未来、いまさら返品なんて無理ですよ


「ほんっとに、鉄朗は綺麗なお嫁さんを貰って幸せ者ね」
鏡越しに笑う女性は、鉄朗のお母さんだ。先ほどまで自分の母親がここに居たんだけど、弟が寝坊して遅刻しそうなんて連絡が入ってめちゃくちゃ怒りながら出て行ったもんで、代わりに傍に居てくれるそう。ふふふと笑うその顔は、鉄朗にどこか似てる。ありがとうございます。と返事をすれば、その笑みはさらに深くなった。

「こうして今日を迎えることができて安心したわ」
「……私も、です。恥ずかしながら、相変わらず喧嘩はよくするので……」
「いいのよ喧嘩なんて。それよりも鉄朗の覚悟の方が心配だったから」
「……何か言ってましたか?」

恐る恐る、鏡ではなく隣りに立つお義母さんとなる女性の顔を見る。変わらぬ笑顔で、話を聞かせてくれた。
鉄朗のマリッジブルー事件。私と研磨くんの中でそう名付けたあの家出をした日、鉄朗は実家に帰っていたらしい。そこで何があったのかは、断固として鉄朗は話してくれないから彼の幼馴染である研磨くんから聞いてたんだけど、どうして帰ってきてまずプロポーズしようって思ったのかは、不明なままだった。

「不変なんてないから、ここがスタートラインだって思うことねって言ってやったのよ」
「……それは、えっと」
「あんまりペラペラ喋るとあの子のプライド傷つけちゃいそうだから内緒ね。だから、ここから長いかもしれないけど、あの子をよろしく」

母は強し、なんて言葉を思い知る瞬間だった。何があったか知りたい気持ちはあるけれど、鉄朗の背中を最後に押してくれたのはお義母さんとなる人だったってだけで、十分な気がした。そんな風に、彼のすべてを把握していたいって思わなくなったのも、鉄朗があの日、ちゃんと帰ってきてくれたから。そう考えると、お義母さんには本当に頭が上がらない。

結婚を前に、私と鉄朗は改めてお互いの不満について話し合った。直してほしいところ、出来ればやめて欲しいこと。さらにもしかしてこれっていやだったりする?という自分自身が相手に与えているかもしれない不快なことまで。私にとっての普通は鉄朗にとっての普通でないし、鉄朗にとっての当たり前が私にとっての非常識なんてこと、いくら恋人と言えどあくまで他人同士なんだから、あって当たり前なんだって、そう言い聞かせて出来るだけ喧嘩にならないように、話した。それをしたからと言って喧嘩がなくなった訳じゃないけど、幾分かお互いの考えてることが分かるようになった気がする。
鉄朗は、余所見なんてしてないしいつだって私を見てくれてる。言葉にしてもらうことで安心を得ようとしてたけど、鉄朗から言わなくても大事にしてることに気づけって返されて、ちょこっと反省したからだ。私を見てくれてるから、外でたばこを吸って匂いを消さずに帰って来る。喧嘩のあと、謝る口実を作ってくれるから意地っ張りな私も謝れる。余所見なんてしてる余裕がないから、私との将来で悩みすぎて家出しちゃう。そういうひとつひとつの行動から、自分が愛されてることを知るべきなんだと教えられた。

「鉄朗と一緒になれて、とっても幸せです」

だから、笑顔をあなたに。感謝の気持ちを込めて。


***


「まだ泣いてるの?」
「っせ……。だから嫌だったんだよファーストミート、絶対泣くって分かってた」
「見た目と違って繊細だもんね。あとで動画見よーっと」
「研磨のことだからこのあと拡散されんぞ」

頬に伝う涙をスタッフさんから借りたハンカチで拭って上げれば、鉄朗は少し屈んでまた小さく文句を言った。式の当日に新郎に初めてウエディングドレス姿を見せるファーストミートは驚くほどに大成功で、私が振り返ったその瞬間から、鉄朗は眉間に手をあてて空を仰いでた。浴衣も水着も見てきたのに、やっぱりドレスって違うのかな。何回も綺麗って言ってくれるもんだから、私も耳まで真っ赤にしてた。

「ここまで順風満帆、ってわけじゃなかったけど、それはそれで俺たちらしいとか思ったわけですよさゆみさん」
「ふふっ、そうですね鉄朗くん」
「……何があっても、お前が隣りに居るなら幸せだって思える自信だけはあるから」

手、離すなよ?
お得意のしたり顔で、私を見下ろす鉄朗に、離してなんかあげないよって意味を込めて思いっきり抱き着いた。
ここがスタートライン、ゴールテープはずーっと先に。

20200330





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