空へ羽ばたくその一歩

屋敷へ着くと、数多くの従者が出迎えにやって来た。
身の回りの世話をするメイドや執事、護衛騎士も「おかえりなさいませお嬢様」と頭を下げて大広間へ並んでいる。そんな従者たちの視線はわたしを見たあと、こぞってわたしの後ろを歩く金髪スーツの男へと移動。訝しげに男を見たあと、警戒心を露わにする。しかし金髪の男はこの国で一、二を争う豪華絢爛な我が家の屋敷をキョロキョロと眺めながら「ほぉ」とため息をついていて、従者たちの視線には少しも気にしていないようだった。ただの馬鹿なのか、それとも総出で武力行使されても問題ないほどに自身の強さを誇っているのか。どちらにせよ今まで接したことのないタイプの人間にわたし自身もどう接していいかが分からなかった。

「それで、あなた名前は?」

客間に通してメイドにお茶を2人分出すように告げると、すぐに暖かい紅茶と少しの茶菓子を持ってきてくれた。金髪スーツを机を挟んだ目の前のソファに座らせると、男はポケットから取り出したタバコをふかし、リラックスしているように見えた。わたしが紅茶を飲みながら男に名を聞くと「そういえばまだ名乗ってなかったな」と言いながらまたタバコの煙を口に含む。

「俺ァサンジ。よろしくどうぞプリンセス」

男はニカッと笑いながらプカプカとタバコの煙を吐き、そう名乗った。サンジ…ファミリーネームは名乗らないという事は貴族ではなく平民なのね。だったら、あの騎士団たちを制圧せんばかりの強さはどこで手に入れたのかしら。傭兵団か何かに所属しているとか?…いずれにしても、彼の素性を明らかにしなくては。じきに街でわたしが法律を破り、平民親子に何の罰も与えず帰したことがお父様とお母様の耳に入る。その前に何とか理屈をつけないといけない。

「わたしはまだプリンセスではないわ。名前はなまえよ」
「なまえさん…あぁ…君は名前までも美しい…」

名乗らせてばかりでわたしから名乗らないのも失礼だと思ったし、プリンセスと呼ばれるのはあまりいい気分はしなかったために自身の名前を名乗ると、サンジはまた軟体生物みたいに身体をクネクネとくねらせて腕全体でハートマークを作り上げた。…ますます変な男だ。

「…ところで、馬車の件を詳しく説明してくれないかしら?」
「ん?あぁ…」

何故サンジはあの場所にいて、何故騎士たちに取り押さえられていたのか。馬車の中でじっと座っていたわたしには詳しい状況なんて知る由もなかった。当事者であるサンジに聞いたほうが早いと思い話題に出すと、サンジは思っていたより細かく詳細を喋ってくれた。

わたしが馬車であの道を通る少し前の事。あの子供…少女は店で母親と買い物をしていた。少しのパンと野菜、それから豆など。少女はそのすぐ後、平民のオーソドックスなお菓子であるポン菓子を欲しがって母親におねだりをしていた。お金がなくて母親は渋っていたが、今日だけという約束でようやく列に並んで買って貰っていたらしい。その嬉しそうな表情は今でも覚えているとサンジは言う。

しかしそのすぐあと、大人の男数人がその少女の持っているポン菓子を奪って逃走。少女は「わたしのお菓子!」と叫びながらその男たちを追いかけようと走り出した。すると、間の悪いことにわたしの馬車が少女が飛び出したことで停止。少女は騎士たちに取り押さえられたのだという。

窃盗犯には逃げられ、法律によって鞭で打たれそうになった少女を見てサンジは頭に血が上り騎士たちに襲い掛かったのだとか。しかし数には勝てず、取り押さえられたところでわたしが現れた…ことの全貌はこのようなことだったらしい。

「…なぁ、どうして大事なものを奪われた小さなレディを鞭で打たなくちゃいけなかったんだ」

サンジは話している間にその時のことが蘇ったのだろう。怒りに身体を震わせながら鋭い眼光をわたしに向けてきた。…いま他の者が居合わせていたらサンジは不敬罪でまた取り押さえられるだろう。人払いをしていてよかったとため息をついた。

「…国が決めた法律だからよ。あの少女は窃盗より重罪である貴族への不敬罪の嫌疑がかかったの」
「っ、そんなの…!」
「わかってるわ」

この国では、なにより貴族の面子が第一優先。
殺人ですら貴族の生活の邪魔をする罪よりは軽い。貴族は絶対的で、平民の命は替えが利く。羽虫を踏み潰すのと同等に平民の命は軽いのだ。税は日に日に課される金額を増やされ、生活に困った平民は飢餓で死んでいく。死んだら最期。ゴミのように捨てられる。この国が建国されて2百年、この国はそうやって貴族たちを肥やしてきた。


「あなたが正しいわ、そんなことは間違っている」


そんなこと、とっくのとうにわたしだって気が付いている。

この国を支えるのは少数の貴族ではなく大勢の平民…市民たちであり、市民が崩壊すればこの国は終わってしまう。現にこの国を出てほかの国で生活しようと逃げようとする者は多くいる。この国は、危機に立たされている。市民に救いの手がなければ貴族も王族も路頭に迷うというのに、この国は未だに昔からの矜持というものを捨てられずにいる。

分かっているから、何とかしようと藻掻いているんじゃない。


「…とにかく事情はわかったわ。あの親子は無罪放免としたし、あなたの件も罪には問わない」


サンジは未だに納得してはいないようだったが、それ以上なにかを言う気にはならなかったらしい。貴族や王族の腐った面を理解しているのだろう。不機嫌そうな顔ではあったがタバコの煙を吐くのと同時に大きくため息を吐き、自身の気持ちに整理を付けているようだった。

「ところでサンジ、あなたは何者なの?」
「…ん?」

本題はこっちだった。あの親子もサンジも放免した上に屋敷に連れてきた以上、罪に問う気は更々なかった。重要なのは、サンジが何故あの場にいて、何故わたしの騎士たちを赤子の如く捻り潰すことができたのか。サンジは一体何者なのか。わたしがそう聞くと彼は途端にドギマギと挙動が不審になり、もごもごと口籠っていた。

「…傭兵団に所属していたりするのかしら」
「ようへ…っ、あ!そうそう!それだそれ!」

紅茶を口に運びながらそう言うとサンジは一瞬戸惑いを見せたが、身振り手振りを加え「小さい頃からまぁ色々やってたんだ」とまるで言い訳のように捲し立てた。…嘘だって丸わかりじゃない、もっとうまく嘘をつきなさいよね。そんなことを考えながら「まぁ、今はそういうことにしておいてあげるわ」と軽く笑うと、サンジはまた頬を染めながらぼうっと気を抜いていた。

「サンジ…あなたに提案があるわ」
「…提案?」

そう言うと、サンジはタバコの火を靴底で消し吸殻を丁寧に箱に仕舞った。

提案というより、仕事の依頼に近い。わたしのやろうとしていることに対しての助けが欲しいのだ。今まで苦戦していたことも、サンジの助けがあればきっとやりこなすことが出来るはず。彼の貴族に対して物怖じしない態度、時々見せる威圧感、しかし基本的には柔らかい物腰、身についているマナー、そして何よりあの身のこなし方や戦闘慣れ。彼はわたしが探し求めていた人物像にぴったりと当て嵌まる。


「3か月間、わたしの専属護衛になってくれないかしら」


これは、きっとわたしが空を駆けるための大きな第一歩になる。
サンジの碧い瞳を見て、そう確信した。