両親の条件を守ることを約束したうえで、俺は日本に残ることができた。
ただ、今の家からの一年間の通学が結構キツかった。片道二時間以上って……、いや、それを選んだのは俺だから、とはいえ、一年でよかったと思ったのも本音だ。
母さんに言われた通り、中学を卒業して、この街の進学校にこの春入学する。
あれから、一年。
ばあちゃんの家には一度も行っていない。
一周忌は身内だけで済ませた。父さんと母さんの都合に合わせたから、命日ではなかったけど、それはしょうがないことなのかもしれない。
俺は命日に、ひとりで墓参りにだけ行ってきた。
色々話したいことはあったのに、あの時、もしかしたら、もっとなにかできることがあったんじゃないかという思いが込み上げてきて、
俺はなにも言えずに、ただ手を合わせた。
高校生になったら、もっと自立しようと心に誓う。まだ一人暮らしを全部賄えるまではできなくとも、食費や自分の生活費くらいは自分でなんとかしたい。
とはいえ、家賃や光熱費は親の口座から引き落としになっているのか、請求は一切来ないし、学費だって親が払っているんだけど。
中学生の自分は親に保護されている立場で、どうしようもできない。だけど、早く大人になって独り立ちしたいと心から思っていた。
「……」
「なに見てるんだ?」
「……バイト探しだけど?」
店のいつものカウンター席に座って無料の情報誌をぼんやりと見つめていると、それを見つけたオーナーが声をかけてきた。
「はあ? ダメだ。バイトなんて」
「は? なんでだよ」
「バイトなんかさせて成績下がってみろ。あいつに合わせる顔がない」
コーヒーを淹れながら、オーナーが渋い顔をする。
「……別に迷惑はかけない。成績だって落とさないし」
「ンなもん、分かんねぇだろ」
「なんと言われてもやるから」
高校生になってまで行動を制限されてたまるか。
「ダメだっつってんだろ」
「なんでだよ。やってみないと分からないだろ!」
じろりと睨むとオーナーが渋い顔を崩さずにため息を落とす。
「欲しいものがあるなら……」
「そんなんじゃない。とにかく、なにを言われても俺は」
「おいおい、保護者の同意なしに勝手はできんだろ」
こういう風に言うオーナーは珍しい。この一年、保護者ではあっても、立ち入ってくることはなかったのに。
「……あいつに頼まれたのか? バイトさせるなって?」
「違う。俺の判断だ」
「なんで……」
「いいか。おまえはまだガキだ。勉強だけしてりゃいいんだよ」
「……親との約束は守ってるし、この先も破るつもりもない。だから、高校生になったら好きにさせてもらう」
オーナーがなんと言おうと、俺は自立を目指す。そのためにはバイトは必須だ。譲るつもりはない。
「俺の言うことを聞くって約束だろ」
「今までちゃんと聞いてきた」
「オマエ……それ本気で言ってるのか?」
「迷惑をかけたことなんてないだろ?」
今にも頭を抱えそうな勢いのオーナーが、はあ、と大きく息を吐いた。
「……わかった。しょうがねえ、ここで働け」
「は?」
「だーかーらぁ、バイト、許してやるって言ったんだよ」
「ここ……って、ここ?」
本気で驚いてオーナーをみると、呆れたような視線を向けられた。
「それ以外にどこがある」
「つーか、この店はもうこれ以上従業員は増やさない……って」
「そりゃあ、バーの方の話だ。カフェなら、まあ……雇ってやらなくもねえ」
ヘンなところで働いて問題起こされるよりはずっとマシだ。って、呟いたところまで全部聞こえたけど。
まあ、それはいい。
「だから、問題なんて起こさない……」
「分かってるって。けど、俺がバイトを許す条件はそれだ。言っとくけど、バイトに入るなら仕事だからな。公私混同するなよ」
「オーナーがそれ言うか……?」
「ばーか。俺はいいんだよ。オーナーなんだから。ま、しっかり働け」
ニカッと笑ったけど、俺はまだ全然納得なんてしてない。この店で働けるなら、家は近いし、便利だけどさ。
最初のバイト先としては最高なんだろうけど、それは甘えになるんじゃないだろうか?
「難しく考えんなよ。ガキが」
「ガキだってことくらい、分かってるよ」
「拗ねるなよ。映人。ガキのうちはガキらしく毎日楽しんでりゃいいんだよ」
「オーナーはいつも楽しそうだけどな」
「大人だからな」
なんか、会話自体が不毛な気がしてきて、思わずため息を吐いた。
「仕事始めは4月1日からだ」
「え? なんで?」
「そう決まってんだよ。中学卒業したてのガキが簡単に働けると思うな」
「……ふぅん」
中学生を卒業したからと言って高校生として扱ってくれるわけじゃないってことか。法律の勉強とかはまだしたことないからよく分からないけど。
「まあ、けど、研修として、皿洗いくらいは手伝え」
「って、それはいつもやってるだろ」
「ははっ、バレたか」
店が忙しいときなんかは、バックヤードのことは割と手伝ったりしているから、バイトに入ったとしてもあまり違和感はない気がする。
「おまえが入るなら、もう少し人増やしてもいいか」
「え? なんで?」
「忙しくなるからだよ。あと、同年代のバイト仲間ってやつも必要だろ」
「そこまで頼んでない」
確かに、この店の年齢層は高い。夜、カフェバーになるせいもあるんだろうけど、高校生が気軽に入れるような雰囲気じゃないんだ。
「オマエのせいで客が増えそうだからな」
「別に俺がバイト始めたくらいで増えるわけない」
「……ま、みてな。俺の勘はあたるんだぜ?」
含みのある笑いを浮かべたオーナーが淹れたてのコーヒーをカウンターに置く。
「ほれ。ブラックは飲めるようになったか?」
「飲めるよ。いつの話してるんだよ」
……なんて。ブラックコーヒーは最近ようやく飲めるようになってきたけど、まだオーナーが淹れるものだけだ。そう思うとなんか悔しいけど。
「俺のコーヒーは美味かろう」
ニヤニヤと笑うオーナーをひと睨みして、コーヒーに口をつける。苦みとまろやかさがマッチしていて、後味がすっきりしている。
「……俺が淹れてもこうはならないのにな」
「当然だろ? 年季が違うからな。バイトに入ったからってコーヒーは淹れさせねえぞ」
「分かってるよ。俺のコーヒーを出すなんて、客に失礼だ」
何度か教えてもらいながら淹れているし、家でも最近は自分で淹れるようになったけど、オーナーみたいな味にはまだならない。
「ほう? 素直で結構」
コーヒーに誤魔化されたわけじゃないけど、どうやらこの店で働くことは決定らしい。
それは少し嬉しくて、少し不安でもあった。
この店の雰囲気は好きだけど、総じて大人っぽい……というか、働いてる人含め割と年齢層が高い。
一番若い人って、大学生のバイトの人くらいじゃないか……?
俺だって、全員を知っているわけじゃないけど、この一年で結構仲良くなった人もいる。
オーナーがこんな性格だから、なんとなく俺でもうまくやってこられてるけど……、どうしても親の影がチラつく。
仕方のないことなんだけど。
「……早く大人になりたい」
「ん?」
「いいえ。なんでも」
かしこまった俺の言い方に、オーナーが視線を向ける。
「……4月から、宜しくお願いします」
頭を下げて、あの一年前を思い出す。あの日も、この人に同じように頭を下げた。保護者として紹介されたから。
だけど、この一年でオーナーともわりと仲良くなったと思う。
俺の保護者になってくれたことも、自由にさせてくれていることも感謝してる。俺が働くことでこの店に少しでも恩返しできたらいい、と思った。
「ガキはガキらしくしてりゃいいんだよ。けど、仕事となったら厳しくやるからな。覚悟しとけよ」
一年前とあまり変わらないセリフに思わず内心で笑ってしまった。
あの時も思ったな。この人となら、それなりにうまくやっていけそうだって。
ふっと笑い合った自分たちの空気は一年前とは違い、そこに確かな信頼があるような気がした。