2歩
茹だるような夏。
あまりの暑さに名前はハンカチを取り出し首元に押し付けた。
いくら驚異的な体質とはいえ汗は出る。むしろ代謝が良すぎて出てくるのかとどこか遠くを思いながら名前は考えた。
あれから学園生活は順調で、クラスメイトの面倒を見ながら名前は馴染んでいった。
姉さんだの母さんなどふざけて呼ばれるくらいには信頼関係が築けている。実際、姉さんと呼ばれてもおかしくない年齢差だと思いながら名前は弟妹の面倒を見るように彼らを見守っていた。
唯一変わっているところといえば、毎週金曜日の昼休みにミーティングをしていることだろうか。便宜上そう呼んでいるだけであって、本格的に仕事の内容を決める話し合いとかではない。
仕事関係の話、運営や株の話を定期的に求める玲王に名前は他のことに時間を使うべきではと尋ねたが、これが有効な時間の使い方だと言われれば名前は納得せざるを得なかった。
たまにチラチラとこちらを伺う女の子を気の毒に思うも、実際小難しい話しかしていないので”そういう”勘違いは無いようだ。
早く授業が終わった方が相手の教室に赴くため、いつものように向かおうとしたところ玲王が勢いよくやってきた。
「名前!聞きたいことがあるんだけど、」
「ん、ん、ちょっと待って、ご飯食べながらにしよう?」
あまりの勢いに名前は目を丸くした。運営がうまくいったとき、良いセミナーに当たった時機嫌よくやってくることはあっても、ここまで高揚した様子ではなかった。
余程いい事があったのだろうと思いながら名前は玲王に席を勧めた。
慌てて食事の用意をする玲王は滅多にお目にかかれないだろう。周囲の学友もキョトンとしていた。
「名前、サッカー好きだって言ってたよな」
「うん、好きだよ」
「サッカー上手くなるには何が必要だと思う?」
突然振られたサッカーの話に名前は噴き出しそうになった。
余りにもかつての友人にそっくりで、キラキラとした瞳にキャプテンの姿を思い出す。きっと目の前の彼のほうが学力は圧倒的に上だけれど、アドバイスを求める姿勢はそっくりだ。
「本当に上手くなりたいなら、環境の整備とフィジカル調整、可能ならコーチはつけたほうがいいかな。あとは勿論やる気」
「…名前はさ、観る専門?」
「馬鹿なこと言わないでよ、勿論プレーするしそこらの人には負けない」
そこらどころか世界に届く実力であるものの、どこか卑怯な気がして、全力のサッカーができないことに絶望するのが嫌で名前は結局サポーターとして関連企業を伸ばすことしかできていない。
それでも”観る専門"なんて可愛い言葉でいられるほど簡単に向き合ってない。ちょっと皮肉を混ぜながら返す名前に玲王は待ってましたといわんばかりに喰いついた。
「俺、W杯目指そうと思うんだ」
「思い切りいいね」
「名前ならバカにしないと思った」
玲王が優秀なのは知っているし、物事に取り組む姿に真剣なのは何度も見ているので遊びとは決して思わなかった。
それがサッカーに向くのは驚いたけれど、自分の得意分野ならなおさら馬鹿にするなんて考えられない。
短い付き合いではあるけれど、自分の好きなものをちょっと共有するくらいなら難しくなかった。
「ね、サッカー教えてあげようか」
「専門の人を呼ぼうと思ってるからそれまで頼みたいんだ」
「勿論。貸しイチね」
「高くつくなあ」
「本当にそう思ってる?」
「ウソウソ、助かります名前サマ」
久しぶりに触れるサッカーにときめいてるなんて彼に言ったら速攻で貸しなんてなくなるだろうなあと名前は微笑んだ。
「うわ、凄。本格的じゃん」
「言ったでしょ、プレーもするって」
放課後、はやる気を持て余してしまったようで玲王は家に行きたいと強請った。以前施工会社に投資していた話を覚えていたようで、こんな話の一片を覚えているのだから侮れないと名前は思う。
家に誰かいるわけでもなく、快く了承した名前に玲王は上機嫌だった。
同じリムジンに乗って家に向かう二人を何事かと見る学友は多かったけれど、相手が名前とわかると興味が薄れたようだった。”ビジネス夫婦”なんてあだ名をつけられるほど健全な関係であるのは周知のことだ。
まず簡単に慣れた方がいいだろうと名前はにっこり笑う。
「1on1、しよっか」
「なんだか嫌な予感しかしない」
「名前、なんでチーム入ってねえの」
「ウーン、他にやることが多いからかなあ」
へばる玲王に名前はしゃがんで返答する。
いつも余裕綽々の男が汗だくでひっくり返っているのは少し面白い。ツンツンとつつく名前に信じられないといった様子の玲王は細々とした声で疑問を投げかける。
「おかしくないか?男女差もあるのに名前はちょっと汗掻いた程度だ」
「身体の使い方わかってるからね」
「ネットがあんな音立てるのも聞いたことない」
「あれが特注品」
「はぁ…人間の動きじゃない」
「よく言われる」
ニコニコ返答する名前に玲王はがっくりと項垂れた。
「まあ普通のゴールじゃ壊れちゃうから特注品だし怪我させるかもだから誰ともサッカーしないんだけどね」
「名前が普通じゃないのはよくわかった」
「失礼しちゃう。まあ雰囲気はわかったかな」
「雰囲気は。とにかく基礎がなってないのはわかった」
悔しそうにする玲王に名前は嬉しそうに微笑んだ。
筋は決して悪くない。未経験でこれだけ俯瞰できるのであればのめり込めばきっと悪くない選手になれるだろう。
「きっと玲王はすぐ上手くなるよ」
「名前に言われてもな…イテッ」
「貸し2」
「冗談だろ」
子供達を集めてサッカーを教える──勿論あんな恐ろしい施設にするつもりはないが──昔の父さんの真似事をするのも悪くないかもと名前はふと思った。
きちんと子供の面倒をみれる年齢になればの話だが、そんな未来もあるかもしれないと名前は青空を仰ぎ見た。
戻る