桜が舞い散る公園のベンチに座って、深くため息を吐いた。
履歴書を握りしめて、悔しさのあまり泣きそうになる。
いや、別に泣く気はないけど。それにしてもひどかった。あんな場所でバイトしなくてよかったと思おう。
「もう少し、簡単に決まると思ってたのにな……」
恨みがましくぽつりと呟く。
最初に行ったケーキ屋さん。裏方を希望したら、パティシエがみんな男の人だった。
アシスタント的なこともしてほしいと言われたんだけど、あの中に囲まれてのバイトはちょっとしんどそうに思えた。
あの人たちの視線、あたしの胸に集中してたし。
次に行ったお花屋さん。店長は女性だったのに、仕事を教えてくれると紹介されたアルバイトの人は男の人だった。
ケーキ屋さんみたいに人が多いわけじゃないけど……。ちょっと、"あの人"の雰囲気と似ていて、思わず震えそうになる腕を抑えた。
たぶん、悪い人では、ないんだろうけど……、傍にいるだけで、過呼吸になりそうだった。
申し訳ないけれど、断らせてもらった。あそこは無理だ。
他は両親がいない。ということで「うちではちょっと……」というところが多かったのも驚いたけど、そうハッキリと理由を言ってくれるバイト先はまだいい方だと思う。
まりあちゃんは部活に入りたいって言ってたから、あたしが少しでも稼がないと……と思ってバイトを探してみたけれど、現実は厳しい。
「しっかりしなきゃ、もう、高校生になるんだから」
久々に"あの目"を思い出して、動悸が激しくなる。
怖い……、こわい……。
カタカタと身体が震えはじめて、自分を抱きしめるように手で腕を抑える。
バイトなんてしなくても、親戚がそれなりに援助してくれているし、遺産もあると聞いている。
だけど、やっぱり、働ける年齢になったら、アルバイトをして、せめてまりあちゃんとあたしの生活費くらいは自分たちでなんとかしたいと思っている。
両親の遺産は学費とか、大きな金額が必要な時のために使いたいし、貯金もしたい。
節約だけじゃ、やっていけないんだよね。まりあちゃんにひもじい思いはさせたくないし。
バイトの情報雑誌を開いて、もう一度高校生可のアルバイト情報を探す。
正直、時給はあまりよくない。これじゃ、本当にお小遣い程度……、ないよりはマシって感じ。
かといって、高給アルバイトは怪しすぎて応募する気にはならない。
高校生可の喫茶店。ホール、厨房とある。できれば裏方の方がいいけれど、どうだろう?
とりあえず、表から様子を見てみようかなと、地図を確認してお店に向かってみることにした。
駅前を通り過ぎて、道を一本入る。
「あれ? お店がない?」
地図の場所に、目的のお店がなくて、きょろきょろと周りを見渡す。
「あっ、あれかも?」
まだ引っ越してきたばかりで、あんまり地理に詳しくないから、間違ったのかもしれないと思ったけど、ちゃんと喫茶店があった。
「あれ……? なんか、違う、かなぁ」
年季がある喫茶店……? 落ち着いた感じのお店だ。あたしみたいな子供が入れるようなお店じゃなさそう。今は閉まっているのか、人の気配はなかった。
じっと扉の向こうを見ようと必死になっていると、突然声をかけられた。
「……なにか御用ですか?」
「きゃっ、えあ、いっ、いえ……」
驚いて挙動不審になりながら振り向くと、男の人と目が合った。
「……あ」
なにかを言わなくちゃと思ったけれど、とっさに言葉が出てこない。視線を彷徨わせながら言葉を探していると、ほんの少し彼が首を傾げた。
「ああ、それ」
「え?」
視線の先を追うと、アルバイト募集と、書かれた手書きの貼り紙に初めて気づく。
「ちょっと待って」
「あ、あの……」
もう一度貼り紙を見ると、さっきの求人誌のアルバイト代よりもずっといい時給が記載されていた。
もう少し詳しく見たかったけれど、男の人が扉を開けてくれて、どうぞ、と促してくれたから、そのまま詳細も確認できずに、お店の中に足を踏み入れた。
ふわりと香ったコーヒーの香りに思わず頬が緩む。すごい、いい香り……。
「オーナー、いるー?」
「あー? なんだ、今日は早いな」
「お客さん……バイトの面接の人が来てるけど」
「あん? バイト?」
お店の奥から、オーナーと呼ばれた男の人が出てきて、ハッとする。
つい、この人についてお店に入ってしまったけれど、誤解だ。いや、バイトを探しているのは事実だけど、お店の雰囲気からして高校生可だとは思えない。
「あ、あの、あたし……」
「貼り紙出しただろ?」
「ああ、ついさっき貼ったやつか……、で? このお嬢ちゃんか」
視線を向けられて、緊張して、身体が強張る。思ったより怖そうなオーナーさんだ。ドキドキと早鐘を打つ心臓に、言葉が詰まる。
「ほら、こっち座って」
「え、えぁ、あ、あたし」
さっきの男の人が、すっとカウンターの椅子を引いてくれて、なんとか足を踏み出す。
なんかぎこちない動きになってしまったけど、腰を掛けると、男の人が優しい声をかけてくれた。
「大丈夫。この人が怖いのは顔だけだから」
耳元に聞こえてきた声。さっきより小声だけど、確実にオーナーさんにも聞こえていると思う。
「うるせぇ。じゃあ、お前が面接するか?」
やっぱり聞こえてた。と、おもわず目を瞑ると、くっくっと堪えるような笑い声が聞こえてくる。
恐る恐る目を開けると、オーナーさんが面白いものを見るようにあたしを見ていた。
「お嬢ちゃん、バイトの面接ってことでいいかい? こいつにナンパされたわけじゃねえよな?」
「はっ!? バカなこと言うなよ」
一瞬言われた意味が分からずにきょとんとして、彼の言葉で意味を理解して慌てて首を振る。
「ちっ、違います。その、でもあたし、この春から高校入学で……、ここって高校生でもいいんですか?」
「ああ、募集はカフェの方だからな」
ちらり、と視線が横に逸れたけど、すぐに、あたしをみて頷く。その返答が意外で、目を瞬いた。
「履歴書、見せてもらっていいかい?」
「あ、は、はい」
鞄から履歴書を出そうとして、はっとする。握りしめたせいで結構くちゃくちゃな履歴書しかない。カウンターのテーブルでなんとか伸ばして、差し出す。
「す、すみません……。ちょっとぐちゃぐちゃになってしまって……」
「いや、構わない」
オーナーさんが履歴書に目を通すのを見ていると、さっきの人が奥へと向かうのが視界の端に映った。
「オーナー、俺、奥にいるから」
「はいよー」
履歴書から目を離さないで返事だけする。
この二人はとても仲良し……? というか、もしかしたら付き合いが長いのかもしれない。
軽いやり取りができるってすごくいい関係を築いてるってことだ。
さっきは少し怖かったオーナーさんも、思ったより怖い人間ではなさそうで安心する。
最初に声をかけてくれた人も、必要以上にあたしをじろじろと見たりはしなかったし、嫌な感じはなかった。
「なんか、希望はあるの?」
「あの、できれば、裏方がいいんですけど……」
「バックヤード希望ね。洗い物とか、手が荒れるけどいいの?」
「あ、はい。いつもやってるので」
手荒れは、ハンドクリームとかそういうのでなんとかするしかないかなとは思っているし、普段の料理や洗い物はあたしの担当だから、そんなに変わらないような気がする。
「……いつも?」
「はい。あたし、両親を早くに亡くしていて、姉と二人で暮らしているんです」
あんまり重くならないように淡々と慣れたように答える。
「え? ずっと?」
ちょっと驚いたように聞かれて、慌てて否定した。
「いえ、この春から、です。今までは親戚の家に……、保護者も親戚の人にお願いしています」
履歴書のサインだってちゃんともらっている。
叔母さんはどうやらバイトには反対だったみたいだけど、お願いしたら、無理はしないようにという条件でサインしてくれた。
オーナーさんはそれ以上突っ込むことなく、あたしを見る。
「……希望の日と時間は?」
「できれば、16時くらいから3〜4日でお願いしたいです」
「わかった……。じゃあ、4月1日からでどうだ?」
「え……? あの、いいんですか?」
すんなりと受け入れてくれて、若干混乱しながら訪ねてみる。
「なにが? バイトの面接に来たんだろ?」
「それは、そうですけど」
こんなにあっさりと決まっていいのだろうか。大丈夫なのかな? 時給もそれなりにいいし、雇ってくれるのは有難いけど……。
「じゃあ、決まり。ちょっと待ってな。おーい、映人ーー!」
急に出された大きな声にビクッと身体が震えた。オーナーさんが呼びかけると、奥からさっきの人が出てくる。
「オーナー、声がでかい。なに?」
「お前、この子に色々教えてやってくれ」
「は? 俺が?」
怪訝そうに眉を寄せるのをみて、なんだか迷惑をかけているようで申し訳ない気持ちになる。
「裏方希望だからな。最近はお前に任せてるから、お前の方が適任」
オーナーさんに言われた彼が、軽くため息を吐く。
「了解」
「任せた。そうだ、なんか飲み物でも出してやれ……ってことで、軽く打ち合わせよろしくな」
「早速かよ……、まあ、いいけど」
オーナーさんがいなくなって、彼が店内に残る。なんとなく、また緊張が戻ってきて、挨拶をしようと声をかけてみる。
「あ、あの……」
「ちょっと待ってて。あ、コーヒーは飲めるか?」
「は、はい……、飲めます」
さっきと違って少しぶっきらぼうにも聞こえる声に、口を噤む。やっぱりちょっとはやまっちゃったかな……。
「お待たせ」
どうしようと考えていたら、目の前にグラスが置かれた。氷の入ったアイスコーヒーに目を瞬いて顔を上げる。
「……どうした?」
「えっ?」
怪訝そうな顔に首を傾げると、ミルクポットとガムシロップを載せたトレイを置いてくれる。
「……アイスコーヒー」
「あ、ありがとうございます。いただきます」
カウンター席の椅子を一つ飛ばした先に座った彼が、少し心配そうにあたしの様子を伺ってくる。まずは一口、ブラックコーヒーのまま飲んでみる。
「わ……、美味しい」
「そっか」
ふっと笑った彼に、思わずどきっとした。
コーヒーを飲んだこともあると思うけど、緊張から少し解放されたせいで、初めて彼の顔を認識した。
思った以上に整った、綺麗な顔をしている。どれだけ自分がテンパっていたのかがよくわかる。
なんだかよくわからないうちに面接が決まって、採用が決まって……、コーヒーを飲んで自分がものすごく喉が渇いていたことにも気づいた。
「あ、えっと。森原ことりです。4月から宜しくお願いします」
「冴木映人。よろしく」
これが、あたしたちの出会い。
あとから、求人情報にあった喫茶店は反対側だと分かったけど、今は、このお店で働けてよかったと心から思う。
あたしの高校生活、このお店がなかったら、映人くんと出会わなかったら、きっと全然違うものになっていたかもしれない。
だから、あたしはこの日に感謝してる。映人くんと出会わせてくれた運命に――。