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人を好きになるきっかけなんて人それぞれ。いつから好きだったかなんて、好きだって思ったその瞬間にはその感情はとうに芽生えていたことになるだろうし。聞かれても答えられない気がする。気づけば目で追うようになってて、気づけば一緒に話せることが嬉しいって思うようになってて、知らないうちに、自分が一番だったらいいのになって、願うようになってた。恋って、そういうものなんですかね。

「ねースーちゃん、もう私行きたいんだけど」
「もう少し!もう少しだけ付き合って!」
「だって先週末のデータもう渡したじゃん……私もスーちゃんも湯冷めしちゃうし、中入らない?」

うんうん唸るスーちゃんを横に、私は食堂から漏れる明かりに目を逸らす。お風呂上り、一度寝室となってる教室へ行って恒例になってる赤葦くんとの勉強会のために食堂へ向かっていたら、今日から合宿に参加したらしいスーちゃんに捕まった。最初は先週末のデータが欲しいと言われて教室に戻り、次はちょっとだけ散歩がしたいと行って校舎の周りを歩いている。明らかに様子がおかしいんだけど、その理由を話してくれる様子がないのでこんな感じだ。あからさまに嫌な態度を取ってしまうことを許してほしい。目の前に至福の時間が待っているのに、お預けをくらってる気分なのだ。

「あっあのね、いきなり何言い出すんだって思うかもしれないんだけど」
「?…うん、」
「さゆみが誰を好きなのか知ってるし、きっと赤葦くんと付き合えたら幸せなんだろうなってことは分かってる」
「……ん?いや唐突過ぎない?」
「でも!!前々から好きだった人のことを思うと、阻止することはできなくて協力するって言った手前、何もしないなんてことはできなくて」
「……それって」
「ごめん、遅くなった」

後ろから現れた人物は、スーちゃんの話から連想して思い当っていた人物だった。先日、後輩たちと一緒に食堂へやってきた他校の航くん。室内プールが常設されている学校にも関わらず、顧問は名ばかりの人だった為、うちの学校の顧問がコーチも兼任しており、毎週土曜日は航くんの学校で私たちは練習をしていた。だから彼とは1年の4月から知り合っていて、夏場も大会でちょくちょく顔を合わせていた。正直なところ、彼はとても分かりやすい。分かりやすいほどに、”好き”という感情をこちらに出してくる。たぶん本人は自覚してないんだろうけど、周りがわざわざ隣りに座るように仕向けたり、自分のとこのマネじゃなくて担当のコースだからと私に色々相談してきたりするところとか、そういうところで私は勘付いていた。だから今から起こることもなんとなく分かる。スーちゃんが私を外に連れ出して、航くんはここできっと、私に告白をする。
じゃあ、また明日!そう言ってスーちゃんは校舎へと走っていった。

「えーっと、とりあえず、座る?」
「うん……そっちだと暗いから、こっちのがいいんじゃないかな」

変わらず差し込んでいる食堂の明かりを指させば、航くんは静かにそこへ腰を下ろした。起こることが分かっていて近くに座るのも如何なものかと思い、人一人分のスペースを取って座った。真夏の生温い風が、頬を撫ぜる。

「合宿、明日で最終日だね。、大変だった?」
「ううん、なんだかんだ楽しかったよ。バレー部のみんな、優しかったし。室内で日焼けもしないし」
「あははそっか……確かに、焼けないよね」
「うん。勿論、慣れないこともあったけどね」
「……」
「……」

流れる沈黙が気まずい。それもそのはずで、私たちは二人っきりになったことがない。いつだって水泳部の誰かが一緒で、みんなで楽しく過ごしてきたのが水泳部だから。ご飯に行くのも、ゲームセンターで遊ぶのも、少なくとも四人くらいは一緒だった。こういう場で、私が話をつなげようとするのもなんか可笑しい気がするし、向こうが話し出すまで黙っておこう、そう決めて三分くらいが経った時だった。

「俺さ、えーっと、さとうのことが、その……好き、なんだよね」
「……うん」
「もしかして、気づいてた?」
「…うん、みんなの感じから、そうなのかなって、ちょっと感じてたりは、した」

どう答えたら航くんを傷つけずに居られるんだろうと、歯切れ悪く返事を探す。どう答えたとしても、その気持ちに応えられない以上、傷つけないことはできないのだけど。

「もっと先でもいいし、なんだったら言わなくてもいいって思ってたんだけど、なんていうか、みんなから応援されて何もしないのもどうかと思えてきて合宿で言おうって意気込んで来たんだけど、来たらさとうはバレー部に行ってるって言われるし、」
「……」
「……ごめん一方的に喋って」

再び訪れる沈黙。多分、きっとだけど、今年入って来た一年生たちはザ・高校生って感じの子たちで口を開けば誰が誰と付き合うだとか、誰が好きらしいとかそんな話をよくしてたから、あの子たちから感化されたんだろうな、とは思う。んで、スーちゃんたちは同級生なんだしと一肌脱いであげようって、そんなところなのかもしれない。スーちゃんからしたら、赤葦くんよりも航くんの方が、仲はいいだろうし。

「…返事、してもいい?」
「……どうぞ、」
「……ごめんなさい。航くんの気持ちには応えられません」
「なんでって聞いたら、教えてくれる?」
「…ほかに、好きな人がいるから」

俯いたまま答えれば、ありがとうと返って来た。航くんの顔は見れないまま、彼はこの場を去っていく。その背中が見えなくなってようやく、私は重たい腰を上げることができた。なんだか無性に、赤葦くんに会いたくなった。


***


食堂に響く時計の針が進む音が、今まで気にしたことがなかったから、ちょっとだけ怖いなとか思った。この広い空間にひとりで居れば、そう感じても仕方ない気がする。いつもだったら、隣りにさとうが居たり、他の先輩たちが勉強してたりするんだけど、先輩たちは最終日だからと教室で遊んでる。俺はきっとさとうは変わらずやって来るだろうと思って、数学の教科書とノート片手にやって来た。それが40分前くらいの出来事。そして15分くらい前から、そのさとうは食堂の窓の向こうに男とふたりで座っている。その男が誰なのかは、先日のロールキャベツの件で分かっていた。窓でも開けて話を聞いてやりたい、なんて思いを押し殺して数学の教科書を開く。合宿最終日の夜、人気のない場所に女子を呼び出してすることなんてきっとひとつだ。恋愛経験の少ない俺にだって、それくらいは分かる。分からないのは、それが成功するのかどうかってところくらい。
さとうが自分を他のクラスメイトよりも特別視してくれてることは、分かる。だからといってそこに恋愛的な意味の好意を持っているか否かを問われると、俺は首を縦には触れない。言葉にされてないんだから分かる訳がない。ほんの少し自信が持てたのは、あの体育祭くらいだ。さとうは確かにあの時、顔を赤らめていた。けれども、それが恥ずかしいからなのか好きだからなのかは、分からないから何とも言えない。俺なりに、アプローチしてきたつもりだけども。

「ごめん、遅くなって」
「ううん、雀田さんあたりに捕まった?」

食堂にやって来たさとうは、力なく笑っていた。俺の向かいの椅子を静かに引いて席に着く。咄嗟についた嘘を、少しばかり後悔した。
危ない橋を渡るのは性に合わない。地固めして、成功率を上げた上で成果を出したい。けれど、彼女にこんな表情をさせているのが自分ではない他の男である、という事実が俺を突き動かす。

「俺の方こそごめん、本当はそこに居たこと知ってた」
「え?……あ、そこ?」

さとうは振り返って、先ほどまで自分がいたところを見た。うん、この間の奴も一緒だったよね。なんて、意地悪な質問も、口から出て行った。俺は、何がしたいんだ。口先からポロポロ出ていく言葉に、腹が立つ。

「聞こえてた…?」
「聞こえてはないけど、何してたかはなんとなく」
「そうだよ、ね……」

流れる沈黙。また、時計の針が進む音がよく聞こえた。さとうはいま、何を考えてるんだろう。

「俺が今、あいつと同じことをしたら、さとうは困る?」
「えっ、」
「さとうが困るなら、言わない。けど、聞いてくれるなら聞いてほしい。時が来たら、なんて思ってたけどそんなことしてたら他の奴に先越されたんだって、いま身をもって体験してるから」
「ちょっ、待って、それってさ」

振り向きざまに机に置かれた左手を掴んだ。あの時と同じ、俺はこの左手を握ってグランドを駆け抜けた。じわじわとやってくる熱が、耳を赤くしてるんだろう。恥ずかしい、なんて感情、いまは押入れの奥底にしまっておいてくれ。

「好き。さとうのことが」
「……赤葦くん、」
「部活に一生懸命なところも、人の世話焼くのが好きなところも、誰かに認めてもらえないと歩けないところも、苦手な数学は投げ出しちゃうところも」
「……最後の言う必要、あった?」
「そういうところを含めてって言いたかったんだけど、ダメ?」
「ダメって……聞かれても、」
「飽きずに俺の相手してくれてるってことは、とか思ったり、勝手に舞い上がったりすること、何度かあったんだけど、これって俺の勘違いだったりする?」

見つめている瞳がほんの少し揺れた。我ながら、なんて回りくどいことをしてんだと、頭の片隅で思う。いや特に回り道はしてないか、最初に想いは伝えたんだ。ここからは、なんだろう戦略?ツーアタックでいくかオープンで行くか。

「……私の方が、勝手に舞い上がってると思ってたよ」

握っていた左手が、握り返された。

「おにぎりとバレーが大好きな赤葦くんが、私も好きです」
「……返事はそれでいいの?」
「これ以上に赤葦くんを表せるものないよ。それにね」

ちゃんと真っ直ぐ、気持ちを伝えられるところも好き。
そう言って彼女は、先ほどとは打って変わって目をくしゃくしゃにして笑った。ごめんさとう、追加させてほしい。そのくしゃくしゃの笑顔も、俺は好き。




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