プロローグ


どうしようもない状況に放り出されると、手も足も出ず唖然とするしかないのだと悟った。


いつも通り仕事を終えて、いつも通り家事や風呂を済ませ、いつも通り就寝した。
変化なく一日を終え、目を覚ますとまたいつも通りのルーティンが始まるはずだった。

ナマエは驚愕した。
目が覚めると眼前に自室の天井ではなく、少しカビ臭い見知らぬ天井が目に入る。
何も分からぬまま慌てて身体を起こすと、そこは知っているが知らない部屋(、、、、、、、、、、、、)だった。

現実にあるはずのない、よく覚えのある収納箱、禍々しい家具に、動物のフィギュア、何かを置けそうな神棚。
どれもこれも、何度も何度も目にしたことがある。
小さめのダンボールベッドの感触が夢では無いとナマエに伝えてくる。


ここは―――彼ヶ津村の、アメの家だ。

あまりにも現実離れしている現状に軽く目眩を覚える。
どういった経緯でここにいるのか、そもそも未だ現実と受け入れられずフワフワした思考でナマエが何となしに入口へ目をやると同時に立て付けの悪い扉が動く音がする。


想像よりずっと小さいそれは、瞬きをひとつし口を開いた。

「おきた?」
「ええっと……。ここはどこ、ですか」

ナマエはなんと返すのが正解かわからず、苦笑しながら言葉を選ぶ。
この歳頃の子に敬語で話しかけるという奇妙な絵面が出来上がってしまった。
何とも現実味のない光景で、庭仕事を一人で請け負っていると思えない幼子が首を傾げる。

「いえのまえにいたよ、ここはかがつむら」

少しの沈黙の後、ナマエは顎元に手を当てて頭をフル回転させる。

もしここが本当に彼ヶ津村なのだとしたら、あの少し変わった村だとしたら。
村に何も関わりの無い、とっくに成人した自分は確実に追い出されるだろう。
そして此処に自身の帰る場所は確実にないだろう。
何が原因で此処へ放り出されたのかわからないし、戻れる目処は全くない。
あるとすれば、この村の特性で膨大な代償を用意し戻してもらうことを神に祈るくらいか。

ナマエはその案があまりに現実離れしていて苦笑を漏らした。
縋れるとすれば、目の前の小さき者になる。
ナマエにとって例え中身が人知を超えた存在としても、その皮がどうしても意識に含まれる。
小さきものは守るべき子どもであり、自身の生活を守ってもらうなんてとんでもないことだ。

それでも今自身を救える者は目の前の子どもだけだった。

「わたしは——、私は」

軽く目を瞑る。
あまりにも気が急いた選択だと思いつつも、ナマエにとっての最善策はこれしかないと確信していた。

「ミョウジナマエは、あなたに尽くします。あなたへの献身を誓います。代償に私をここへ住ませては貰えないでしょうか」
「——わかった」

ナマエ何かに縄を掛けられたような、まるで魂の糸が目の前の生き物に繋がるような感覚を持った。

村の者ではない自分の願いを聞いてもらえるかは賭けだったが、上手くいってよかった。
他の住人に見つからなかったのも僥倖だったと言える。
肩の力が抜けて、自分が変に空回っていたことを自覚する。

これからどうするかなんて一つも決まっていない。
あちらの人間関係はひとまず頭の外へ追い出すべきだと思った。目下の問題は此処に慣れること、そして仕事を探すことだった。
頭を悩ましていると、ナマエの腹から小さく音が鳴る。

「…じゃあ、手始めにご飯を作りたいな、材料はある?」
「うん」
「私が貰ってもいい?貴方にも料理を渡したら対価になるかな」
「うん、いいよ」
「私はあなたをなんと呼べば良い?」
「アメでいいよ」

ずっと画面越しで見てきた小さな神さまは、他人とは思えないほどナマエにとって馴染み深い生き物だった。
一先ず食を確保できたことにホッとしながら、何処に何があるかをアメから聞き出す。

普通の人間ならありとあらゆることを根掘り葉掘り聞かれただろう。そして間違っても家に招き入れるなんてしない。
何もしないと故郷のことを考えてしまうだろう。
アメの手伝いをしていればそんな余裕はなく、きっと忙殺される。
ナマエにとってこの上なく都合の良い人間(神さま?)に拾ってもらったことをひしひしと感じた。

事情を話さないナマエ、何も言わずに受け入れるアメ。
第三者が見たらあまりにおかしい二人だ。

きっと自分は運がいい。ナマエは此処に来るまでのこと全てから目を逸らした。




「ねえ、目玉焼きは何つけるのが好き?」
「めだまやきってなに?」

——ミョウジナマエは元来世話焼きだ。
こんな小さな子どもが目玉焼きも知らないなんて(アメの事情はもちろん知っているが)、と衝撃を受けた。
そもそもナマエは一年目の春の初めのことをとても印象深く思っていた。
具体的に言うと、山菜ばかり食して碌に食事をとっていない事だ。もちろんいい印象ではない。

「…アメにご飯いっぱい作ってあげるからね…!」
「うん、うれしいな」

この日から、ナマエとアメの不思議な二人暮らしが始まった。





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ツユシグレ