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夏休みが明けたのは二週間ほど前、9月に入って部活帰りがほんのり肌寒いものの、まだまだ夏日が続く今日この頃。梟谷高校は一年のビッグイベントである文化祭を迎えていた。クラスの出し物は確かお化け屋敷だった、ような気がする。あれ、他学年も含めてお化け屋敷が多すぎてやめたんだっけ?ちゃんと話聞いてなかった……というのも、自分は毎年部活の方で出し物があるため、クラスの出し物にはほぼ参加しない。去年も、文化祭前日にプレオープンと称してお客さん役をやった以外はすべて部室かプールに居たから。カバンの中に突っ込んだパンフレットを読み返せば、『パラレルワールドへようこそ!−謎解き喫茶−』って書いてあった。ちょっと散らかりすぎなんじゃない?なんて今更だ。どんなものになったのか、やっぱり見に行こう。
体育棟の昇降口をくぐり、部室へと急ぐ。まだきっと誰もいないはず。静かな校舎を歩いていれば、体育館から声が聞こえてきた。
「赤葦!もう一本!!」
ここ最近の楽しみのひとつである、バレー部の朝練をチラッと覗くこと。遠巻きに眺めていたら、丁度赤葦くんが木兎先輩にトスを上げているところだった。普段の水泳部は朝練がないんだけど、文化祭の前は毎日7時からシンクロの練習をしている。そのさらに少し前から、赤葦くんは木兎先輩や他の先輩たちと自主練をしていることを教えてくれたから、こうやって見に来てるのだ。
赤葦くんが想いを伝えてくれたあの合宿最終日から、恋人らしいことは何ひとつしてない。強いて言えば連絡を毎日取り合ってることくらい、かなあ。バレー部も忙しいけれど、この時期の水泳部は練習と文化祭準備がダブルパンチなため引けを取らないくらい忙しい。帰りの時間が合わないくらい。だからせめて姿が見たくて、眠たい目をこすってここに来る。今までの自分じゃあり得ないくらいの早起きだ。
階段から話し声が聞こえてハッと時計を見やる。そろそろ部員がやって来る頃だった。カバンをかけ直して階段を上った。んだけど、
「えーっと、……?」
「あーっと、……ごめん」
足音に気が付いて私が振り向くのと、その人物が私の腕を掴んだのは同時だった。階段の数段下に、赤葦くんが居る。下から上がってきた後輩たちはこれ見た!とニヤニヤしながら駆け上がっていき、私の耳も真っ赤に染まっていく。彼女たちはとっくに私たちの関係がただのクラスメイトでなくなったことは知っているだろう。けど、私たちは校内で付き合っていることが分かるようなことを、してこなかったから。
「あのさ、シンクロってチケットないと見れないって聞いたんだけど」
「あ、うん……毎年人気だから、並ばないと手に入らなくて」
「……俺も見たいんだけど」
「えっ?」
「スーちゃんさんが、友だちに配ってるの見たんだけど、さとうは俺にくれないの?」
予想だにしていない出来事に目が点になる。赤葦くんの頬が、赤らんでいる。これは明らかに走ってきたせいじゃない。自分がそうさせてるんだ、と思うと更に体温が上昇した。
「正直、あんまり来てほしくなくて、」
「……なんで?」
「だって……」
競泳用と言えど、水着を着るのだ。シンクロとは言え某映画のように面白おかしく踊って泳いで、飛んで…をする訳で。知らない人たちや友人の前でならまだしも、好きな人の前でその姿を晒すのは、恥ずかしすぎる。だから、部員が唯一配れるチケットについて、赤葦くんには教えてなかったのに。
「あいつも来るんでしょ」
「あいつ……あ、航くん?」
「そう。なのに俺が行けないのはなんで?」
「いや、その」
正直に理由を言えず、珍しく不機嫌な赤葦くんに慣れなくて慌ててカバンの中にしまってあったチケットを手につかんで、差し出した。すると赤葦くんは満足気に、掴んでいた腕を離す。
「木葉さんと行くね」
「う、うん……」
「じゃあ……頑張って」
青いTシャツの後ろ姿をボーっと見送る。一体なんだったんだ。あんな赤葦くん、見たことない。
「って、朝練だよ!!」
体育館から聞こえる騒ぎ声に気を取られながらも、階段を一段飛ばしで駆け上がっていった。プールサイドでニヤニヤしてるスーちゃんを宥めることになることなんて、今の私には知る由もない。
***
「「ありがとうございました!!!」」
大きな拍手の中、水泳部のシンクロは二回とも幕を閉じた。見に来てくれた観客の方々を見送って、部員はみんなプールに戻る。保護者も多くいるためそちらへの挨拶も行い、最後の写真撮影を終えればもう自由の身。とは言え、日は間もなく傾き、文化祭の時間は刻一刻と終わりへと近づいている。三年生は後夜祭で浴衣を着るのが恒例行事なため、撮影も早々に去っていった。
後輩や同級生のお母さんたちに挨拶回りをしていたら、スーちゃんに肘でつつかれた。指さされた先には、ひとり空を仰いでる赤葦くんが居る。自分の母親もいる手前、あまり話をしたくなくて、シカトしながら保護者の誘導を続けた。何かを察したようで、スーちゃんも一緒になって誘導をせっせと手伝ってくれた。
「これでいい?」
「……スーちゃんに察されるなんて、私もまだまだだね…」
「いいじゃん!普段、私より私のこと分かってるさゆみが、こんなに分かりやすいことないんだもん!」
少しくらいお節介させて!と笑顔で背中を押される。水着のままうろつくのが嫌で、濡れたまま着たジャージがまたぺったりと肌にくっついた。
端っこでベンチに腰掛けてる赤葦くんに近づけば、視線を下げてくれた。座るとベンチが濡れてしまうので、赤葦くんの向かいに立つ。
「……どうだった?」
「さとうがあんなに飛ぶと思わなくて、びっくりした」
「あ、ジャンプ?あれね、いっぱい練習したんだよ」
「あとやぐら?あれ凄いね、人ってあんなに人の上に乗れるんだ」
「四段は今年初挑戦だったの。成功してよかったよ」
思いのほか感動してくれたようで、安心した。普通に会話もできてるし、今朝のドキドキが落ち着いてる。それが嬉しくって、ここ最近話せなかった分もたくさん喋り通してしまった。かなり喋ってたんだと気づいたのは、プールの反対側に居る部長の掛け声だった。
「俺もそろそろ行くね。先輩たちの写真撮る係なんだ」
「私も早く着替えなきゃだ」
「……」
「赤葦くん?」
立ち上がった赤葦くんの隣りを歩いて居たら、突然立ち止まった。今日は何かと、赤葦くんの突然の行動に驚かされている。どうかした?と顔を覗き込んだら、強張った表情を少しだけ崩して、もうひとつ我儘言ってもいい?なんて言ってきた。もうひとつって……もしかして、朝のあれが1回目の我儘、ってことかな。
「着替えが終わる頃、迎えに来てもいい?」
「……それって、もしかして、花火?」
「うん…第三体育館の二階、穴場なんだって」
一緒に見よう?
後ろから差し込んだ夕日が、キラキラと赤葦くんの黒髪を照らす。赤葦くんはまた、右手を差し出してきた。分かっててやってるのか、無意識なのか、分からないんだけど、その手を取らないなんてこと、私ができないって分かってるのかな。だいぶ冷え切った左手をその手に重ねれば、じゃあまたあとでと言って、ひとりプールを後にした。
「もしかしてあれがさとうの好きな人?」
「えっ、航くん?!」
「そーだよーというか彼氏です!」
「ちょっとスーちゃん!?」
「背が高くてイケメンか……」
「航くんに足りないところばっかだね!!ドンマイ!そしてさゆみは赤葦くんと花火見るの?私は今年も水泳部と見るのに!!」
顔がすごく嬉しそう。航くんにそう言われて、恥ずかしくなって部室へと逃げた。
後夜祭は最後の最後に、近所の方々のご厚意で打ち上げ花火が打ちあがる。それは体育館内での催しからそのまま行われるため、体育館で一緒に居ないとなかなか一緒に見ることが難しい。去年は水泳部で、部室前に集合してプールから見たんだったな。この後のことを考えると頬が赤くなるのを止められないので、ブルブルと首を振って、ドライヤーを手に取った。
20200217