力を消耗してしまい逆に死んでしまう。治癒にも体力が必要なのだ。



「ご、ごめん…教室まで付き合わせて…」
「いいって。緑谷は患者だし、わたし医者だし」

おばあちゃんに「早く帰りな」と保健室を追い出されてから、教室に鞄を取りに行くという緑谷に「容体急変とか何かあったら大変だから」と教室まで付き添うことになる。申し訳なさそうな顔で謝る緑谷に「医者として当然」というと、緑谷は思い出したように「そういえば…」と切り出した。

「さっき見せてくれた…免許証、だっけ。英語で書いてあったけど…」

そう言った緑谷に「これ?」と差し出すと「そう!それ!」と頷いたあとに何で英語なのか、と問われる。

「イギリスで取得したから」
「いッ!?…イギリス!?」
「そう、去年ね」

わたしの両親は医者だ。それも国内でも優秀な医者だということは身内目を引いても揺るがない事実だと思う。そんな両親のもとで育ったわたしが「医者になりたい」と思うのは当然の摂理で、物心ついた時には本物の手術道具でおままごとをしていた。色んな医学書を読み漁り、勉強だって人の何十倍もやってきた。自我がハッキリしてきた頃には、現役の医者顔負けの知識と技術を持っていたと両親はいう。

しかし日本には年齢制度という文化が根付いており、どれだけ知識と技術があろうと、年齢が基準を達していないと本物の医者にはなれないのだ。早く医者になりたいのになれない苛立ちを募らせたわたしは、両親に「留学したい」と告げ、中学入学と同時にイギリスへ渡った。

飛び級制度のあるイギリスの大学へ入学。観光なんてなんのその。ただただ勉強だけに性を出し、必要な勉強を爆速で終わらせ、資格試験を受験。見事合格。

「んで医者になったってわけ」
「…そ、壮絶…だね……」

イギリスで取った医師免許を用いて日本国内で活動をすることは問題ないのかと聞かれたが、実はそこが雄英に入学した大きな要因である。

イギリスには日本の医師免許制度との互換性というものがあり、外務省などから許可が出ればイギリスで取得した医師免許で活動しても問題ないらしい。ただ、この「許可」というのが中々難しいらしく、申請をしてもそれが通ることは「稀にある」程度なのだそう。

せっかく取得したのに使えないのはもったいないと考えたわたしは、一度帰国し両親に報告したのち、またイギリスに渡り医師として暮らそうと思っていたが、帰国してすぐにおばあちゃんに捕まり「雄英に入れ」と半強制的に渡英を阻止される。その中で校長から「外務省にいる知り合いに承認許可印を貰ってくるから」と提案。

日本で医師活動ができるなら雄英に入るのもいいか…と納得。そんなこんなで特別推薦を受けて入学したのだ。


「なんか…本当にすごいや…僕なんかとは全然違う人生送ってるっていうか…」
「そうかな?緑谷は雄英ヒーロー科に自力で入れてるし、どっこいどっこいでしょ」
「いやいや、まさかそんな…!」


自分を卑下するような緑谷に首を傾げる。雄英ヒーロー科に入学できる技量を以てして、自虐的というかなんというか。ものすごく自信がなさそうな様子に違和感を感じた。が、すぐにその答えが見つかった。

「ぼ、僕はまだ個性も調整できないし…」

誰かに助けられてばかりだから…そんな風に呟いた緑谷。オールマイト並みのパワーを出せるハイリターンな個性だが、ハイリスクでもある個性。まぁ、確かにね。このままいけば、緑谷は訓練の度、戦闘の度に負傷して病院送りになるだろう。「誰かを救ける」ヒーローが、「誰かに救けられる」のじゃ、本末転倒だ。

そう言うと、緑谷は「うっ…」と言いながら眉を下げた。自覚がある分、突かれると痛いよね。分かる。

「…まぁでも、わたしだって最初から何でもかんでも出来たわけじゃないし」

そう、わたしも物心ついた時から強い意思でなりたいものをしっかりと見据えて、それに向かって相当な努力をしてきたから今の自分を掴み取れたのだ。人間死ぬ気でやれば何とでもなる。


「1個1個、やれることから始めればいいんじゃないかな」


「ね」と笑いかけると、緑谷は大きな目を見張りながら、驚いた顔でしばらく黙っていた。次第に頬が緩んでくると、眉尻を下げながら「さすがお医者さんだ」と優しく笑う。どうやらわたしの言葉は少し傷ついた緑谷の心の薬になったようだ。

さっきまでは、今日のことでイラついたり心が荒んで「雄英、やめてやる」なんて思っていたけれど、仲良くなれそうなクラスメイトがいて良かった。ようやくまともな学生生活のスタートが切れたような気がして、わたしは「もう少し雄英で頑張ってみよう」なんて思い始めていたのだった。

あ、そういえば。和やかな空気のなか、これまた思い出したように緑谷が声を上げた。今度は何だと横を見ると。


「苗字さんの個性ってなに?」


そう言った緑谷にわたしは廊下を歩く足を止めた。さっきの個性把握テストじゃ個性使ってる様子はなかったけど、持久走ものすごいスピードで走り切ってたから…体力系とか?医師に関係ある?活かせたりする?と、個性の話になるとやけに目をキラキラさせながら饒舌になる緑谷を見て「これは話したほうがいいのか?」と一瞬迷うが、結局隠しててもしょうもなさそうなので正直に言うことにした。

「総称は【ケア】って名前なんだけど…」

そう前置きしながらわたしは右の手のひらを緑谷に差し出した。ほら、ここにちっちゃく針が付いてるんだよね。ここからわたしの体力とか、生命力を人に分け与えることができるっていう感じで、あとは…そんな風に説明すると、小さな子供のように「凄い!」と大喜びする緑谷。

試しにやってみる?と言い、緑谷の左手を取る。そのまま手を繋ぐと、針が緑谷の手のひらに刺さり、そのままわたしの体力が注入されていく。緑谷は流れてくるエネルギーのようなものを感じ取ったのか「さっきの治癒で溜まった疲れがなくなっていく!凄い!」と大興奮しながら「もしかしてまだあるの!?」とさっきの語尾をすかさず聞き取っていたようで話の続きを催促される。

さっき保健室で初めて話した時はこう…陰キャっぽいっていうか、女の子慣れしてなさそうだったから、わたしの個性使ったら必要以上に驚かれそうでやめたんだけど…手を繋いでも特に反応しないんだ。意外だな。…いや、もしかしたら「個性」の事で興奮しすぎて”手を繋いでる”という意識すらないのかもしれない。そう考えたらなんだかおもしろくなってきて、からかってやろうとニヤリと笑う。「あとは…」そう話の続きを話しながら緑谷に一歩近づいた。


「…キスしたら【治癒】も出来るよ」


それも試してみる?そう言いながら緑谷の顔を下から覗き込むと。ピシリ、そんな音が響きそうなほど一瞬だけ揺れては全身を硬直させた。

足の先から頭のてっぺんまで徐々に肌を真っ赤に染めあげると、緑谷はようやくわたしと手を繋いでいる事実に気が付いたのか、「ぎゃあ!!」と叫びながら勢いよく手を振り払った。

「…っ、……あ…や……え…」

耳まで真っ赤にしちゃって。純情だなぁ。
叫びながら振り払われたのは些か心外だったけれど、言葉にならない声を上げ、パクパクと口を動かしながら現状を未だ理解できていない緑谷が不憫に思えてきて「なーんて、冗談」と笑って返す。

「……なんだ…冗談…」

何となく理解できてきたのかあからさまにホッと息をついた緑谷。おやおや緑谷くん。その反応はいただけないな。仮に安心したとしてもそれを悟られないのがいい男の振る舞いなのだよ。プライドに火をつけられたわたしは一度は離れた緑谷にもう一度ずいっと距離を詰めて近寄る。


「試すのは…”また今度”ね」


そう言うと、緑谷はまた全身を真っ赤に染めあげて今にも倒れそうというほどにクラッと体勢を崩した。あえてそれを放っておいて、そのまま「じゃ、また明日ね」と彼に手を振って背中を向けた。

仲良くなれそうな人も居たし、また明日から頑張るか。そんな晴れ晴れとした気持ちでわたしは雄英高校での入学初日を終えたのだった。